Eos5D写真三昧 格安の海外旅行記と国内旅行のすすめ

海外旅行の情報を旅行記として綴った記録。EOS5Dとiphoneで撮った写真をあげております。

アテネ到着

2008年09月30日 23時51分31秒 | クロアチア旅行記2008年8月
アテネに午前10時頃到着。車を降りるとすごい湿気と熱気を感じる。湿度は日本並みである。ヨーロッパは全体的に空気が乾燥しているが、ギリシャは例外で蒸し暑い。ギリシャは地政学的にはヨーロッパの端に位置する国である。トルコは小アジアと呼ばれており、そこはもうヨーロッパではない。そのトルコと隣り合わせの国が、ここギリシャである。
 さて、徹夜状態だが、そんなことはお構いなしでパルテノン神殿を観光する。残念ながらパルテノン神殿は修復中であり、足場が建っていて景観が多少損なわれている。



この日は快晴。パルテノン神殿の丘は白い岩山であり、太陽光を反射してまぶしい。あっという間に日焼けをしてしまいそうな程に太陽光が強い。観光客のほとんどがサングラスをかけていたが、西洋人でない我々ですら流石にサングラスが欲しくなったほどである。しかも徹夜明けなので、なかなかつらい。



2400年の歴史のあるパルテノン神殿。流石に世界的な観光地だけあって、人の数がとにかく多い。完全に観光地化されてしまっており、2400年前の遺跡という雰囲気は残念ながらあまり感じない。入場料金はかなり高く、たしか2000円くらいはしたと思う。



パルテノン神殿は、エジプトのピラミッドと同じで一生に一度は見ておきたい所であった。来て見てわかったのは、アテネという町は自分が想像したよりも遥かに大きな都市であったということだ。市内地図は持っていたが、それでもパルテノン神殿を探し出すのには苦労した。5人くらいの道行く人に聞いて、なんとか到着したのである。

コソボ首都プリスティナ

2008年09月30日 01時16分57秒 | クロアチア旅行記2008年8月
例によって写真はビデオから落とした静止画。
コソボ首都プリスティナまではあと30キロ程。運転していると、奇妙な光景が飛び込んでくる。なんと、夜遅くのコソボの道端にヒッチハイカーがいるではないか。世の中には我々の予想を遥かに超える猛者がいるものだ。彼らに比べれば、私のやっていることはまさに潜入ゴッコに違いない。しかし・・・あんたら、いつか死ぬぞ。



スピード標識がある。戦車の制限速度は40キロらしい。

さて、ようやく車はコソボの首都プリスティナに着いた。時刻は既に夜の9時頃。だが、我々はこんな恐ろしげな国で一泊するつもりは毛頭ない。だが流石に腹が減ってきた。このままメシ抜きでコソボを走り抜けるのは不可能なので、首都プリスティナのメイン通り沿いにあるレストランで晩飯兼夜食を摂ることとなった。その通りの名前は「ビルクリントン通り」。コソボ紛争で1999年にアメリカ主導のNATOが空爆を実施してくれてありがとう、という意味で命名された「らしい」。このようにコソボの人口の大半を占めるアルバニア人は、アメリカが大好きのようである。現在のコソボ共和国の首相ハシムは元コソボ解放軍(KLA)のリーダーであった。KLAの所業といったら・・・、解放軍というよりも・・・テ○リスト集団に近い。勝ったテ○リスト集団である。戦犯の多いこと多いこと。というわけで、コソボにいるアルバニア人というのは、なかなかの恐い人たちで、いつ問題をおこさないとも限らないのである。
 さて、その通りに面したイタリアンレストランでピザを食ったが、これがなかなか美味かった。周りのお客が我々を珍しそうな目で見ている。しかし店内は至って平和である。日本の軽食屋と雰囲気は変わらない。ここだけを見ると、とてもNATOが暫定統治している国とは思えない。

 食事も終わり早速出発。目指すは一直線にマケドニア国境である。実はここから先のコソボの映像と、マケドニア国内の映像はまったく無い。運転して既に12時間以上も経っており、誰もが疲れていたのである。

 時刻は深夜に入り、日付は8月29日と変わった。コソボ―マケドニアの国境を無事通過する。マケドニア。この国は英語表記ではFYROMというが、これは「The Former Yugoslav Republic of Macedonia(マケドニア旧ユーゴスラビア共和国)」の略称である。マケドニアが国連加盟を申請するとき、国名を「マケドニア共和国」としたのだが、ギリシャがこれに猛反対した。これは歴史的な経緯と政治的な問題による。マケドニア旧ユーゴスラビア共和国に住むいわゆるマケドニア人は、古代マケドニア人の子孫でもなんでもない。彼らは中世スラブ人の末裔であって、独立した地域が、古代マケドニアの領土の中の地域を多く含んでいただけである。そういう意味ではギリシャも大差はない。ただギリシャは、すでに自国の州名にマケドニア名を使用しているのである。そう、ギリシャはマケドニアの領土的野心を警戒したわけだ。しかも古代マケドニア王に、あのアレクサンダー大王がいる。政治的にも歴史的にも対立しているわけである。
 そのマケドニアを超特急で通過して、いよいよギリシャ国境に入った。



Eos5D EF24-105m F4Lにて、車内より撮影。
これまでの道を、私は一人で延々と運転してきたが、マケドニアの国境を通過した途端に、安心したのか急にドッと疲れが出た。運転を家人に代わってもらい、私は助手席へ行く。写真は助手席から撮ったギリシャの高速道路である。流石は先進国、高速道路もキレイなものである。街頭が明るい。マケドニアの高速道路の街頭はほとんどなく、ギリシャのそれと比べるとはるかにオソマツであった。夜の道路をみただけでも経済格差がよく分かる。コソボなんて、高速道路なんてほとんど無かった。いつしか降っていた雨も止んでいた。