方言と言えば、言わずと知れた奥出雲のズーズー弁となるのですが、番組の中で「ほいた」という言葉がありました。アレッと思いました。
辞書を見ると、乞食・ほいと ほかいひと ほかひ- 【〈乞児〉】祝福する言葉を唱えて家の戸口に立ち,食べ物をもらって歩いた者。乞食のこと。「ほいと」ともいふ。「ほいたう」は陪堂の宋音。もと禅宗にて僧堂の外堂に陪して食を受けし食客僧を称してより起る。〔中国、四国、奥羽、北陸地方の方言〕とあります。
30年も前に、とある会合で「なまり」の話になり広島の人と「ほいと」が同じ意味であることを知りました。辞書では欲人と書かれていました。五木の子守唄の「かんじん」は勧進で「乞食」を意味する事。勧進聖が門づけとなり乞食と呼ばれるようになった、底辺の聖職者=芸能者の哀しい歴史背景や、また芸能民が被差別民だったと網野さんの著書に見られます、「あん人たちゃ良か衆、良か帯良か着物・・・・
四国遍路が世界遺産に登録できれば良いなと思います。遍路は遍路道を通り88カ寺をめぐります。ほんの50年位前には「ほいと」と呼ばれた人たちが街をめぐっていました。今からは想像できないくらい貧しい時代でした。その頃その人たちを「へんど」と言っていました。四国遍路にはお接待と言う風習がありますが映画にあったように村々からは追い出される様な事があったのかもしれません。悲しい時代です。
(こじきは地方によりコジキ,モライ,カタイ,ホイト,カンジン,ヘンドなどをはじめ実にさまざまの呼び名がある。コジキの呼び名も元々は仏僧の托鉢を意味する乞食(こつじき)からきている。)
「砂の器」でハンセン病が描かれなくなっているとかと、どこかで見たことがあります。また、「水俣病」のユージンスミスの画像の一部が使えなくなっています。人知れず消えてゆくものがありますが、それぞれに悲しむ方が居られるのかと想像します。
決して昔が良いわけではありません、でも今のネットほど簡単に他人を責めることはなかったように思います。
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