自分のことにばかりかまけていて、
うっかり10月8日に日付がかわったことに気がつかなかった。
4年前の今日、日付がかわってすぐに母が亡くなったとき、
私はいったい何を感じたんだっけ。
確か、看護婦さんに「そろそろ危ないから」と仮眠から起こされたとき、
「今回こそは、ちゃんと死ねますように。
向こうに渡るまで私がちゃんと見届けているから、安心して逝って」と思って、
母のベッドの隣に座ったのは覚えている。
その後、少し時間が経ち、
一回家に帰ることになって西武新宿線に乗り、朝の通勤の人に混じって新宿へ向かった。
両脇に座っていた人が、なぜか2人とも私に全体重をあずけて寄っかかってきた。
もし、ここで「いま母が亡くなったんです。寝ていないんです。
なのに、あなたたちは、私に全体重をかけて寝ている。
しかも寄っかかっていることを自覚していますね」と、
回答のしようがない一言を言いたくなった。
その瞬間、窓の外に、とても美しい朝日が射していることに気がついた。
本当に、この世と思えないくらいにキラキラしていて、
「ああ、こんなにも光があふれているんだ。美しいんだ。この世は」と思って、
胸がいっぱいになった。
そして、
もう隣の人が私に寄っかかっていることなんか、どうでもよくなった。
地元の駅で降りた時、母が一番好きだったピンクのコスモスをどうしてもお別れにあげたくなって、
まだ開店前の駅前の花屋さんに、無理を言って花束をつくってくれるようにお願いした。
それから毎年、命日にはピンクのコスモスを供えている。
でも今日、会社帰りに花屋さんに寄ってみたら、
今日に限って、誰かがピンクのコスモスを買い占めて行ったと言う。
きっと誰か、ピンクのコスモスが大好きな人の、とても大切な日だったのだろう。
私は白のコスモスを買い、母に「ごめんね」と言って供えた。
母の返答は、「過去を忘れて、切り替えるのが得意なあなたにしては、
よく今日を覚えていたね」と、いつもどおりに笑いながらチクリと言われた。
昨日から、唇に疱疹が出ている。
母が生死の間を彷徨っていた最後の数ヶ月、
私はあまりのストレスから帯状疱疹になった。猛烈に痛かった。
最近は、ストレスを感じると疱疹が出るものの、とても小規模ですんでいる。
精神が肉体を蝕む前に精神状態を安定させる術を、ある意味では学んだのだと思う。
あの時のストレス。
母は、何回か心肺停止になったけれども、私が側にいないから、お医者さんは蘇生をしてくれる。
それがお医者さんの本分だからしょうがないのだけど、
苦しみが引き延ばされているようで、
その後の母の姿を見ていると、本当につらかった。
「え? 死んだはずなのに。なぜ?」と混乱している声が聞こえてくるようだった。
私が見ていないところで逝こうとするから失敗するんだよ。
私がいるから死なせてあげるから、終止符は打てるから。
と、思いながら、私は母の背中を押した。
でも、まだ私は混乱している。
14年間の、母が植物状態だった時間。
そして、4年前のお別れ。
私は生き残った者として、一生、何度も問い直さなければならないのだろう。
うっかり10月8日に日付がかわったことに気がつかなかった。
4年前の今日、日付がかわってすぐに母が亡くなったとき、
私はいったい何を感じたんだっけ。
確か、看護婦さんに「そろそろ危ないから」と仮眠から起こされたとき、
「今回こそは、ちゃんと死ねますように。
向こうに渡るまで私がちゃんと見届けているから、安心して逝って」と思って、
母のベッドの隣に座ったのは覚えている。
その後、少し時間が経ち、
一回家に帰ることになって西武新宿線に乗り、朝の通勤の人に混じって新宿へ向かった。
両脇に座っていた人が、なぜか2人とも私に全体重をあずけて寄っかかってきた。
もし、ここで「いま母が亡くなったんです。寝ていないんです。
なのに、あなたたちは、私に全体重をかけて寝ている。
しかも寄っかかっていることを自覚していますね」と、
回答のしようがない一言を言いたくなった。
その瞬間、窓の外に、とても美しい朝日が射していることに気がついた。
本当に、この世と思えないくらいにキラキラしていて、
「ああ、こんなにも光があふれているんだ。美しいんだ。この世は」と思って、
胸がいっぱいになった。
そして、
もう隣の人が私に寄っかかっていることなんか、どうでもよくなった。
地元の駅で降りた時、母が一番好きだったピンクのコスモスをどうしてもお別れにあげたくなって、
まだ開店前の駅前の花屋さんに、無理を言って花束をつくってくれるようにお願いした。
それから毎年、命日にはピンクのコスモスを供えている。
でも今日、会社帰りに花屋さんに寄ってみたら、
今日に限って、誰かがピンクのコスモスを買い占めて行ったと言う。
きっと誰か、ピンクのコスモスが大好きな人の、とても大切な日だったのだろう。
私は白のコスモスを買い、母に「ごめんね」と言って供えた。
母の返答は、「過去を忘れて、切り替えるのが得意なあなたにしては、
よく今日を覚えていたね」と、いつもどおりに笑いながらチクリと言われた。
昨日から、唇に疱疹が出ている。
母が生死の間を彷徨っていた最後の数ヶ月、
私はあまりのストレスから帯状疱疹になった。猛烈に痛かった。
最近は、ストレスを感じると疱疹が出るものの、とても小規模ですんでいる。
精神が肉体を蝕む前に精神状態を安定させる術を、ある意味では学んだのだと思う。
あの時のストレス。
母は、何回か心肺停止になったけれども、私が側にいないから、お医者さんは蘇生をしてくれる。
それがお医者さんの本分だからしょうがないのだけど、
苦しみが引き延ばされているようで、
その後の母の姿を見ていると、本当につらかった。
「え? 死んだはずなのに。なぜ?」と混乱している声が聞こえてくるようだった。
私が見ていないところで逝こうとするから失敗するんだよ。
私がいるから死なせてあげるから、終止符は打てるから。
と、思いながら、私は母の背中を押した。
でも、まだ私は混乱している。
14年間の、母が植物状態だった時間。
そして、4年前のお別れ。
私は生き残った者として、一生、何度も問い直さなければならないのだろう。