哲学の道。琵琶湖の疎水をひいた小川のうえに続く桜の並木道を歩きました。
八坂神社、そして円山公園へ。
もう説明はいりませんねー。
本当に今日の桜はきれいでした。今ちょうど満開です!
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さくら 茨木のり子
ことしも生きて
さくらを見ています
ひとは生涯に
何回ぐらいさくらをみるのかしら
ものごころつくのが十歳ぐらいなら
どんなに多くても七十回ぐらい
三十回 四十回のひともざら
なんという少なさだろう
もっともっと多く見るような気がするのは
祖先の視覚も
まぎれこみ重なりあい霞だつせいでしょう
あでやかとも妖しとも不気味とも
捉えかねる花のいろ
さくらふぶきの下を ふららと歩けば
一瞬
名僧のごとくにわかるのです
死こそ常態
生はいとしき蜃気楼と
------
茨木のり子さんは、
高校時代に国語の先生から聞いた「汲む」という詩を読んで以来、
好きな詩人の1人です。
詩集を買うほど好きな詩人は何人かいます。
でも彼女の詩集は、
たぶん最も多くくり返しくり返し読んで、
その度に色々な詩から、
その時々の自分の感情と状況を重ね合わせ、
はっと気の引きしまる思いを私に与えてくれました。
今年も去年と同じく、桜の頃にこの詩を紹介したいなと思っていたのですが、
残念なことに2月に茨木さんは亡くなられました。
でもきっとこれからも私は桜をみると、
茨木さんのこの詩を思い出すのだと思います。
彼女の詩は他にも本当にいいなと思うものが多くて、
「自分の感受性くらい」
「汲む」
「問い(ゆっくり考えてみなければ)」
「落ちこぼれ」
「聴く力」
「寄りかからず」
「食卓に珈琲の匂い流れ」
などが好きです。
八坂神社、そして円山公園へ。
もう説明はいりませんねー。
本当に今日の桜はきれいでした。今ちょうど満開です!
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さくら 茨木のり子
ことしも生きて
さくらを見ています
ひとは生涯に
何回ぐらいさくらをみるのかしら
ものごころつくのが十歳ぐらいなら
どんなに多くても七十回ぐらい
三十回 四十回のひともざら
なんという少なさだろう
もっともっと多く見るような気がするのは
祖先の視覚も
まぎれこみ重なりあい霞だつせいでしょう
あでやかとも妖しとも不気味とも
捉えかねる花のいろ
さくらふぶきの下を ふららと歩けば
一瞬
名僧のごとくにわかるのです
死こそ常態
生はいとしき蜃気楼と
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茨木のり子さんは、
高校時代に国語の先生から聞いた「汲む」という詩を読んで以来、
好きな詩人の1人です。
詩集を買うほど好きな詩人は何人かいます。
でも彼女の詩集は、
たぶん最も多くくり返しくり返し読んで、
その度に色々な詩から、
その時々の自分の感情と状況を重ね合わせ、
はっと気の引きしまる思いを私に与えてくれました。
今年も去年と同じく、桜の頃にこの詩を紹介したいなと思っていたのですが、
残念なことに2月に茨木さんは亡くなられました。
でもきっとこれからも私は桜をみると、
茨木さんのこの詩を思い出すのだと思います。
彼女の詩は他にも本当にいいなと思うものが多くて、
「自分の感受性くらい」
「汲む」
「問い(ゆっくり考えてみなければ)」
「落ちこぼれ」
「聴く力」
「寄りかからず」
「食卓に珈琲の匂い流れ」
などが好きです。