征希の治療を受けている長坂先生たちが戻ってくるやもしれぬ・・・昼食のお誘いなんぞあるやもしれぬ・・・
森下と午後1時半まで持ったが気配なし。
それで阿漕近くの『ありがとう』へ出向く。
津市の良心的な和食のお店です。
HPは以下。
http://www.tsu-arigatou.com/
『ありがとう』で検索するとすぐにアップ。
前はなかったから最近作ったんやろな。
『大将の奮闘日記』というブログまである。
店のカウンターに座って大将に「ブログも書いてるんですね」とネタを振ると、仕事の手を休めて相好を崩す。
「いやあ、恥ずかしい。でも、なかなか毎日は更新できなくってね」
ランチタイムは午後2時まで。
通常1300円の松花堂弁当がランチタイムには950円になる。
これがお奨め。
今日は節分。
大阪の海苔屋が編み出した海苔を売る戦略・恵方寿司。
今じゃ大阪だけでなく全国区やね。
俺にはその趣味はなかったが、娘たちが食べたいとかで奥さんに頼まれて都寿司に電話。
「ああ、先生・・・恵方寿司ですか、ええやってます、取りに来てもらうならいつでもいいですよ」
早速おんぼろエスティマを走らせる。
都寿司の玄関に張り紙・・・納得の味・・・じゃなくて、「今日は恵方寿司をつくるためにランチはお休みです」
スゴイね。
この様子じゃ都寿司、津シティマラソンの2月14日も「今日はバレンタインデーのためにランチはお休みです」くらいは張り出しそうである。
偶然、征希の車が駐車場に入ってくる。
長坂先生の治療を見ていた naru 先生、私もお願いします・・・とかで二人を治療したとか。
そりゃ、時間がかかったはずや。
『ありがとう』の松花堂弁当、一緒に食べたかったねえ。
今日は節分。
17年前の今日、俺は酒に酔っ払って古い塾の2階から飛び降りて脳挫傷に硬膜下出血で三重中央から松阪中央へ搬送。
「意識が戻ると保証はできません。意識が戻らないことを考慮に入れてください」との宣告を、奥さんが脳外科のドクターから告げられた日だ。
あの時の中3は7期生。
ユタカ(三重銀行)に啓之(ファイザー製薬)にマッツンやヤンマン(ともに美容室自営)たちがいた学年。
当時俺が住んでいた日本鋼管の社宅に急を告げに走ったのは、ユタカと朋希(カネボウ)。
当時3歳だった双子の娘たち、れい(18期生・三重大学教育学部1年)とめい(18期生・幼稚園勤務)を脇に抱えて走ってくれた。
警察がやって来て職務質問が始まる。
悪名高き塾長ゆえに、塾生の誰かが「鬼は外!」なんて言って憎っくき塾長を2階の窓から押した・・・そんな楽しそうな空想に浸っていたやもしれぬ。
救急車が到着、娘たちと救急車に乗り込んだ奥さん、脇によけた車を蹴散らすように疾走する救急車の中で何を考えていたのだろう。
それを思うと申し訳ない気分でいっぱいである。
奥さんのツモった牌が悪すぎたのだ。
今日はそういうことで、素面で家に帰る1年に1度っきりの夜。
そろそろ帰ります。
松阪高校2年の女の子がやって来た。
香保とよく似た天然ぶり。
あげく志望大学も三重大学医学部看護。
松阪高校という環境が天然人をつくるのだろうか・・・。
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