私が在籍した飯田市立追手町小学校が合唱コンクールで日本一になった事を思い出した。
1956(昭和31)年度の「全国唱歌ラジオコンクール小学校の部」で優勝したのだった。
当時の大会名は、その後の昭和37年に「NHK全国学校音楽コンクール」と変更している。
課題曲は「わかいおじさん」で自由曲が「ゆめよぶ春」だった。
指揮は山中邦夫先生で、のちに私の音楽担当の先生である。
私は未だ小学2年生の時だから知らなかったが、7歳上の姉や母が歌っていたから自然に覚えた。
当時はテレビは未だ無く、専らラジオから曲が流れてきた。
「わかいおじさん」は与田準一作詞、牧野統作曲の同声2部合唱の曲である。
与田準一は童謡の作詞家で、小学校で習う「小鳥の歌」などの作品がある。
「わかいおじさん」の歌詞は
1、 広い肩をした私のおじさんが やって来た。
熊が出ると言う 山の話をした。
低い声だけど 歯がきらきら、
万年雪の歯がきらきらした。
2、 赤ら顔をした私のおじさんが やって来た。
ふかが住むと言う 海の自慢をした。
波の向こうから 帆がゆらゆら、
パイプの先に 帆がゆらゆらした。
3、 太い腕をした私のおじさんが やって来た。
空に組むと言う 鉄の響きをさせた。
でかい声だして ガンガラガラ、
ゆかいな歌をソレ ガンガラガラガン。
これがどういう事だろう、私が自営業していた新宿の店舗でラジオを聞いていたら、その「わかいおじさん」が流れてきたのである。
もちろん、NHKラジオだったが「それでは聞いていただきましょう。昭和31年度優勝校の飯田市立追手町小学校の皆さんで『わかいおじさん』です」と聞いたときは鳥肌が立った。
運命を感じた時だった。一生のうちに聞けるとは思っていなかっただけに、感激した。
あわてて、実家に電話をしたくらいだった。
その上、幸運が続くのである。
今の時代、誰かがYouTubeにアップしてくれて、聞けるのである。
kojiito2138さんがアップしたのを発見したので、ぜひ聞いていただきたい。
見事な演奏である。音程、ハーモニー、メリハリ、言葉の鮮明さはどれも素晴らしく、流石と思った。
当時は中央高速道も無く、本当の田舎でよくぞ東京に出て堂々と歌ったもんだと感心した。
歌詞と曲が一体となった名曲で分かりやすいし、歌い易い。
私が小学校4年生の時の担任の先生の謝恩会で、母の低音と私の高音のデュエットで「わかいおじさん」を歌った記憶がある。
田舎に帰る度に母と合唱したもんだが、今は96歳になったので残念だが「忘れた」と言われる。
わが母校と言ったが実は小学4年生までは大久保小学校で、廃校になったので5年生から追手町小学校に通った。
その後、大久保小学校の跡地は飯田市役所になった。
追手町小学校5年の時の課題曲は「秋は白い馬にまたがって」だった。
作詩は薮田義雄、作曲は京嶋信。
1. 秋は秋は来るよ
白い馬にまたがってーーー
小学校6年生の時の課題曲は「世界の希望」で作詩は与田準一、作曲は佐野量祥。
1. 僕の好きなのは緑、
君の好きなのも緑、
緑はみんなの希望。
実はクラスにあこがれの「みどりさん」がいたのだから、この歌を歌うと恥ずかしくて、とても声を出しては歌えなかった。
どこの小学校もそうらしいが、コンクール時には各クラスから歌の上手い人が選ばれて、合唱団を形成するらしい。
私もひそかに狙っていたのだが、選ばれなかった。
多分、選ばれた同僚たちは関東甲信越大会で、東京九段会館まで行ったようである。
晴れ晴れしい顔を見て、うらやましく思っていた。
小学校の合唱コンクールの曲の中に有名な曲もある。
例えば「花のまわりで」である。
江間章子作詞、大津三郎作曲で1955(昭和30)年、第22回大会の課題曲である。
1964年4~5月のNHK「みんなのうた」にも放送されたから、知っている人もいるであろう。
歌詞は
1、 花のまわりで 鳥がまわる
鳥のまわりで 風がまわる まわれまわれ
こまのように 歌いながら
地球のように まわろうよ
歌詞に余り深い意味は無いが、曲と相まって素晴らしい作品となっている。