※YOUTUBE より
マイページに登録してる作品にかんするもので、お気に入りの作品41点についてコメントされていた。僕はルーブル美術館にことの他思い入れがある。ユーロになってからの訪問はないが未だ入口にピラミッドが出来る前に足を運んだ。
僕のマイページのトップにはルーブルの至宝と云われるマナリザやニケ、ミロのビーナスはない。エジプト第五王朝?(BC2600-)頃の傑作「書記坐像」だ。誰のものか、作者は誰なのか?作品に関する情報は不明ながらこの作品を知らない者はいないだろう。
ルーブルの中でも傑作中の傑作。これをトップに飾る者も意外と少ないのだろう。
が機能しない為に「一覧」や写真(アルバムからの)をメモなどへの追加のためのアイコンが「固定」しおていて
クリックできない状態にある。何回かインストールを繰り返して対応を試みるも改善されない。
ブログで質問もしてみてる状況。ロス在住のKouji Takano氏によるアプリらしい。
¥450.-のアプリにしては、問題あり?
マウントバッテンは鋭くクリストファーを見た。
「なんだ、それは」
「歴史的に前例があります。嘗て1930年代に、”M"セクションは首相であったマクドナルドやボールドウィンやチェンバレンの許可なしに、報告もせずに、デズモンド・モートンによって作られました。経済的には、三代の国王ジョージ五世、エドワード八世、ジョージ六世によって直接に維持されました。ご存知のように、歴代の首相たちの愚かしい近視眼的な行動によって紛争が起きることを恐れて、そうした処置がとられたのです。特にボールドウィンとチェンバレン首相の時に、国王は英国がナチに対して無力のままに放置されていると感じられたからです」
マウントバッテンはクリストファーを注視した。普通ならば、マウントバッテンが歴史の講義を受ける立場ではなかった。
「”M"セクションの正当性は憲法にもとづいています。国王は国家の総攬者(そうらんしゃ)であって、首相は国璽尚書によって国王から権力を与えられているだけなのです。これがキー・ポイントです。もしも英国国王が、私たちの場合は女王ですが、首相の行為によって国の安全が危険に曝されると思われたときは、国璽尚書を取り戻せます。または、国王もしくは女王は首相の上に立って必要な処置をとることが出来ます。これについては、エリザベス一世以来、歴史上に多くの前例があります」
「お前を現役に復帰させたのは、俺の憲法史の家庭教師にするためではない。問題の核心に戻ってくれ」
クリストファーは答えた。
「私の報告を女王にお見せ下さい。現在の命令の下では私たちは誰に対しても情報を要求できませんし、誰とも情報を交換したり比較することが出来ません。それを女王に御説明下さい。警察に対しても、各省庁のさまざまな秘密情報部に対しても、英国空軍はおろか、私たち英国海軍の他の部に対しても、このままでは私たちは情報を要求することが出来ません。海軍大臣として首相の命令を超える女王の承認を得て頂かなければ、私たちはあなたの命令を実行出来ません。そして女王におっしゃって下さい。もしフルシチョフの身に何か起これば、女王の国家の安全が危険に陥るのです」
マウントバッテンはゆっくりと反応した。彼の鋭い眼がクリストファーを離れてしばらく宙に迷い、またクリストファーに戻ってきた。
「イーデンの頭を超えろだと。それがお前の提案か」
「そうです」
「イーデンは発作を起こすだろう。俺たちは大いに楽しめるぞ」
「これは真面目な提案です」
「わかってるさ、クリストファー」とマウントバッテンは椅子の背に凭れた。「この前別れたときから、お前は何処へ行っていたのだ。どこで歴史と憲法についての速成学位を得たのか、教えてもらいたいな」
「出来れば申し上げたくありません」
「しかし、お前はすでにイーデン首相の重要な命令のひとつに違反している。お前は俺たちが抱えている問題について、外部の人間に相談してるだろ」
クリストファーは沈黙し、マウントバッテンは彼の返事を待ち続けた。仕方なくクリストファーは答えた。
「はい、違反しました。私はそれが私個人のためにではなく、疑いもなく国家の利益のためになると感じたので・・・」
マウントバッテンが手を激しく振ってさえぎり、荒々しく言った。
「おい、くだらないメロドラマはやめろ。今朝、俺とお前は同じ結論に達した筈だ、老ウィンストンの援助は求めない、と・・・」
クリストファーも圧倒されて息を止めた。
「よし、わかったクリストファー・ロビン。お前がどこに行ったのかを俺は知らない、なんて思わないでくれ」
クリストファーは言う言葉がなく、マウントバッテンを見つめることしか出来なかった。「俺も実はそうしょうと決めたところだ」とマウントバッテンは言った。
「お前がノースウェイズのアパートでおもちゃのテディ・ベアのように眠りこけている間に、今朝の5時に決めたのだ。今夜、女王に会う」
メールによると現在、25万種類以上のアプリケーションがTwitterのAPIを使って構築されていて、ツイートを読んだり、投稿したり、新しいユーザーを見つけたりするためには、まずそのアプリケーションに対してTwitterアカウントへのアクセス権を許可する必要がある。
ところがアプリにはいろいろなタイプのものがあって、デスクトップアプリケーションやサイトアプリケーション、モバイルアプリケーションなどと種類が異なっている。
全てのアプリケーションはこの9月より「OAuth」(オーオース)と呼ばれる認証方式によってTwitterアカウントへアクセスすることが必須となるようだ。
そもそもOAuthとは2007年頃ブレイン・クックとクリス・メッシーナが始めたオープンプロトコルでデスクトップ、モバイル、WEBアプリケーションなどにセキュアなAPI認可の標準的手段を提供するもので、
・アプリケーションがユーザーからのパスワードの入力を必要とせずに、ユーザーの許可によりそのユーザーの保有するTwitterアカウントへのアクセス権を取得できる技術である。
・デスクトップアプリケーションとモバイルアプリケーションは一度だけパスワードの入力が求められるが、それ以降のリクエストはOAuthでないとタイムライン情報の取得やツイートの投稿などが出来なくなる。
これが意味するところは、アプリケーション側でパスワードを保持することが許可されないということである。
またTwitter.comでTwitterアカウントのパスワードを変更したとしても、そのアプリケーションは設定の変更をせずに継続して利用できる。
ただこのアップデート(OAuth認証に変わる)により、今まで使ってきたアプリケーションが急にアクセス権の許可を求めたり、アプリケーションが急に動作しなくなったりする可能性があることも指摘している内容であった。
なお、今までアクセス権を許可した全てのアプリケーションは、 http://twitter.com/xxxxx/connections で確認できるらしい。
VERACRUZ
この地名がそのまま題名になった西部劇の傑作が放映された。
主役は西部劇のキング、ゲーリー・クーパーだがもう一人の主役バート・ランカスターも丁度油の乗りきった41才の頃の作品だ。
黒ずくめの精悍なランカスターは当時その後のジュリアーノ・ジェンマのような雰囲気があって好きな俳優だった。この作品の3年後に「OK牧場の決闘」でカーク・ダグラスと共演している。
人種問題やら時代の変遷で今でこそ西部劇は廃退したが、西部劇から出世した俳優は多い。スティーブ・マックイーン、クリント・イーストウッドなどもそうだと思う。
僕が好んだ西部劇に「リオブラボー」や「プロフェッショナル」、「許されざる者」また グレン・フォードの「必殺の一弾」....etc 数に限がない。考えるに西部劇が好きだったのは確かだが一方銃に関心があったのも確かだ。
当時近くの日本橋高島屋にはライフル銃が売られていた。大口径の銃はなかったものの22口径のモスバーグやマーリンといったレバー・アクションの西部劇にでてくるウィンチェスター73の様な銃が売り場に陳列されていたのだ。立山君とよく見に行ったが当時の給料ではちょっと手が届かなかったのを覚えている。ただ酒と麻雀をやめれば購入できる程度ではあった。
結局西部劇の魅力の一つに、レバーアクションによる銃のまたリボルバー式の拳銃の早打ちなどがあったのだろう。映画の世界同様銃のメーカーも西部劇時代のコルトからシグやグルックなどに変わったのかも知れない。カーク・ダグラスは西部劇スターとしてだけでなく歴史物の映画例えば「スパルタカス」などでも気にいって見た。
勤めていた会社が新橋演舞場の近く木挽館ビルと呼ばれた所にあった頃に一度西部劇ドラマの傑作「ララミー牧場」や「拳銃無宿」・・のスターが来日しそこにあったホテルから外出する姿を見たことがあった。
今でもそうだが映画は日本のものは殆ど見ない。今まででも十本くらいだと思う。
「ヴェラクルス」は録画してあるので後で見る。
胃は、なぜ自分自身を消化しない?
ある日の’SCIENTIFIC AMERICAN’の論文の中に、このタイトルがあった。その記事の前後には’FUSION POWER’(爆縮)に関し、ローレンス・リバモア国立研究所からの記事が・・・・。
JUSTICE
先日NHKの衛星放送を何気なく見ていたら、ハーバード大学の今大人気の教授の講義の内容が放送されていた。
書店ではマイケル・サンデル著「これからの”正義の話”をしよう」と言う本が人気を博している。(原題は「JUSTICE」)この中で、一人の人間を殺せば5人が助かると言う状況で、その一人を殺せるか?
アマゾンからも同じ内容のDVDが出ている。アリストテレスの哲学を引き合いに出して、面白く聴衆を飽きさせずに講義する姿・内容に人気があるのだろう。
出版物の多さに今更ながら驚くが、読もうとすると選ぶのにも疲れてしまう。結局タイトルを見て中身を想像して購入には至らない。
新聞・雑誌・文庫本・・・新刊書毎日相当の数の出版物が世にでている。サンデルの本やニーチェやドラッカーきりがない。
最近はだから読まない様にしている始末。自分にとって必要のある情報だけを収集しないと、無駄な労力を必要としちゃうので気をつけろ!
「正義の話」も重要だが毎日を健康に楽しく生きることが肝心だ。
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「殺人に正義はあるか」
1) 犠牲になる命を選べるか?
あなたは時速100kmのスピードで走っている車を運転しているが、ブレーキが壊れていることに気付きました。前方には5人の人がいて、このまま直進すれば間違いなく5人とも亡くなります。横道にそれれば1人の労働者を巻き添えにするだけですむ。あなたならどうしますか?サンデル教授は、架空のシナリオをもとにしたこの質問で授業を始める。大半の学生は5人を救うために1人を殺すことを選ぶ。しかし、サンデル教授はさらに同様の難問を繰り出し、学生が自らの解答を弁護していくうちに、私たちの道徳的な根拠は、多くの場合矛盾しており、そして、何が正しくて、何が間違っているのかという問題は必ずしもはっきりと白黒つけられるものではないことを明らかにしていく。
2) サバイバルのための殺人
サンデル教授は、19世紀の有名な訴訟事件「ヨットのミニョネット号の遭難事件」から授業を始める。それは、19日間、海上を遭難の後、船長が、乗客が生き残ることができるように、一番弱い給仕の少年を殺害し、その人肉を食べて生存した事件だった。君たちが陪審員だと想像して欲しい。彼らがしたことは道徳的に許容できると考えるだろうか?この事例を元に、哲学者、ジェレミー・ベンサムの功利主義「最大多数の最大幸福」についての議論を戦わせていく。