一月の中旬は誕生日だったが これで又冥土に一歩近づいた訳でもある。誕生日になると「自分はどんな死に方をするのか?」と思うのだが、どうせいい死に方はしないのではないか^^とも思うが別に気にしてる訳でもない。
「生まれる方法は誰でもそうなのだが、たった一つしかない」しかし、しに方と言うことになると千差万別だ。古い話で恐縮するが「ヴァイキング」という映画があった。
記憶が正しければ。KIRK・DOUGLAS(カーク・ダグラス)の主演映画だったと記憶している、「生まれて来た事を後悔させる死に方をさせる・・という意味だったと思うが、海の磯に縛りつけられて蟹に食い散らかされる?という方法だった」が死は生れてくる事と同じだと言うような解釈をして・・同じ苦しみだと説いていた。始まったものには必ず終りがあり、永遠には続かないのだ。
時間とは物理的に決められた測定が可能な時間と、心理的に感じる時間とがある。人間にとって自由に使える時間はたかが知れている。運命はそんなに気にしてはいないし未来もいづれ過去になる訳だから、将来を悲観してもしょうがない。だから現在・・今が大切なのである。
イニシアチブを取る。他人に左右されず自らが決定して行動をする人間にはそれなりに救いがある。「先手必勝は言うまでもない」が他人に合わせるも必要か?前にも書いた気がするが「悲観的に準備をして、楽観的に処理」何事においても、「段取り」予め(あらかじめ)の入念な前処理、下準備は必須。これはセックスにおける「前戯」とは違う。
そういえば誕生日にいくつかのお祝いメールが届いたが、その殆どには「誕生日おめでとう」とあるが、本当に「おめでとう」なのだろうか?自分も含めて誰もが「誕生日」は知ってるのに「死去の日」は知らない。当然の事なのに不思議には誰も思わないし、「知りたくはない」ようだ。最近パソコンに国立天文台の天文シュミレーションが入れてあり時々眺めるがスケールを数光年で見ると太陽系などはかすんでしまう。自分の年を光年に置き換えてみると、そこにはあまり知られていない恒星が鏤められている。130~150億年前と言われる「ビッグバン」にはほど遠いのだ。
「誕生祝い」にとワインを貰ったのが一番嬉しかった。贈ってくれた人は好みを知っててか高級な「シャトー・マルゴー」をくれたが、かなりの出費をしたので、お返しも大変だ!相手が女性だから冗談に「チャーリとチョコレート工場の”ウォンカ・チョコ”」でも手に入れて贈ろうかな?まさか使うか使わないかもわからない「大人のおもちゃ」っていうわけにもいかないだろうし。
来年にはどんな物が来るのかつい期待しちゃいそうだが、それはこれからこちらが送ってあげるのにも関係するのかも知れない。