漕手のやんごとなき日常

~立教大学体育会ボート部の日常を漕手目線で~

「今」 4年 榮原

2021-09-23 18:03:22 | 日記

こんにちは。
主将の榮原です。

引退前最後の日記ということで、書くことに凄く悩みました。何をどう書いてもこの4年間のことを伝えられるとは思えないのです。
でも、そのくらいこの4年間には「凄い何か」がたくさん含まれていたのだと思います。

「素晴らしい日記を」なんて思ったものですが、今の気持ちを思うままに書いていくことにします。

日々考えることがありました。「タイムトラベルができたら良いな」ということです。

そう思うのは、自分が今までした選択に後悔が残っているからです。もしボート部ではなく留学していたら、もし高校で野球を続けていたら、もし都会に生まれていたら…
考えるだけでも過去の分岐点が無限の可能性をはらんでいるような気がして、やるせなくなる時もあります。

ただ、この問題には大学4年間で一つの結論を導き出すことができました。
それは「もしタイムトラベルができても、僕は過去を変える選択をしない」という結論です。

理由は簡単で「今」というものの可能性や素晴らしさに気づくことができたからです。

おそらく自分自身はどんな選択をしても後悔が残るのだと思います。過去に素晴らしい選択を選びオリンピックで金メダルをとっても、ハーバード大学に入学しても、きっと何かの後悔は残ります。

全てを手に入れることなんて不可能で、皆なにかが欠けていて、それでも「今」やりたいこととか、「今」思いつく目標にひたすら手を伸ばしているのです。

そしてきっとそれが人生を生きるということなのだと実感しました。

消してしまいたい過去の失敗や、恥ずかしい自分自身、選択の後悔も、その感情はその過去そのものがなければ存在さえしないのです。失敗したら学び、後悔は未来への糧となります。
もしその失敗や後悔がなければ「今」築き上げた人間関係や価値観がないのだと思うと少し切ないような気がします。

そう考えると、「今」経験している苦しいことや辛いこと、投げ出してしまいたいことだって不思議と愛おしく思えるはずです。
その事実があるからこそ人は成長し、学んでいくからです。

僕は「今」が大好きです。

「今」は、
成長していく自分自身であり、
それは成長した自分自身でもあり、
未来、まだ見たことない人々や自分自身、経験の可能性そのものだからです。

「今」辛いことがあっても、
それはいずれ確実に意味のあるものになるのだと信じています。

「そうやってこの瞬間を噛みしめて生きていこう」

かつて些細なことで一喜一憂して、まるで何もかもダメになってしまうような気がしていた僕自身が日々思う大切な気もちであり、この4年間が与えてくれた「強さ」です。

だからこそ、この先も大丈夫なのだと確信しています。
大きな壁を前に悩んでも、茫漠な時間の中で目標を見失っても、走り続けることだけはやめないと決めているからです。

まずは一ヶ月後の大会まで、全力で。そして全員で。