頭のなかで、書きたいことが
めずらしく朝から、PC前に。
きのうは、夕方から
家族4人で、親戚のご法事へ
前住職の→弟さんの奥さんの、ご法事で
うちのお父さん&若院が、お坊さんとしてお参り。
みなさんで(18人?)お経を読んで、
順番にお焼香、ご仏縁にあわせていただきました。
その後。お父さんのご法話を、お聴聞。
(わたしの頭の中での、記憶をたどるので
正確に書くことはできませんが、、、ご紹介。)
「きょうは、みなさんで「仏説阿弥陀経」という
お経を読んで、阿弥陀様の願いに遇わせていただきました。
わたし達が、亡くなられた方の為に、お経を読むのではなくて。
阿弥陀様の願いに出遇いなさいよと
○○叔母さんが、わたし達に下さった、ご法縁です。
導いて下さる方がいなければ
お寺に生まれた者であっても、ご仏縁に出遇うことはできません。
阿弥陀様の願いは「摂取不捨」(せっしゅふしゃ)です。
うれしい時も、かなしい時も、
どんな時も
決してあなたを見捨てません
必ず、あなたを救いますよと
おさめとって、捨てないはたらきです。
わたし達は、誰かを救いたいと思っても
救いきれなかったり、限りがあったりしますが
阿弥陀様の願いには、限りがありません。
お参りに行った先で、
わたしも、住職であっても、家族があっても
孤独なんですよ。孤独を感じるんですよと
お話させていただいた事があります。
ほんとうは、ご仏縁に出遇えば、
孤独ではないのですが
生きていく上では、誰もが孤独なんです。
お経にも、独り生まれ独り去ると、ありますように
わたし達は、ひとり生まれひとり去ってゆかねばなりません。
その、孤独を包み込んで
決してあなたを捨てませんよと、言って下さるのが
阿弥陀様です。
前住職が
「すっぽりと、弥陀の御懐に(おんふところに)」
という言葉を遺しています。
あなたが、うれしい時も、かなしい時も
必ずおさめとって、決して捨てませんよという
阿弥陀様の願いです。
今日は、みなさんでご一緒に
阿弥陀様の願いに、出遇わせていただきました。」
お父さんのお話が、ありがたすぎて
聞いていると、涙が出そうになって
泣くのも恥ずかしいし
身内のするお話で、泣くというのも
これまた、人目が気になるし
必死で、我慢していたんだけれど
泣くのを我慢したら、鼻水が出てきて
そうしたら、それに続いて
涙もボロボロ、流れ始めてしまって
結局。涙と鼻水で
ぐちゃぐちゃになってしまいました。
お父さんの願い、叔母さんの願い
阿弥陀様の願いが
まさに響きとなって、心にしみこんで来ました。
たとえば。お話をする側に立つと
何を話そうか、どう話そうかと
頭を悩ませたりするものですが
話し手の中から、にじみ出てくる
「お味わい」
そして
「阿弥陀様の願い」ほど、心に響くものはないのだと
あらためて感じさせられました。
素晴らしいご縁に遇わせていただき
もうほんとうに、胸がいっぱいの一日でした