府中ジャズフェスティバルが10月9日(日)にあり、聴きに行って来た。
初めて知ったのだが、毎年府中市のいたるところで開催されるらしい。
私が行ったのは、分倍河原の駅前にあるビアホール「BOONブーン」が会場だった。
午後から1時間毎にバンドが代わり、4時から甥が所属する「早栄軒」なる4人のグループを聴いた。
彼らは早稲田大学出身で、学生の頃から継続している。
私は、彼らが学生の頃一度聴きに行った事があった。あれから25年以上経っている。
1ドリンク制で私はビールを注文した。当然、誘ってくれた姉や甥の兄弟関係者も集まった。
甥はずっとドラムを担当している。たいしたものだ。
私も、小学校では器楽班で小太鼓を叩いていたから、所謂血筋であろう。
何となく「ラーメン屋」のイメージのグループ名で、曲もやや面白おかしく、「餃子」や二度付け厳禁「串カツ」などの曲である。
ボーカルの説明で曲が進むのだが、演奏の前に彼らは相当飲んで来たらしい。しかし、ボーカルはダジャレなどを交えながら、楽しく曲を進めた。
曲の途中では「堺すすむ」のネタを披露したが、私はワクワした。なんでーか?
「前田健太とイチローが勝負した。どちらが勝ったか?」
私はすぐ「カタカナ」と叫んだ。解るであろう。ダジャレが。
もう一つ。
「パン屋さんであんパンと、メロンパンと、食パンが並んでいた。ジャムパンが『おーい』と声かけた。振り返ったのはだーれか?」
これもすぐ「ミミ」と叫んだ。そう食パンには耳があるから。
ボーカルのハーモニカはプロ級だった。上手い。
実質40分間の演奏はアッと言う間だった。
終了して、寄付した人には「ピンバッヂ」をくれると言うので、500円玉を用意された瓶に入れ
「JAZZ in FUCHU」のバッヂを貰って来た。
ジャズフェスティバルと言えば、阿佐ヶ谷でもこの時期に行っている。
中学の同級生TO君に誘われて、阿佐ヶ谷に出没したのは2年程前の事である。
彼のいとこが経営する焼き鳥屋「さつまや」が南口の通りにあり、何回か伺った。
たまたま土曜日だったのか、知らずに行ったところ、通りの空き地でジャズを演奏するところだった。
未だ、友人は来ていなかったので路上で聞く事にした。無料で折りたたみ椅子まで出ていた。
3~4人のグループでボーカル、ギター、クラリネット、ドラムで曲は余り知らなかった。
その後、友人と合流して「さつまや」で飲みだしたのだが、御主人がジャズの世話役もしていて、行ったり来たりしていた。
そのうち演奏を終わったバンドマン達も、店に現れて祝杯を挙げていた。
ジャズの本場は、アメリカである。
28年前の1988年10月にNCR米国流通業視察の出張で行った時に、ニューヨークの「ブルーノート」では無かったが、NCRの担当者が「ジャズライブ」の店に連れて行ってくれた。
そこでは入口でいくらか払い、ドリンクを注文して5~6人のジャズバンドを聴いた。
黒人の女性がパワフルに歌っていたのが印象的だった。
尺八持参なら飛び入りで演奏したかも知れない。それは無いか。
ジャズと言えば尺八で「テイクファイブ」「イパネバの娘」「茶色の小瓶」「アメリカン・パトロール」等を練習したり、発表した事もあった。
又、「A列車で行こう」や「ムーライト・セレナーデ」や「イン・ザ・ムード」「シング・シング・シング」「枯葉」が好きだ。
初めて知ったのだが、毎年府中市のいたるところで開催されるらしい。
私が行ったのは、分倍河原の駅前にあるビアホール「BOONブーン」が会場だった。
午後から1時間毎にバンドが代わり、4時から甥が所属する「早栄軒」なる4人のグループを聴いた。
彼らは早稲田大学出身で、学生の頃から継続している。
私は、彼らが学生の頃一度聴きに行った事があった。あれから25年以上経っている。
1ドリンク制で私はビールを注文した。当然、誘ってくれた姉や甥の兄弟関係者も集まった。
甥はずっとドラムを担当している。たいしたものだ。
私も、小学校では器楽班で小太鼓を叩いていたから、所謂血筋であろう。
何となく「ラーメン屋」のイメージのグループ名で、曲もやや面白おかしく、「餃子」や二度付け厳禁「串カツ」などの曲である。
ボーカルの説明で曲が進むのだが、演奏の前に彼らは相当飲んで来たらしい。しかし、ボーカルはダジャレなどを交えながら、楽しく曲を進めた。
曲の途中では「堺すすむ」のネタを披露したが、私はワクワした。なんでーか?
「前田健太とイチローが勝負した。どちらが勝ったか?」
私はすぐ「カタカナ」と叫んだ。解るであろう。ダジャレが。
もう一つ。
「パン屋さんであんパンと、メロンパンと、食パンが並んでいた。ジャムパンが『おーい』と声かけた。振り返ったのはだーれか?」
これもすぐ「ミミ」と叫んだ。そう食パンには耳があるから。
ボーカルのハーモニカはプロ級だった。上手い。
実質40分間の演奏はアッと言う間だった。
終了して、寄付した人には「ピンバッヂ」をくれると言うので、500円玉を用意された瓶に入れ
「JAZZ in FUCHU」のバッヂを貰って来た。
ジャズフェスティバルと言えば、阿佐ヶ谷でもこの時期に行っている。
中学の同級生TO君に誘われて、阿佐ヶ谷に出没したのは2年程前の事である。
彼のいとこが経営する焼き鳥屋「さつまや」が南口の通りにあり、何回か伺った。
たまたま土曜日だったのか、知らずに行ったところ、通りの空き地でジャズを演奏するところだった。
未だ、友人は来ていなかったので路上で聞く事にした。無料で折りたたみ椅子まで出ていた。
3~4人のグループでボーカル、ギター、クラリネット、ドラムで曲は余り知らなかった。
その後、友人と合流して「さつまや」で飲みだしたのだが、御主人がジャズの世話役もしていて、行ったり来たりしていた。
そのうち演奏を終わったバンドマン達も、店に現れて祝杯を挙げていた。
ジャズの本場は、アメリカである。
28年前の1988年10月にNCR米国流通業視察の出張で行った時に、ニューヨークの「ブルーノート」では無かったが、NCRの担当者が「ジャズライブ」の店に連れて行ってくれた。
そこでは入口でいくらか払い、ドリンクを注文して5~6人のジャズバンドを聴いた。
黒人の女性がパワフルに歌っていたのが印象的だった。
尺八持参なら飛び入りで演奏したかも知れない。それは無いか。
ジャズと言えば尺八で「テイクファイブ」「イパネバの娘」「茶色の小瓶」「アメリカン・パトロール」等を練習したり、発表した事もあった。
又、「A列車で行こう」や「ムーライト・セレナーデ」や「イン・ザ・ムード」「シング・シング・シング」「枯葉」が好きだ。