Eos5D写真三昧 格安の海外旅行記と国内旅行のすすめ

海外旅行の情報を旅行記として綴った記録。EOS5Dとiphoneで撮った写真をあげております。

アドリア海の真珠 ドブロブニク2 (スルジ山)

2008年09月17日 03時29分19秒 | クロアチア旅行記2008年8月
既に時刻は午後3時、太陽は西側に傾きつつある。この建物の写真は東側なので順光になっていて、空が一層青く見える。



時系列はバラバラになるが、旧市街散策の前、午後2時ごろにドブロブニクの向いにある山「スルジ山」に車で登る。スルジ山頂上までは徒歩の道もあることにはあるが、1時間は要するだろう。かつてはケーブルカーが頂上まで通っていたが、内戦時に破壊されてしまった。その残骸は現在まで取り壊されずに残っているが、美しくないのでその写真はUPしない。



写真はスルジ山頂の要塞跡からの眺め。実は私はこれが見たくてクロアチア旅行に決めたのである。

アドリア海の真珠 ドブロブニク

2008年09月16日 18時07分55秒 | クロアチア旅行記2008年8月
クロアチアのハイライト、アドリア海の真珠と謳われた町ドブロブニク。文字通り海に浮かぶ町であり、海の要塞でもある。旧市街には車を乗り入れることは出来ないので、旧市街手前の有料パーキングで車を止める。この日は火曜であるにも関わらず、パーキングはほぼ満車状態。なんとかパーキングに車を乗り入れる。駐車料金は一時間5クルナ(約115円)。



建物の様式や通路の排水溝、石畳の道の作りは、ヴェネチアのそれと非常に良く似ている。それもその筈、ドブロブニクは11世から14世紀半ばまで、ヴェネチア共和国の影響下で発展したのである。そして14世紀後半には、ヴェネチアから脱してラグーサ共和国を建てるが、15世紀にはオスマン帝国がバルカン半島に進出し、ラグーサ共和国はオスマン帝国の影響下に入ることになる。十字軍を利用して台頭したヴェネチア共和国は、後にオスマン帝国の浸透によって没落する。学校の歴史で少しだけ触れた内容のものが、ここドブロブニクで実物の建物を見て触れることによって、少しだけだが確認することが出来るのである。



看板

2008年09月15日 17時35分04秒 | クロアチア旅行記2008年8月
走行中よく目に入る看板である。おそらく山火事注意のサインか、あるいは焚き火禁止のサインか、それとも両方かのいずれであろうと思われる。ダルマチア地方の7月と8月は一年の中で一番降雨量が少なく、しかも乾燥しているので、マッチ一本火事の元である。
車に「HR」のステッカーが貼ってある。これはクロアチアの国を表したもので、英語ではCroatiaだが、クロアチア語ではHrvatskaと表記する関係上、ステッカーもCRではなくHRになっている。

ストンの町

2008年09月15日 00時55分02秒 | クロアチア旅行記2008年8月
車はストンに向かう。この辺りはカキの養殖が盛んであるらしい。写真の中に写っているブイは、おそらくカキを養殖しているものだと思われる。ただの湾の入り江に過ぎないが、海が青い。



ストンに到着。山頂には城塞がある。オミシュの町でも見たが、相変わらずすごい所に建っている。そして城壁が山を一周取り囲んでいる。まるで万里の長城である。ダルマチア地方の城に対する防衛思想は一言でいうと「極端」である。これはノルマン人に対する防御だったのか?はたまた、ヴェネチア共和国に対する防御だったのか、もしくはオスマン帝国に対する防御だったのか。いずれにせよ、これほどまでの防御力を備えた施設を私はほとんど見たことがない。



ここで昼食。さっそくクロアチアのカキ注文した。出てきたカキは・・・小さい。
つい日本のカキと比較してしまう。日本のカキは外殻も厚く身も肉厚であるのに対して、クロアチアのカキは全体的に薄い。味もちょっと薄い。やはり外国で日本人の舌を満足させられるシーフードはなかなか無い。

国境越え(五日目:8月26日)

2008年09月14日 04時44分41秒 | クロアチア旅行記2008年8月
五日目の最終目的地は「アドリア海の真珠」とも謳われているドブロヴニクである。しかし、ドブロブニクがある南ダルマチア地方は、ボスニア・ヘルツェゴビナによって分断された飛び地である。南ダルマチア地方に行くには、ボスニア・ヘルツェゴビナ領内を越えるしかない。ボスニア領はわずか10キロ程度で通過できるけれども、きちんと国境のゲートはあるし、パスポートのチェックもしている。
 写真はボスニア領から見た国境。国境では写真撮影はご法度だが、ちょっと離れた所で車を止め、車内からヒッソリと撮影した。この国境付近のボスニアの領土は、ボスニアでは唯一アドリア海に面した土地である。



ボスニア領をサッサと通過して、クロアチアの飛び地である南ダルマチア地方に入る。写真はクロアチアの田園風景。ネウム近郊にある、この田園地帯は一面に畑が広がっていて美しい。水路も一直線に伸びていて、思わず写真をパチリと撮る。

ホテル争奪戦(四日目)

2008年09月13日 03時36分06秒 | クロアチア旅行記2008年8月
四日目の夕方、おそるべき事態が起こった。なんとホテルをあたれどあたれど満員だというのである。omisから海岸線沿いに走り、町や集落でホテルをあたる。軽く10軒くらいのホテルに「今日は満員です」と門前払いを食う。8月25日は金曜でも土曜でもない。クロアチアの特別な日でもない。なんの変哲もない、ただの月曜日である。にも関わらずホテルは満員。そりゃオーシャンビューのホテルを望んだということはあるが、それにしても異常である。空き部屋のあるホテルが見つかったのは、午後8時30を過ぎた頃であった。完全にバタンQである。

写真は翌日早朝の部屋からの眺め。昨日はこの景色を拝めていないので、もったいないことをした。

omisの町

2008年09月11日 20時45分51秒 | クロアチア旅行記2008年8月
昼食のひとコマ。手長エビとイカと鯉のシーフード料理を食べる。だが世界で一番うまい魚を食っている国の人(日本人)の評価は厳しい。うまいことにはうまい。しかし値段も高かった。欧州人のシーフードに対する憧れと珍重ぶりは、実際尋常ではない。彼らに伊勢エビを食わせたらどんな反応を示すのだろうか?



klisの町より海岸線を走ること30キロ。omis(オミシュ)の町に到着。オミシュ名物のキャニオンを見る。町から1キロもないところに、この垂直の岩盤がそびえ立っているのである。




裏側から見るとこの通り。岩盤と岩盤の間の狭く細い空間に川が通っている。この写真では確認できないが、実は左の岩盤の頂上付近にも城塞が建っている。いったい、そんなとこまで攻めてくる敵などいたのか?と思ってしまう。

klisの城塞

2008年09月11日 02時34分07秒 | クロアチア旅行記2008年8月
ダルマチア地方に入ると、所々に城塞を見かける。その多くは切り立った岩壁の上に建てられたものが多い。また沿岸の街も城壁で囲まれたものが多く、アドリア海沿岸部の都市国家というのは、利権争いがよほど激しかったと思われる。写真はSplit近郊klisの町にある城塞である。



城塞内の窓からはアドリア海が見える。昔はこの一帯を支配下に治めていたのだろう。

四日目

2008年09月10日 00時18分56秒 | クロアチア旅行記2008年8月
朝にプリモステンを見下ろす山に車で登る。未だ慣れないマニュアル車で、砂利の坂道を登るのは勇気がいる。マニュアル車の坂道発進は教習所で習って以来である。その甲斐もあって景色は絶景。山より見下ろすプリモステンの町は、まさしく宮崎駿の「魔女の宅急便」である。もしくは「紅の豚」か。



この山は、ぶどうやオリーブやいちぢくの木で覆われていた。写真はヨーロッパブドウ。種ナシのブドウで、ほとんどが熟しすぎているが収穫された様子もない。一個拝借して口の中に入れてみた。甘い。流石はブドウ、クロアチアのカルスト地形の痩せた大地でもよく育つ。

プリモステン到着(三日目夕方)

2008年09月09日 01時08分35秒 | クロアチア旅行記2008年8月
SvetiRokを通過した後、E71号線を東に走り、Gracacで鍾乳洞を観た。洞窟内は写真撮影禁止なので残念ながら写真をUPすることは出来ない。そしてKninを通過して、いよいよアドリア海沿岸に出た。時間の都合上、クルカ国立公園観光は捨てた。Sibenik近郊のPrimostenで18時をまわったので、ここで宿泊。写真はプリモステンから見た夕焼けと、プリモステンの夜景(次の日の明け方)である。



夜景では分かりにくいが、クロアチアのアドリア海沿岸にある町は、海岸にせり出した出島のような形のものが多い。海に浮かぶ町である。



夕焼け直前の空。夕日が沈みかけているところ。空はまださほど赤くない。黒く薄っすらと覆う筋の雲が、後に鮮やかに赤く染まる。


8月24日(三日目)

2008年09月08日 00時38分19秒 | クロアチア旅行記2008年8月
三日目の朝は生憎の曇り+雨。クロアチアの8月は南に下がれば下がるほど降雨量は少なく晴れ間が多いが、ここはまだザグレブから南に130キロほどしか下っていない。この日は国道一号線を南下して、SvetiRokという大カルスト山地を見る予定である。写真はその途中にあるTitova Korenicaの近郊である。向こうに見える山の峰から先はボスニア・ヘルツェゴビナである。クロアチア紛争の時代には、この辺りにセルビア側の軍が大量に侵攻した。いかにも大軍が展開できそうな地形である。おそらく地雷も未だ多く埋まっていて未処理な地域もあるだろう。ここからボスニア・ヘルツェゴビナ国境線は10キロもないほど近い。



いよいよルノーの軽でSvetiRokの山道に挑む。ところで、クロアチアでは昼間でも車のライトを点けて走ることが義務付けられている。曇りだろうが晴れだろうが明るかろうが、みんなライトを点けているのだ。さて、SvetiRokの山道は舗装されておらずしかも狭い。対向車とすれ違うのも大変だ。しかも谷側にはガードレールが設置されていない。申し訳程度に石の柱が何本か立てられているだけである。これはちょっと怖い。



しばらく運転するとドクロマークの看板が現れる。これは地雷注意の看板だ。クロアチア内戦の時代に国内に設置された地雷がまだ残っているのである。この回りのどこかに地雷がある・・・。そう思うと、一種異様な感覚にとらわれる。



この日は天候が芳しくなく時折小雨も降りつける。景色は雄大な大カルスト地形なのだが、24mmの広角で撮ってもその雄大さは残念ながら伝わらない。これは私の腕がヘタクソということが一番の要因なのだが、それ以外にも理由がないわけではない。ほとんど360度全てにカルスト地形の山が切り立っていて、それがSvetiRokの景観の美しさの肝である。その一部を抜き出したところで、大した感じがしないのだ。



プリトヴィッツェ湖群国立公園3

2008年09月07日 02時34分58秒 | クロアチア旅行記2008年8月
湖群をはるか上方から見下ろすと、その青さが一層際立つ。遊歩道がS字に曲がっているのも美しい。この国立公園はさすがユネスコ世界遺産に登録されていることもあり、外国人が世界中から訪れている。その中で、私が体感的に多かったと感じた国の観光客は1位がドイツ人。次にフランス人であった。その次に日本人といったところであろうか。




プリトヴィッツェ湖群国立公園2

2008年09月06日 17時22分15秒 | クロアチア旅行記2008年8月
水の透き通ったこの湖には魚がいる。おそらくは鱒の一種だと思われるが、鯉みたいなデカイのもいる。国立公園で魚を取ることや、釣りをすることは禁じられているので、魚はうじゃうじゃいる。エサをやる観光客もいるので人を恐れていない。川岸付近で堂々と休んでいる。



この国立公園は大小16の湖と92の滝があり、総面積は約17000ヘクタール。非常に大きい。一日で見て回るのは容易ではない広さである。
この日は朝12時から夜は6時まで、6時間をぶっ続けで歩き通した。無謀である。

プリトヴィッツェ湖群国立公園1

2008年09月06日 00時58分01秒 | クロアチア旅行記2008年8月
プレトヴィッツェ湖畔国立公園に到着。入場料は一人110クルナ(2500円)と高いが、その景観には圧巻である。クロアチアは典型的なカルスト地形である。石灰の浄化作用によって水は見事なまでに透明・・・というか青い。朽ちて水に沈んだ大木が、まるで空中に浮いているようにすら見える。