ゆっくり読書

読んだ本の感想を中心に、日々、思ったことをつれづれに記します。

臓器移植

2009-05-14 22:39:31 | Weblog
臓器移植法の改正案についてテレビのニュース番組で報道していた。

臓器移植で、健康になる人がいるのだったら、
もっとチャンスは広がった方がいいと思う。

でも、「脳死」って何なんだろう。
測定装置にうつされる脳波の動きなんかで、本当に「脳死」が受け入れられるのだろうか。
そして、「脳死」を「人の死」として受け止められるのだろうか。
それが家族の場合。

今は延命装置が発達しているから、たまたま、とても心臓が強かったために、
意識が残らないまま、何年も何年も寝たきりで延命する人もいる。私の母のように。
では、あの状態は、「生」と「死」どちらなのか。

最後のお別れのとき、母の脈がどんどん弱くなって、
手の指先や足や、すべての「流れ」が止まっていく過程を見て、
はじめて「死」を受け入れる気になった。

16年も植物状態の母とともにあったわけだけど、
その間、一度も「母の死」を受け入れたことはなかったことに、
はじめてそのとき、気がついた。

西洋医学は、確かに病気を治してくれることがあるし、
生死の鍵を握っていることが多いけれども、
でも、それがすべてではないと、人の心は知っている。

「自分が希望を捨て、諦めてしまったから、家族は死んでしまったんだ」
ただでさえ、人の死に直面したとき、こんなふうに感じることがある。
親戚から「薄情だ」となじられることもある。

いずれにせよ、「人の死」は、生き残った人が背負うもの。
それが、どんな死であったとしても。