≪「中学三年の冬、私は人を殺した」。二十年後の「私」は、忌まわしい事件の動機を振り返る―熱中した走幅跳びもやめてしまい、退屈な受験勉強の日々。不機嫌な教師、いきり立つ同級生、何も喋らずに本ばかり読んでいる父。周囲の空虚さに耐えきれない私は、いつもポケットにナイフを忍ばせていた…。「殺意」の裏に漂う少年期特有の苛立ちと哀しみを描き、波紋を呼んだ初の長編小説。≫
沢木氏の本は『檀』と『無名』を読み、これで三冊目なのですが、どれも非常に読みやすい。基本的に沢木耕太郎といえばノンフィクション作家で有名ですけれども、今作『血の味』は沢木氏初の長編小説ということでして。
たしかに『檀』はあの<火宅の人>檀一雄の妻、ヨソ子さんに毎週一度づつ、一年間という綿密なインタビューを重ねて書き上げられた檀一雄の伝記だし、『無名』は沢木氏の実父が病床に伏せ、亡くなるまでを描いたノンフィクションで。
どの作品もその都度、非常に感銘を受けさせられたが、今回は全くのフィクションということで、「どんなカンジだろ?」などと思いもしましたが、そんなことは言うに及ばず、で、ところどころ、これはノンフィクションではないのか?などと感じてしまう、そんなところが見え隠れして、いつも通りすんなりと惹き込まれていきました。
もちろん、誰かをモデルにしているわけでもなく、まして沢木氏自身が人を殺したことがあるわけでもないのだけれど、主人公の十五歳、中学三年生の『私』という存在がその当時の沢木氏自身に思えたり、また自分自身の十五歳の頃に想いが重なったりして、痛々しい哀切を覚えずにはいられませんでした。
何故『私』は殺人を犯したのか?それは本当に、わからない、わからないことだらけだと思う。それは十五歳の少年の素直な感情に他ならないし、この世の中、わかることなんて、本当はなんにも無いんじゃないか、って今でも思うくらいだし、せめてこういう本を読んで、何かを想ってみたり、何かを感じとってみたり、それらについて悩み、考えたりしたりをしてもらいたいです。近頃の、人を人とも思わず罪を犯している輩や、その予備軍になりうる短絡的思考の持ち主たちに。
沢木氏の本は『檀』と『無名』を読み、これで三冊目なのですが、どれも非常に読みやすい。基本的に沢木耕太郎といえばノンフィクション作家で有名ですけれども、今作『血の味』は沢木氏初の長編小説ということでして。
たしかに『檀』はあの<火宅の人>檀一雄の妻、ヨソ子さんに毎週一度づつ、一年間という綿密なインタビューを重ねて書き上げられた檀一雄の伝記だし、『無名』は沢木氏の実父が病床に伏せ、亡くなるまでを描いたノンフィクションで。
どの作品もその都度、非常に感銘を受けさせられたが、今回は全くのフィクションということで、「どんなカンジだろ?」などと思いもしましたが、そんなことは言うに及ばず、で、ところどころ、これはノンフィクションではないのか?などと感じてしまう、そんなところが見え隠れして、いつも通りすんなりと惹き込まれていきました。
もちろん、誰かをモデルにしているわけでもなく、まして沢木氏自身が人を殺したことがあるわけでもないのだけれど、主人公の十五歳、中学三年生の『私』という存在がその当時の沢木氏自身に思えたり、また自分自身の十五歳の頃に想いが重なったりして、痛々しい哀切を覚えずにはいられませんでした。
何故『私』は殺人を犯したのか?それは本当に、わからない、わからないことだらけだと思う。それは十五歳の少年の素直な感情に他ならないし、この世の中、わかることなんて、本当はなんにも無いんじゃないか、って今でも思うくらいだし、せめてこういう本を読んで、何かを想ってみたり、何かを感じとってみたり、それらについて悩み、考えたりしたりをしてもらいたいです。近頃の、人を人とも思わず罪を犯している輩や、その予備軍になりうる短絡的思考の持ち主たちに。
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