「つくる」といっても、
自分にとって意味のあるものをつくる、ということがすごく大切だと思う。
自分にとって意味のあるものをつくって見せるということは、自分を表現すること。つくっている過程でそこに自分を注入している。
カウンセリングで人が自分について語るとき、それと同じことが起こる。乱暴な言い方をすれば、カウンセリングで人が悩みを打ち明けながら語る行為は、「自己表現」の一種だよね。どちらも同じ「表現」で「自分にとって意味のあるアウトプット」だとした場合、そのアウトプットの過程で起こる心の質的変化は何なんだろう。
昨日の教員研修ワークショップで真剣に「自分の作品」をつくっていた地元小中学校の先生方を見ながらそんなことを思う。作品に対しておのおのがpersonal connection(自分にとっての意味付け)を見出してた。楽しかった。「あんなにみんなが集中して取り組んだのは初めてです」と今日お礼のメールを頂いた。教員研修のほとんどが、今までは「インプット」中心だったと思うのだけど、どんどん「アウトプット」のほうに変わってきていると思う。
「学び」自体、いまや私の中では「アウトプット」がメイン。カウンセリングという場でクライエントが自らの思いを語るという行為も、アウトプット。名状しがたい感情に名前をつける行為や、自分を的確に語る言葉を探す行為は、子ども達や若者には難しいこともある。そのアウトプットを助けるカウンセラーと、ワークショップで子ども達が自己表現のアウトプットができるよう手助けするファシリテーターは、私からすると同じ仕事に見える。
自分にとって意味があるかー。
そういうものづくり・語りをこれからも続けていこうと思う。拡張していえば、人生も。
自分にとって意味のある「生き方」をつくっていきたい。(そういうキャリアデザインのプロジェクトやりたいなぁ…)
自分にとって意味のあるものをつくる、ということがすごく大切だと思う。
自分にとって意味のあるものをつくって見せるということは、自分を表現すること。つくっている過程でそこに自分を注入している。
カウンセリングで人が自分について語るとき、それと同じことが起こる。乱暴な言い方をすれば、カウンセリングで人が悩みを打ち明けながら語る行為は、「自己表現」の一種だよね。どちらも同じ「表現」で「自分にとって意味のあるアウトプット」だとした場合、そのアウトプットの過程で起こる心の質的変化は何なんだろう。
昨日の教員研修ワークショップで真剣に「自分の作品」をつくっていた地元小中学校の先生方を見ながらそんなことを思う。作品に対しておのおのがpersonal connection(自分にとっての意味付け)を見出してた。楽しかった。「あんなにみんなが集中して取り組んだのは初めてです」と今日お礼のメールを頂いた。教員研修のほとんどが、今までは「インプット」中心だったと思うのだけど、どんどん「アウトプット」のほうに変わってきていると思う。
「学び」自体、いまや私の中では「アウトプット」がメイン。カウンセリングという場でクライエントが自らの思いを語るという行為も、アウトプット。名状しがたい感情に名前をつける行為や、自分を的確に語る言葉を探す行為は、子ども達や若者には難しいこともある。そのアウトプットを助けるカウンセラーと、ワークショップで子ども達が自己表現のアウトプットができるよう手助けするファシリテーターは、私からすると同じ仕事に見える。
自分にとって意味があるかー。
そういうものづくり・語りをこれからも続けていこうと思う。拡張していえば、人生も。
自分にとって意味のある「生き方」をつくっていきたい。(そういうキャリアデザインのプロジェクトやりたいなぁ…)