漕手のやんごとなき日常

~立教大学体育会ボート部の日常を漕手目線で~

加害者A 2年内山

2017-05-14 23:07:32 | 日記

更新が遅くなり申し訳ありません。
荒川の土手沿いに満ちた桜の花もとうに散り失せ、5月の澄んだ空に葉桜の緑が映える眩しい季節になりました。
青々と芽吹いた若葉の匂いがさわやかな風に乗って運ばれて夏の始まりを予感させます。
長かった冬のシーズンが終わり、夏に向けて本格的に動き始めました。
私事ではありますが、1ヶ月半のあいだ私は怪我によって水の上から遠ざかっており、ウェイトで追い込み、エルゴでタイムを追い求め、水上ではひたすらに漕ぎ込んで力をつけるはずの冬の練習を思うようにすることができませんでした。

それだけではなく、私がずっと憧れ続け、ようやく念願かなった日立明のエイトのポジションも怪我によって降りなければなりませんでした。
全日本で手の届かなかった女子エイトに乗ることができ、そして打倒明治、立教女子初優勝を狙って練習に取り組んでいたところの怪我で、私は目標を失ってしまい何もする気が起きなくなってしまいました。
中学、高校と引退してもすぐ漕ぐ生活を続けておりずっと練習を長期間休んだことがなかったため、1ヶ月半という時間は私にとって初めてボート部でいることが苦痛に思える時間でした。

日立明目前。何故今なのか。何故私なのか。レース当日、自分がいなくても進んでいく艇を見ながら自らの存在の意味について考えていました。
明治に水をあけて勝利した瞬間、心から喜ぶことができない自分が本当に嫌いでした。悔しくて悔しくて1人だけ異色な涙を流していました。

先輩や後輩、そして同期が朝から夜まで練習に励んでいるのに漕ぐことすら何もできない歯痒さ、自分の体が衰えていき皆に置いていかれるのが怖くてうまく眠れぬ夜が続きました。
そんな苦しいなかで、私がそれでもボートにしがみついていられたのは、1人の先輩が私のことをずっと、待っていてくださったからです。

私と一緒にクルーを組みたいと、怪我をしている間でも帰ってくる場所をつくって待っていてくださいました。
エイトから自分のポジションがなくなってしまったことにショックを受けていましたが、待っている、と言ってくださった先輩の言葉に私は本当に救われました。先輩のために戦いたいと強く思いました。
接骨院に通い、自分で怪我について調べ、早く治すことだけに集中し、漕ぎのビデオを見てひたすら頭にイメージを叩き込みました。

怪我をしていてもやれることはある。
今回の怪我で、ボートに乗っているだけではわからなかったこともたくさんありました。普段自分がどうやって漕いでいたのか、何故怪我をしてしまったのか。一度ボートから離れ、客観的に自分を見つめ直すことで見えてくるものがありました。
怪我をするのは本当は良いことではありませんが、新たな一面を知ることができたおかげで、自分に足りないものがよくわかりました。そういった意味では、今回怪我をしたことは意味のあることだったのだなと思いました。

怪我はしたくてしたわけではありません。しかし、いつまでも「自分は怪我人です」と被害者意識でいることは自ら成長を止めることを意味します。自分が欠けることによってクルーに多大な迷惑をかけてしまいました。むしろ加害者でもあるのだということを今回身に染みて感じました。

私が今すべきことは、去年選ばれなかったインカレクルーのポジションを勝ち取り、優勝することにあります。先輩とともに表彰台の一番上に立つことが私の今の目標です。
再スタート、これからが勝負です。