旅が好き・そして日々の時間で気の付く事を。

旅では人々の生きた来た跡を訪ねてみたい。
時間が出来たので、今までにしなかった事に手を出してみようと思う。

阿漕が浦に引く網も度重なれば人もこそ知れ

2020-05-13 10:29:49 | 日記
伊勢の国阿漕が浦に引く網も度重なれば人もこそ知れ
 能の「阿漕」は、「鵜飼」や「善知鳥(うとう)」などの殺生をして地獄に落ちる演目として有名。

阿漕が浦に引く網とは、
 人知れず行う隠し事も度重なれば人に知られてしまうことのたとえ。
 阿漕が浦は、伊勢神宮に奉納する魚のために一般人には禁漁地だった。


  愛媛県「大洲市肱川での鵜飼」の写真

津市にある阿漕が浦に行ってみたい。津の近くの港は三津七湊として古代の港で阿野津と呼ばれ栄えていた。


「善知鳥神社」 青森市
 能の善知鳥は見ていないが演目に興味があり、青森ねぶたを見に訪問した折の写真。

偶然も何度もあればそれは必然
 一つ一つはそれなりに理由がつくが、似たような何かが続くとそれはもう必然。そこには続くそれなりの合理的な理由がある。


人知れず進む事態に、自分とは関係なと思っていたら
 丸山眞男訳、「現代における人間と政治」(1961年)Wikipediaから引用

 ナチが共産主義者を襲つたとき、自分はやや不安になつた。けれども結局自分は共産主義者でなかつたので何もしなかつた。それからナチは社会主義者を攻撃した。自分の不安はやや増大した。けれども自分は依然として社会主義者ではなかつた。そこでやはり何もしなかつた。それから学校が、新聞が、ユダヤ人が、というふうに次々と攻撃の手が加わり、そのたびに自分の不安は増したが、なおも何事も行わなかつた。さてそれからナチは教会を攻撃した。そうして自分はまさに教会の人間であつた。そこで自分は何事かをした。しかしそのときにはすでに手遅れであつた。

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