古い映画です、田中絹代さんですから。
おやッ?と思ったのは厨子王が兄になっていました。確か安寿がお姉さんのはずだった・・・が、母と二人の子供は今の福島県いわき市から、阿武隈川河口の荒浜から会津若松へ、阿賀野川・信濃川から日本海側の新潟へ出て直江津で人買いの松岡太夫に会い母親は佐渡へ子供たちは現在の京都府宮津市由良川河口の山椒大夫屋敷に入った。
旅好きにはどの通を通ったのか、仙台~芭蕉と同じように最上川を下り酒田に出てとか、いろいろ想像します。
。映画では森鴎外の小説とは異なり、時間的な制約もあり親兄弟の情愛を主題にしているのでしょう。
百人一首の「由良のとを渡る船人梶をたえ・・・」の歌枕の地と山椒大夫屋敷跡を訪ねました。
説教節の「さんせう太夫」では、厨子王が神仏により救われて出世したり。安寿は弟を脱走させたため山椒太夫の息子三男の三郎によって残酷な拷問を受け殺される場面や、山椒大夫や息子三郎に対する凄惨な復讐などは小説・映画共に省かれている。
水上勉の書いている説教節を読むと違いがよくわかり、中世から伝わる語り物の世界と明治の近代化の中の小説の求められる違いが興味深い。
安寿が汐を組んだ場所と言われています。
由良川河口に再び行く機会がありました。
由良川河口です。
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