Silver linings

カリフォルニアで子育てとか仕事とか。

なんて生活

2006-01-16 08:17:44 | 日常
不規則な生活だ。来週の出だしは大丈夫かと不安になる。

1日1日を夜ごとに区切らない生活。
今の時間の延長線上に「あした」というゾーンがあるのがわかるのだけど、いつその「あした」になるのか、今はもう「あした」なのか、この仕事が仕上がったら「あした」なのか、約束している友人に会うという出来事が「あした」をつれてくるのか、もはや分からなくなる。

ーそんなことを日曜早朝オフィスにいながら考えていた。なんて生活だ。さっき帰ってきたところ。
プロジェクトの報告書をファイリングしてきた。膨大な記録。写真、録音、映像。これに関わってくれた人の、いろんな言葉、思い、笑い、情熱を、再び一気に流し込まれたような気がして、胸焼けのする思い。

むー。友達来るまで、寝とこう。
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雨だね

2006-01-15 00:00:00 | 日常
遅めに起きた土曜日。
明日までに仕上げたいと思っているお仕事があるので今日はオフィスへ。「自分の中の締め切りを守れるか」、うーん、がんばっていこ!

明日はひっっっさしぶりに大学時代の友達が京都へ。
大阪の新年会で旧友達に会った時、「え、りょうちゃんいつのまに京都に住んでたん?」とびっくりしている友達がいたのでこっちもびっくりした。

そうかー。
そだよね。8月に帰国した時にみんなに会ったきり、「京都で仕事するかも~」とだけ言って、その後本当に仕事が始まってからはジェットコースター的に12月まで忙しかったんだよね。週末もほとんど仕事してたし。

連絡無精の自分を反省。
(と同時に、「こんなに近くに住んでるのに、全然連絡ないなぁー。ま、みんなも忙しいのか。」と思ってた謎がとけてスッキリ。ワタシのソンザイすらニンシキされてなかったノネ...)

今年はもっと連絡しようっと。
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Unpacking Invisible Knapsack

2006-01-14 00:00:00 | 日常
用事があって立て続けに3本の国際電話をかけた。
2件目まで普通に用を済ませて、3件目のオペレーターが出た時に、受話器の向こうに黒い女性を想像している自分に気がついた。

どんなに丁寧にしゃべっても、発音で黒人だと分かる。

そんで昔のクラスメイトの話を思い出した。
「私は教育熱心な両親の元に生まれ、小さい頃から白人のように喋るようしつけられた。名前もひとめで黒人とは分からないような名前をもらった。それは感謝している。でも...」その白人らしい発音と、黒人らしくない名前のおかげで苦しんだ、と。例えば、メールや電話のやりとりしかしていなかった相手に初めて会いに行くと、"おや?"という反応をされる。就職活動の電話面接や、書類上での選考はウェルカミングな感じなのに、実際に面接に行くと「なんだ、黒人だったのか」と露骨にがっかりされる。電話でスムーズにショッピングの手続きをして実際にお店に訪れると、とたんに「売らない」と言われる。同じ黒人仲間からは、「違う」英語をしゃべっているということで非難される。彼女の話、すごくpainfulだったのでよく覚えている。

別に「黒人」が弱い立場にあるってことを今さら言いたいのではない。日常的に起こる社会的差別の現状を知ってほしいと言いたいわけでもない。

日本にずっといて、生まれてから死ぬまでこの単一民族マジョリティの中で生きていたら、みじんも感じなかった痛みかもしれない、ということかな。私だって、2年間住んでいた中で、もっとも多くされた質問は「アメリカにはいつ来たの?」というものだった。「日本からきた」とか「留学中」とか言う前にそう聞かれる。何百回聞かれたか分からないほど。その度、そうか、アジア人の顔したアメリカ人はたくさんいるけど、私は会って5分で新参者とわかってしまうのね、と思ったものだ。本当に新参者だったからそれでいいのだけれど。

でも、上に書いたクラスメイトの場合は、話し方や名前から、白を期待されているのが分かりながら、いつも黒を出さなければならない。そしてそこに何らかの痛みや生きにくさを感じるとしたら、アメリカでの「自由」って特定の人にしか開かれていないんじゃん、と思う。「白人」の、「スタンダードな英語」を喋る、「アメリカのパスポート」を持った、「男性」、というのが世界では一番プリビレッジを持っているのかな。

そんなふうに思ったのは、Peggy McintoshのWhite Privilege : Unpacking invisible knapsackを思い出したから。アメリカがよく言う"Celebrate our diversity"の美的スローガンのかげに、人知れず痛みを感じている人たちもいるんだってことを思い知った文章でした。日本にいれば深く考えることのない問題なのだろうけど。

長くなってしまったけれど、電話越しに「これは黒人」と察知したほんの数秒間にこんなことが頭のなかをめぐっていたのでした。(ちなみに、電話越しに「これはノンネイティブ」と察知された私は、その黒人オペレーターのおばちゃんの非常にゆっくりと喋る英語に助けられたのだけど。笑。)
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おやすみなさい

2006-01-13 02:27:12 | 日常
黙っていた方がいいのだ
もし言葉が
言葉を超えたものに
自らを捧げぬ位なら

   谷川俊太郎「もし言葉が」

・・・

(なにが言いたかったかというと、もう眠いから黙って寝ますということですたい。)
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能動的で嬉しい

2006-01-12 00:33:28 | 日常
受身的に大量の情報を与えられるよりも、新しい知識やアイデアを自分で組み立てていくことによって、能動的に学ぶ。そして変わっていく。学習意欲のある大人は多いけれど、その多くが、「吸収しよう」「吸収しよう」とまるで何かにとりつかれたように、「学ぶ=吸収する」ことだと信じて疑わない。ちょうど、ここに来るまでの自分がそうだったように。それは正しくもあるんだけど。

でも今は、日常にたくさん埋め込まれた学びに気がついて、何をするにしてもすごく能動的。嬉しい。なにかを「つくって」いる時がいちばん楽しい。アイデアでもコンセプトでも、料理でも、オリジナルDVDでも、文章でも、なんでも!

Imagine, play, create, reflect, and share! That's learning!
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始動

2006-01-09 23:09:34 | 京都
■元気です
あけましておめでとうございます。
ながーいお休みをもらって、本当にのんびりさせてもらいました。日本のお正月、久しぶりでした(写真は高台寺)。

明日からまた通常の生活に戻ります(といってもチョコチョコ仕事してたけど)。ブログも長い間止まってしまっていましたが、また再開。

2005年はなんだかいろんなことが起こってあっという間に終わってしまった感じ。「ガツーン」とか「目からうろこ」とか「そんなのアリ?」ってことが多々あって、自分の教育観を根本から覆されるようなコンセプトにたくさん出会いました。自分の知らなかったこと、新しいことをどんどん学べる今の環境をありがたいと思う。

2006年はクリエイティビティ・「つくる」をキーワードに。これまでに私が出会った人たち、もの、コンセプト、考え方すべてに感謝しています。Truly, learning is a lifelong process!!
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