注文しておいた蛭子神社の注連縄を受取に行った。細くて長い2本が3千円。隣組の古株が「作ったらええんじゃ」と得意げに言うが、やるとは言わない。そもそも藁が無い。
紙垂(しで)の作り方はネットに様々出ているが、手元にある見本と微妙に違っている。
もう少し細い方が格好いいと思いつつ、所変われば・・・・・、見本どおりに作った。
ギンガハゼとニシキテッポウエビを見ていると時間を忘れる。
ちょっと掘りすぎ、崩れるぞと心配していると
崩れた。昨日は人間に2回崩された。
全く気にする風はない。感情は無いのか。水槽の魚を見ていると感情を見た気がする時があるけれど、それはこちらの期待を写しているだけのことと思う。真骨魚類には感情らしきものがあるとの研究報告があるとか。"らしきもの" というのは原初的と言う意味だろう。ハゼはともかく、エビにはなさそうだ。
感情があってなお、何度崩れても倦まず弛まず休みなく働ける(?)筈が無い、と思うのは私が典型的「感情の動物」だからか。