漕手のやんごとなき日常

~立教大学体育会ボート部の日常を漕手目線で~

最高の夏!ありがとう!! 3年山田雄恒

2023-09-27 20:40:00 | 長めの日記

先が全く見えない日々の中書いた前回の日記から早3ヶ月、2度目のインカレ優勝という結果をもって、完全に競技復帰することができました。

3年山田雄恒です。


まずは、インカレにて昨年以上に大きなご声援、ご支援をいただき本当にありがとうございました。

ここに戻ってくるまでに本当に色々な事がありました。私自身は、前回の日記執筆時点で1ヶ月弱、そしてその後もさらに丸1ヶ月以上ボートを漕ぐことができない日々が続いてました。

さらには7月下旬に1年岡山の膝の故障も悪化し、最終的にクルーを組み始めたのがチームとしての強化練習が始まってから、時期的にはインカレの4週間程前からでした。

そのためクルーとしてのユニフォーミティを高めるだけでなく、4人のうち2人は体力や筋力を戻すところからのスタートでした。


このような状況から日本一を勝ち取ることができたのは、明確な理由があります。

それは、自分達自身や他のクルーメンバーを、日本で1番「信頼していた」からです。


ここで私が1番言いたいことは、あの0.09秒差での優勝は偶然やラッキーで得られた勝利では決してなく、どんなに困難な状況下でもクルー全員が自分を信じ、仲間を信じ行動してきた結果であるということです。

フォアでの練習ができていない期間でいえば、

和気さんとノブは、試合当日までに私や岡山の怪我が治る保証がない中でも全日本後から実施していた2-での練習を2人で黙々と継続してくれました。

慎之介は、体調不良や怪我を抱えながらも、サイドチェンジやできる部位の筋トレなど私が課したオーダーを11つ着実にこなしました。

また私自身も、このような他3人の熱意やそれに伴う行動を1番近くで見ていたからこそ、一度も全員一緒に漕いだことがないながらもこの3人に絶対的な信頼を置くことができました。おかげでリハビリにも集中でき、インカレ時には間違いなくフィジカル、技術共に過去最高の状態に持っていくことができていたと思います。

イメージする映像の共有や陸上でのコミュニケーションも徹底的に行い、個々で方法は違っても4人で同じ方向を向きながらその時できる準備を毎日ひたすら続けました。その甲斐もあり、初めて練習した際からバランス感覚やドライブ感の統一という面では中々の完成度を出せていました。

しかし陸でのアプローチのみでは限界があったのも事実であり、組み始めは一番肝心であるスピードを出すという点においてかなり苦戦しました。8月末に行われた東日本TTでは逆風ではあったものの7分を切ることすらできず、同じ組みの明大にも先着を許しました。

しかしレース後の切り替えは4人とも恐ろしく早く、結果に一喜一憂せずにその後の練習でもレースで出た課題を1つずつ確実に克服していきました。MAXスピード、コンスタントスピード共に10日かけて少しずつ向上させ続け、迎えたインカレ予選、ゴール前で腹を切るアクシデントがありながらも全体のトップタイムで通過しました。

準決勝も全体2番タイムで着実に通過し、最終日に最高のパフォーマンスを発揮する絶対的な自信を持って決勝に駒を進めました。

しかし、ここまで順調に準備を進めても舞台はインカレの決勝。

中盤で相手を圧倒的に引き離すプランを立ててはいましたが、楽な勝負はできないことは分かっていました。

ノブの日記に書かれていたように、決勝前夜のミーティングで「最終盤まで出られたとしても俺たちが1位でゴールする事実は揺るがないから、最後の最後死ぬほど上げても絶対についてきて。」と伝えました。

そして迎えた決勝レース、500mをトップ通過するもプランとは逆に中盤で詰められ早稲田、同志社と横並びのまま1500mを通過しました。すぐにスパートを入れましたが相手も一歩も引かず、ラスト200mではとうとう早稲田に出られました。しかし、自分でも意外でしたがこの時の心境としては「こいつらすげえな」というライバルへのリスペクト、そして「この4人で一体どこまでスピードを上げられるんだろう」という好奇心が大部分で、しんどさ、苦しさや負けるかもといった危機感はその時は全くと言っていいほど感じませんでした。今振り返って見れば苦しい展開でしたが、漕いでいる最中にここまで夢中になれてワクワクしたレースは9年の競技人生でも初めてで、本当に楽しかったです。

そのまま「行こう!」と叫びレートを瞬間値50まで上げ、無我夢中で漕ぎまくりました。

前日のミーティングでの誓い合い、また何よりもクルーを組んできた過程で築き上げた絶対的な信頼があったからこそできたことで、トレーニングは理論的に行なっていても、最後の最後で表れたのはそのような築き上げた信頼が裏付ける4人全員の気持ちの強さであり、その結果、心身ともに限界に近い中でも4人で艇を進め続けられたのだと思います。

ゴール直後は私しか勝利を認識していませんでしたが、桟橋で正式結果を知り監督コーチを含めて全員で抱き合って喜んだあの光景は生涯絶対に忘れません。


ここまで私が日本で1番信頼しているクルーメンバーのことばかり語らせていただきましたが、私たちがこれほどまでにお互いを信じ合い進むべき道を真っ直ぐ進むことができたのは、沢山の人々が多大なるご協力により、その真っ直ぐをぶれないように支えてくださっていたからです。ゴール前での絶大なるご声援はもちろんのこと、不自由なく競技に取り組める環境を整えてくださっている日頃のご支援、そして歴代の先輩方が遺してくださった対抗種目のプライドなど、何一つ欠けても得られなかった結果です。金メダルももちろん嬉しいですが、そのようなたくさんの人々の応援に恥じない最高のレースを、最高の仲間たちとできたことを何よりも誇りに思います。

ただの順位や記録だけには収まらない、自分にとってかけがえの無い大きな意味を持つインカレになりました。


長くなりましたが、改めまして、本当にありがとうございました。

立教大学ボート部、そして「立教大学のM4-は、これからもっと強くなります。

私は、2016年に勝又さんたち高校未経験の先輩方4人がM4-で全日本選手権史上初優勝を成し遂げた姿に憧れ、M4-でどうしても日本一になりたくて立教ボート部に入りました。これは入部当初から「何で立教に入ったの?」と聞かれた際にずっと言っていることです。しかしその目標は別のもの変わりつつあります。それは「立教史上最速のM4-を作ること」です。決勝レース後に沢山の人に「エイトと無しフォアが1番盛り上がっていたね!」と声をかけていただき、何とも言えない感慨深い気持ちになりました。

ボートの花形はM8+と言われている中で、自分が大好きなM4-で会場を盛り上げられたことがとても嬉しかったのです。他大の選手からすればちっぽけな目標なのかもしれませんが、誰がなんと言おうと、私は怪我でお先真っ暗かのように思われた夏を最高のものにしてくれたこの艇に、心の底から感謝しています。

ゆくゆくは「立教といえば無しフォア」ではなく、「無しフォアといえば立教」となるように、4年目のシーズンで最高の恩返しをしたいと思います。


次は女子部新主将、女王きょうかです。