中山道 高宮宿
多賀大社からは随分離れているが、多賀大社の一の鳥居である。
中山道を行く人はついでにと多賀大社にも詣でたのだろうか。この辺りの中山道は県道528号線である。
犬上川の無賃橋に向かって南下し歩いてみる。壬申の乱のとき、近江朝廷側は犬上川付近に兵を集めたとある。
芭蕉紙子塚の家
本陣
脇本陣
無賃橋
無賃地蔵
犬上川はほとんど水無川であった。
大瀧神社付近のあの渓谷の水量はどこへ行ったのか。今は雪解け水が河川に流れ込み流量が増える時期だ。これはダムの影響だろうか、昔からそうだったのだろうか。
壬申の乱で、近江朝廷は軍勢を犬上川原に集めた。7月の始めである。川の流れはどうだったのだろう。
犬上神社・犬上の君遺跡公園(豊郷町)
高宮の次の宿場は豊郷だ。高宮から528号線を南下していけるはずだったが、途中工事をしており、迂回せざるを得なかった。あげくどこをどう通ったのかわからないがともかく犬上神社に行きつく。注連縄をした公民館の脇に車を停め、犬上の君遺跡公園へ。墓場脇の休憩所のような小さな公園だった。
犬上氏の故地とはいえ犬上川とは随分離れている気がする。
8号線を北上し、犬上川の手前で左折し、国府君(こうのきみ)神社を探す。ここは中山道とは関係ない。
随分違和感のある由緒だが。壬申の乱伝説の一つなのだろう。墨俣に不破神社というものがあり、そこにも天武が助けられた、という伝承があった。
鳥籠山(旭森 大堀)672年7月9日 大海皇子軍の村国男依は息長横川の戦いに勝利し、近江に進軍する。そして鳥籠山の戦いでも勝利する。これは敗走する近江朝廷軍の掃討戦のようなものであったという。
旭森小学校をランドマークにして行く。
旭森公園の脇に碑があった。
側面の文字は「鳥籠山については異説あるが、旧跡を残す意味に於いてこの場所に建立」とある。反対側は「ひるがほに居寝せうもの床の山」と芭蕉の句がある。
川は芹川、彦根市街方面へ流れる。地名は大堀町
芹川を渡り、旧中山道(東山道)を北上する。
行き違いが難しい道が続くが街道だ。