数日前に見た夢は、「Spufé Sé」という綴りを見て、意味が分からず、「この綴りを覚えておいて、明朝起きたら辞書を引こう」と思う内容だった。夢の中で、これは夢だと理解している点が奇っ怪だった。実際、翌朝、起きたときに綴りを覚えていて辞書をひいた(意味はやはり分からなかった)。夢が実現した(かなった)わけである。この場合の「夢」は夜見る夢(Traum)のことであるが、「夢」には願望(Wunsch)・希望(Hoffnung)の意味もある。大谷選手が実現した「ワールドシリーズで優勝」の夢はもちろん後者である。
大谷選手は、既に高校生のとき「人生設計ノート」に「ワールドシリーズ優勝」を書いていた。その他、当該ノートに書いたことを次々に実現するから、そこに書いたことは「夢」というよりタイトルそのままに「設計」だったようである。38歳時には「結果が出なくなり引退を考える」そうだから、いっそう現実的である。だが、メジャーリーグを引退してもそれで終わりではなく、帰国してリトルリーグを指導し優勝させると書いたそうだ。大谷選手の場合、これも「夢」ではなく「設計」なのかもしれない。
何歳になっても夢を持つのは良いことである。例えば、シニアから楽器を始めて名人になる夢だって見てバチは当たるまい。スター錦野は、70歳を過ぎてフルートを始めて3年経った今、ちゃんと曲を吹いていたから大したものである(徹子の部屋)。私は、いろんな楽器をやる中、特にフルートに苦戦してるから尚更尊敬である。聴くと、スター錦野は昔からトランペットを吹いてたというから楽器の素養はおありなのだな。ウチにはトランペットもあるが、これはもう苦戦どころではなくなかったことにしているからウチの楽器のラインナップには入ってない。それでも格闘した経験のおかげでちゃんと吹いてる人を尊敬できるようになった。競馬のファンファーレも吹けたらいいなと思う。
ラインナップに入ってる楽器については、プータローになった時点で、どれもこれも一日10分ずつ練習して全体的に底上げしよう(護送船団方式)という「設計」をしたのだが、既に「夢のまた夢」と化している。計画がブレるところが大谷選手と超凡人たる私の違いである(だが、現総理大臣とは似たり寄ったりである)。こないだある楽器について体験レッスンを受けたときは、よし、あれもこれも先生につこう!と心中の熱気球がおおいに膨らんだものだが、気球は直にしぼんで墜落してしまった。お月謝をどうやって工面しようか、という心配は杞憂に終わった。
そんなくせして、トロンボーンを買って吹いてみたいという夢は相変わらずである。性懲りもないとはこのことである。
因みに、友人にアマチュアのカウンター・テナー(裏声で高い音域を歌う男性歌手)がいるんだけど、彼はもういい歳。カウンター・テナーは衰えが早くて、彼の歳のカウンター・テナーなど滅多に聞かない。でも、彼は歳に抗っていつかシューベルトの「美しい水車屋の娘」のリサイタルを開くと言っている。本人は「設計」のつもりだけど私から見たらこれも「夢のまた夢」である。人のことで悪いけど。
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