金沢の名所といえば、やはり兼六園であろう。(日本三大庭園だっけか?)
他県から来る人の大半は立ち寄る場所ではないだろうか?もちろん、他県の人間ではなくとも、春になればその周辺は桜に囲まれ、夏には生き生きとした緑を放ち、秋には紅葉、冬には雪化粧を纏い、四季折々の情緒溢れる顔が望めるとあって、地元の人間もしきりに足を運ぶ。
かく言う私も、幼い頃にはよく両親に連れられて兼六園に足を踏み入れたものだ。だがしかし、幼い子供にその情緒を解かれというのは酷な話で、そんなに楽しくもなく、だからこそ、そんなに思い出も思い入れもない。
それでもひとつだけ、兼六園のことを思い出すことがある。それは成人式の日のことだ。
かれこれ十四、五年前のことだが、私たちの通っていた学区の式場は尾山神社という街中に佇むわりと大きな神社の傍の文化ホールで行なわれた。昔から、この地域は成人の日は雪に見舞われる、という慣わしというか言い伝えというか伝説というか、そういったものがあって、この年もご他聞に洩れず雪が降り積もっていた。
そんな中でも私たちは、世間的に大人として認められるこの日に昂揚しながら式に挑んだ。私たちは他の学区の連中などと一緒に大ホールに集められ、やがてなにやら偉い人が祝辞や訓辞を述べたりして、滞りなく式を終えると、各学区の成人たちに分かれ会議室のような部屋に用意された酒や食事を振舞われた。そこで親しいもの、親しかったもの同士、中学を卒業して以来の者などと、同窓会さながらのテンションで近況を言い合ったりしていた。やがて宴もたけなわの頃にお開きの声がかかると、まだまだ物足りない連中が集まって「今夜、街にくり出そう」という話になる。自然な流れだ。
もちろん私もそれに乗っかって飲みに行くことにした。
さて、それじゃあまぁ、一旦帰って、また夜に。ということになって他の連中とは別れたのだが、このときつるんでいた五人で、何故そういうことになったのか、誰から言い出したのか(私のような気もする)忘れたのだけれど、今から兼六園へ行こう!という話になった。ここからならタクシーを使えば十五分かそこら。バスでも行ける。なのに、何を考えているのだろう、五人は「歩く」ことを選択した。
どうやら午前中で雪はやんだ模様だが、にわかに暖かくなったがゆえ、積もった雪が解けだし、もはや歩道はジャブジャブのグチョグチョの態。それでも私たちは歩いた。皆、慣れないスーツ姿に革靴で、一人は紋付袴で、およそ四十分強の道程を、ひたすら歩いた。
それでも私たちは、楽しかった。それが、楽しかったのだ。
兼六園は多くの人で踏み固められた積雪でツルツルしていて、そこかしこですっ転んでいる人がいた。私たちの中にも、いたはず。もしかしたら私だったかも?
そして私たちは、そんな雪化粧を施した兼六園内で、名物の雪吊り(北陸特有の重く湿った雪から木の枝を守るための冬になると木のてっぺんから縄で枝々を縛り固定するもの)をバックに記念撮影をした。
これが、私のいちばんの兼六園の思い出である。そして、この日以降、何度となく兼六園前は車で通っているが、園内には足を踏み入れてはいない。特に「見飽きた」とか「行き飽きた」とかではない。ましてや「つまらない」とか「興味がない」という訳でも、ない。
機会があれば、また行きたいと思う。今ならば、また昔とは違った心象を持てるだろうと、思う。それでもなかなか足を延ばさないのは、近くにありすぎるから、行こうと思えばいつでも行けるから、そういった甘えに似た意識があるからだろう。私にとっての兼六園とは、そういう場所なのである。
切実に、「兼六園に行きたい」と思うことは多分ないだろうけど、死ぬ前にもう一度くらい、行っておきたい場所ではある。
他県から来る人の大半は立ち寄る場所ではないだろうか?もちろん、他県の人間ではなくとも、春になればその周辺は桜に囲まれ、夏には生き生きとした緑を放ち、秋には紅葉、冬には雪化粧を纏い、四季折々の情緒溢れる顔が望めるとあって、地元の人間もしきりに足を運ぶ。
かく言う私も、幼い頃にはよく両親に連れられて兼六園に足を踏み入れたものだ。だがしかし、幼い子供にその情緒を解かれというのは酷な話で、そんなに楽しくもなく、だからこそ、そんなに思い出も思い入れもない。
それでもひとつだけ、兼六園のことを思い出すことがある。それは成人式の日のことだ。
かれこれ十四、五年前のことだが、私たちの通っていた学区の式場は尾山神社という街中に佇むわりと大きな神社の傍の文化ホールで行なわれた。昔から、この地域は成人の日は雪に見舞われる、という慣わしというか言い伝えというか伝説というか、そういったものがあって、この年もご他聞に洩れず雪が降り積もっていた。
そんな中でも私たちは、世間的に大人として認められるこの日に昂揚しながら式に挑んだ。私たちは他の学区の連中などと一緒に大ホールに集められ、やがてなにやら偉い人が祝辞や訓辞を述べたりして、滞りなく式を終えると、各学区の成人たちに分かれ会議室のような部屋に用意された酒や食事を振舞われた。そこで親しいもの、親しかったもの同士、中学を卒業して以来の者などと、同窓会さながらのテンションで近況を言い合ったりしていた。やがて宴もたけなわの頃にお開きの声がかかると、まだまだ物足りない連中が集まって「今夜、街にくり出そう」という話になる。自然な流れだ。
もちろん私もそれに乗っかって飲みに行くことにした。
さて、それじゃあまぁ、一旦帰って、また夜に。ということになって他の連中とは別れたのだが、このときつるんでいた五人で、何故そういうことになったのか、誰から言い出したのか(私のような気もする)忘れたのだけれど、今から兼六園へ行こう!という話になった。ここからならタクシーを使えば十五分かそこら。バスでも行ける。なのに、何を考えているのだろう、五人は「歩く」ことを選択した。
どうやら午前中で雪はやんだ模様だが、にわかに暖かくなったがゆえ、積もった雪が解けだし、もはや歩道はジャブジャブのグチョグチョの態。それでも私たちは歩いた。皆、慣れないスーツ姿に革靴で、一人は紋付袴で、およそ四十分強の道程を、ひたすら歩いた。
それでも私たちは、楽しかった。それが、楽しかったのだ。
兼六園は多くの人で踏み固められた積雪でツルツルしていて、そこかしこですっ転んでいる人がいた。私たちの中にも、いたはず。もしかしたら私だったかも?
そして私たちは、そんな雪化粧を施した兼六園内で、名物の雪吊り(北陸特有の重く湿った雪から木の枝を守るための冬になると木のてっぺんから縄で枝々を縛り固定するもの)をバックに記念撮影をした。
これが、私のいちばんの兼六園の思い出である。そして、この日以降、何度となく兼六園前は車で通っているが、園内には足を踏み入れてはいない。特に「見飽きた」とか「行き飽きた」とかではない。ましてや「つまらない」とか「興味がない」という訳でも、ない。
機会があれば、また行きたいと思う。今ならば、また昔とは違った心象を持てるだろうと、思う。それでもなかなか足を延ばさないのは、近くにありすぎるから、行こうと思えばいつでも行けるから、そういった甘えに似た意識があるからだろう。私にとっての兼六園とは、そういう場所なのである。
切実に、「兼六園に行きたい」と思うことは多分ないだろうけど、死ぬ前にもう一度くらい、行っておきたい場所ではある。
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