芹川を渡り、旧中山道(東山道)を北上する。行き違いが難しい道が続くが街道だ。少し宿場っぽくなってきたと思ったら鳥居本だ。
小さな資料館がある。
交流館とあった。パネル展示が主だが、中山道と宿が紹介されている。
一度8号線に入ってすぐ右折し、摺針峠へ向かうことを確認する。
峠からは琵琶湖まで見えるという。
それなのに摺針峠を見落としてしまったのである。
左北国街道 米原木之本へ、右中山道 摺針峠 番場 とある。
途中で道標も確認しているのに・・・
この道標を見た時にはすでに通り越していたらしい。
高速の脇を行く道だったのだが、峠というほどの所が分からないうちに下りになり、番場へ出てしまった。
番場にも小さな資料館があったけれど、近くの鎌刃城の照会がメインだった。
番場を過ぎ、米原JCT付近で高速の下を潜るのだが、そこに久禮(くれ)の一里塚跡があった。説明板は読めなくなっていた。
久礼の一里塚
これより東は中山道は21号線と重なったり離れたりしながら続く。
一端、醒ヶ井駅付近に出る。
壬申の乱の息長横川の戦いは、醒ヶ井の梓川付近とあったので、案内板か何かないかと思ったのだが、なかった。
梓河内という地名のみを頼りに行くも、さっぱりわからず。
それでもまた旧中山道に戻ると、梓川があるではないか。
この松並木の反対側はラブホテルが3軒並んでいる。
中山道の碑は見つけるも東山道横川駅跡はわからず。
でも街道らしい道が続き、
小川関址
続く柏原宿は大きい宿だったらしい。
資料館がある。伊吹もぐさが特産だった。
更に東進、近江・美濃境、
寝物語の里
JRと21号線を渡り、旧中山道は続く。
今須の宿。
この辺りに来るとまるで関ヶ原。戦国ウォーワールドとなっていく。
今須から出ると21号になる。その辺で旧道が分からなくなり、壬申の乱の激戦地、玉倉部だという玉を探すが、ぴんと来なかった