北原鈴淳 琴古流尺八教室 in八王子

尺八の音色は心を癒してくれます。

演奏すれば「無」の境地になれ、演奏が終われば満足感、充実感が得られます。

原田泰治との出会い

2015-08-13 17:15:00 | 文化・芸術
原田泰治(1940~)は1982(昭和57)年頃、朝日新聞の毎週日曜版に素朴画が出て有名になった。
子供のような心で、上から覗き込むような、ある時は下からの視点で書かれているのが特徴である。



1998(平成10)年1月、日本は長野冬季オリンピックに向けて、様々なイベントを行っていた。

私の出身地の南信州・飯田市から、さらに南に行くと下條村がある。
そう、あの峰竜太の出身地で有名である。
そこで地元信州からエールを送ろうと「盛り上げよう長野オリンピック」「ふれあいの祭典in SHIMOJO」というイベントが下條村であり、峰竜太と画家・原田泰治の対談がメインで行われた。

その前座では、午前中に下條歌舞伎があり、昼食時の「つなぎ」として、20分間位私が尺八演奏を頼まれた。ちょうど下條村には、私の小学校担任の佐川洋平先生がいらっしゃり、先生はあらかじめ女性アナウンサーに私との師弟関係をアピールされていたから、私の紹介時には、先生も名を呼ばれて立ち上がっていた。さぞ、満足だった事だろう。

私はまず挨拶代わりに「仁義」を演奏し、尺八の説明をしながら「春の海」「与作」「天城越え」「ふるさと」「春の曲メドレー」を演奏した。担当者がビデオ録画してくれて、後日DVDにした。

終演後、佐川先生が楽屋に訪ねて来られ、つもる話しをした。非常に喜ばれ、帰りには下條村名産の飲むヨーグルトを数本いただいた。さっぱりとして美味しかった。その時に先生から「同級会をやれ」と言う指示があり、それが元で実現し、たいそうご機嫌だった。
その後まもなく亡くなられたので、本当に良いタイミングだった。

2000(平成12)年2月、東京八重洲の大丸ミュージアムで行われた「原田泰治が描く日本の童謡・唱歌・100選展」(上記の写真)を新聞で知り出かけた。その原田泰治展の企画は朝日新聞社と信州のK社が中心に行っており、何とその担当者が私の高校の同級生K君だった。
彼もツアーで全国から海外まで行っていた。

サイン会もあったので、会場で絵を見てから記念にと一冊絵本を購入した。その本の表紙裏に筆で大きく「夢 泰治」と書いていただいた。



その時に「下條村でのイベントの前座の尺八は私だった」「私のいとこの夫の兄弟が昔、原田先生のところで働いていた」さらに「今、カメラで写している人は高校の同級生です」と言ったら、あわててメガネをはずされて握手となり、下の写真となったのである。
実はその同級生が、前掲の下條村に私を呼んでくれたK君だった。



2001(平成13)年秋、我が父の米寿の祝いは、父母と私の兄弟4人が諏訪湖畔のホテルで行い、その時に「原田泰治美術館」も見学したのだった。



2008(平成20)年5月から原田泰治が昔懐かしい全国各地の風景を描いた「ふるさと心の風景」なる80円切手が発売された。
第1集から第10集まであり、何シリーズかを購入した。
ただ残念なのは、その後に消費税が上がり封筒の場合、常に2円切手を貼らなくてはならない事である。
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