「Reading God's Mind」
途方も無い宇宙の彼方から、切れ切れに届く星の光。重力との戦いに敗れて崩壊への道を辿る、星のそんな光にも似て、スティーヴン・ホーキングの思想は計り知れない深みから途切れ途切れにやってくる。
この男は話す事が出来ない。進行性の不治の病のためである。人と話す時は、わずかな指の動きでコンピューターに意思を伝え、人工音声の力を借りる。
単語を一つ作るのに6秒ほどかかる。それでも、世界は彼の言葉を待つ。神の心を読まんとするホーキングの言葉を待っている。恐らく有史以来、誰よりも神に近づいているであろうこの男は、未だ65才、この男の偉大さを今評価するのは性急すぎよう。しかし、いささかのヒントがない訳ではない。
ホーキングのベスト・セラー「Brief History of Time」の表紙カバーの裏には、こうある---「ガリレオの命日に生まれ、かってニュートンが占めていたケンブリッジ大学数学科ルーカス記念教授の座に就き、アインシュタイン以来の天才といわれる物理学者」と。この本の付記で、ホーキングは三人の偉大な科学者にふれ、三者三様に歩んだ苦難の道を辿る。ユダヤ人として、また平和主義者として迫害を受けたアインシュタイン、異端の烙印を押されたガリレオ、そして微分法の発見はどちらが早かったかでライプニッツと争い抜いたニュートンである。
最も三人の苦難を全て併せても、ホーキングの病との闘いには及ぶまい。筋萎縮性側索硬化症、脊髄と脳の神経細胞が次第に崩壊していくこの病気と彼は20才の時から付き合っている。
ホーキングは「大統一論」という壮大な響きを持つ理論と格闘している。今世紀の二大知的成果である「相対性理論」と「量子力学」とを結合させた理論だ。
相対性理論は主として重力が定める宇宙の巨大な構造を扱うが、量子力学は反対に原子若しくはそれより小さい粒子の単位で作用する力を対象とする。この二つの理論が結合されれば、宇宙創生の謎が明らかになるかも知れない。勿論ノーベル賞に値する仕事だ。いや、究極のノーベル物理学賞に値すると言ってもいいだろう、この理論が極められたら後の物理学はホーキングの言葉を借りれば「エベレストを極めた後の登山のようなもの」だからである。
ホーキングは純粋に思索だけで問題を追及せざるを得ない。彼が選んだのは理論物理学。近年、科学者の観察力では及びもつかぬ段階にまで発展している分野である。観測や実験に頼る科学者が扱うのは、つまるところデータだけだ。
電子望遠鏡で見たり、粒子加速器で捕まえられる『神』など、さほどの『神』ではない。ホーキングの武器は、神と人間の共通言語と彼がみなすものは、『数学』のみである。ホーキングの研究で最も知られているのは、ブラックホールの性質に関するものだ。
ブラックホールは巨大な重力を持つ宇宙の落とし穴、星が燃え尽きる際に出来るものと考えられている。ブラックホールの周囲には、光さえも一度入り込んだら抜け出せなくなる地帯がある。「事象の地平面」とか「因果の地平面」と、呼ばれこれが宇宙とブラックホールとを隔てている。既にブラックホールの存在を示す決定的な証拠は未だないと見ている。その有無をめぐって、ホーキングはカリフォルニア工科大学の物理学者キップ・ソーンと賭けをした。そしてホーキングは無いという方に賭けたのである。1974年のこと、オックスフォードの近郊で開かれた学会で、ホーキングはブラックホールの蒸発という仮説を発表している。彼は量子力学の理論をブラックホールに応用したのだ。量子力学によれば粒子は不確定に動いており、真空は決して空っぽではない。そこで粒子と反粒子のペアが、ほんの一瞬くっついたり離れたりしている。
こうした相互作用が「事象の地平面」で起こったらどうなるか。粒子のペアのうち一方がブラックホールに飲み込まれ、もう一方は宇宙に投げ出されていく、つまりブラックホールは蒸発する。これがホーキングの理論だ。この説の重要性は、ブラックホールの存在を予測する「相対性理論」と「量子力学」を結合させた点にあった。ホーキングは大統一論へ向けての第一歩を記したのである。
ホーキングの友人のロジャー・ペンローズのブラックホールに関する論文をある日読んで、打ち込むべきテーマを見出した。「特異点」として知られる理論では、ホーキングはペンローズと共に、この理論のパイオニアである。 1970年代には、ホーキングはずっとブラックホールを主に研究していたが、1981年にヴァチカンでイエズス会が主催した宇宙会議に出席して、宇宙の起源と運命に関する問題に教義を振り回し、太陽が地球を周っていると宣言して、ガリレオにひどい仕打ちをした事があった。それから何世紀か経った今、教会は何人かの専門家を招き、宇宙論について助言してもらおうと決めたのである。会議の終わりに参加者は法王との面会が許された。
法王は、ビッグバンそれ自体は探求してはならない、何故ならそれは創造の瞬間であり、従って神の御業なのだから、と語った。彼は会議で語った主題を法王がご存知なかった事を知ってほっとした・・・その主題とは時空は有限であるが境界を持たないという可能性であったが、これは時空には始まりがなく、創造の瞬間がなかった事を意味する。ホーキングはガリレオの命日に生まれたという奇縁もあって、ガリレオには強い親近感を抱いていたのだが、彼と同じ運命を辿りたいとは思っていなかったのである。
※ホーキングは:「神は我々人間を気にかけているどころか、その存在すら知らない」と言う。そして物理法則を体言した存在を神と呼ぶ」とも言っている。
また、ある質問に答えて「宇宙は何故今の姿をしてるのか?」 「何故宇宙はあるのか?」という質問には-----
ホーキングは、初めの質問には答えが出ると思うが、後の質問には、果たして答えが見つかるかどうか解らないとしている。
「不幸は馬でやってきて、徒歩で去って行く」
'Misfortune comes on horse back and goes away on foot.'