知度首塚(津幡)
平知度は清盛の7男、末子である。所謂源平合戦で最初に死んだ公達だという。母や生年も明らかではないらしいが、兄重衡の享年29歳、知度はその2年前に死んだ。20代の前半の死であったか。どちらかというと影が薄い。
首塚
源平盛衰記はその死を描くが、岩波文庫平家物語は語らない。
清盛の松 最近の移植らしい
実盛塚
首洗い池がある源平篠原古戦場趾と称する所から西へ五キロほどの所にある。
幹道からの入り方がよくわからなかったのだが、はいってみれば、意外に広く、よく整備されていた。
実盛の伝承は余程、後世に好まれたのか。
鏡池というのにも行ってみる。
同じ加賀市ではあるが、かなり西に行く。
いくらなんでも、ここで実盛が髪を染めたりはしていないだろうが、櫃に入った平安時代の鏡が見つかったそうな。
近くに橋立港という北前船で栄た港町がある。
資料館は休館
繁栄した町の名残が残されている。
海へ出る
広重の藍より少し濃い色の故郷の海に逢うたけれども とある。地元出身の俳人か、悪くない句だと思うが、知らない。
加佐岬