平城京から恭仁京へ、聖武天皇の遷都だ。そこから難波宮、更に紫香楽へ。それからまた平城京へ。まことにあわただしく落ち着かない。無駄の歴史ともいうべきか。
しかし春の恭仁京趾はまことに長閑で美しい。
近くの公民館に史料が置いてあり関連ビデオが見れる。
「例幣使」とは、朝廷がつかわした、伊勢神宮の神前に捧げ物をもっていく使者のことだそうだ。
これには費用が掛かるからその費用を賄うために設けられているのが例幣使料だそうで、この辺の田圃がそうらしい。
碑には「例幣使料境目傍金(?)石也」とあるようである。
この辺りは瓶原とかいて「みかのはら」と読む。「みかのはらわきてながるるいずみがわ・・」ここだったのか。いずみ川は木津川のことだ。恭仁京趾は伊賀の方から西へ流れてくる木津川の北になる。木津川は恭仁京趾のあたりから4kmほど西で、北へ向かって流れを変える。その手前、3kmほどの所に、京都府立山城郷土歴史資料館がある。
椿井大塚山古墳や鋳銭司の関係のものもある。
山城の鋳銭司は恭仁京から東へ2km以上行ったところにある。鋳銭司は「すせんじ」と読むのだが、山城の鋳銭司、銭司は「ぜず」と読む。現代も生きている地名らしい。