物忘れ防止のためのメモ

物忘れの激しい猫のための備忘録

鞍馬口から鞍馬へ 

2021-10-23 | 行った所

烏丸鞍馬口より東に向かう。鞍馬街道というのが正確にどこを通っていたのかはよくわからないが、鞍馬口から始めてみる。

烏丸通に鞍馬口という交差点がある。今出川と北大路の間だが北大路寄りだろうか。
鞍馬口の交差点から烏丸より一つ東の通りを南に少し行くと上御霊神社がある。


御霊神社は怨霊封じの神社だ。その祭神達は、早良親王・他戸親王・井上大皇后・藤原大夫人・橘大夫・文大夫・火雷神・吉備大臣とあった。それぞれに無実の謀反の罪に死んだり左遷されたりしたものだが、火雷神は明らかに異質だ。吉備真備も左遷されているが奈良時代のことだし、平安初期の帝王たちを特に恨む理由もないような。

面白いのは、応仁の乱の戦闘がここで始まったことだ。細川・畠山双方どっちがどっちの味方やったやら、という戦いを数年続けた挙句、どっちも負けとちゃうか、というありさまで、京は焼け野原となったのである。

鳥居の斜め前にあった碑、尾形が緒方になっているが光琳はこの辺にいたのか。

鞍馬口通に戻り東進、上善寺という寺がある。円仁やら小野篁に縁のある所とか。

寺の前に入江九一ほかの首塚、という碑があった。何のことかわからなかったが、入江九一は幕末の長州藩士で禁門の変で討ち死に。明治に名誉回復となったようだ。

出雲路橋がある。


賀茂川を渡る。

突き当たったところで北に向かう。

道なりに京都府立植物園の東の道をたどる。
道は広いとは言えず、アップダウンもあるが住宅街らしい。

叡電鞍馬線の京都精華大学前駅の手前付近で道なりに左へ、叡電に並行するように登っていく。片側一車線、中央にオレンジのハミ禁のラインが走る道は府道40号線、鞍馬街道だ。意外に交通量が多い。それもみんなかなり飛ばす。
小野寺のバス停がある。この辺りに補陀洛寺(小野寺)があるはずなのだが、車を止めれるところがない。脇道に入ってみたが、結局わからなかった。残念である。いつか叡電かバスを使ってきてみよう。
平家物語灌頂巻「大原御幸」「鞍馬どほりの行幸ならば、彼の清原深養父が補陀洛寺、小野太皇后宮の旧跡を叡覧あって・・・」と小野寺に寄ってから静原川に沿って大原へ向かったということになっている。夜をこめての出発とは早朝まだ暗い内に向かったらしい。大原への行幸はお忍びというが、公卿6人・殿上人8人と護衛の北面少々とある。
清原深養父は清少納言の曾祖父だという。
小野太皇后とは後冷泉帝の皇后歓子のことである。藤原教道の娘で入内するが、同時期の皇后として藤原頼道の娘がいたので、影の薄い存在とならざるを得なかった。後冷泉帝の死後は小野に籠り念仏三昧であったという。この歓子の元を白河上皇が訪れている。歓子は質素ながら機知と風雅に富んだもてなしで、白河や随行者を唸らせた。中右記(藤原宗忠の日記)等の史料があるようだ。
私はこの白河の小野御幸が平家物語の「大原御幸」の本話ではなかろうかとにらんでいる。
大原御幸には平家物語以外史料はない。これは徳子に六道語りをさせたいための付け足しだ。しかし物語としてはこれ以上の終章はないであろう。

小野・市原を過ぎ、静原を通り大原へ行く道は右へ行く。鞍馬へは真直ぐ北上。しかし旧道ではなく、長いトンネルの道となる。トンネルを抜けるとすぐ貴船と鞍馬への分かれ道がある。

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