昨日、久しぶりに神田の古本屋街をぶらぶらした。
古本屋さんに並ぶ本を見ていると、人間ってスゴいなあ、と思う。
最近は、函入りの本が減ったけれども、
昔は、ずっと保存することを前提にしていたからか、
しっかりとした作りの本が多い。
手にとって、そっと函から出す。まず、これだけでうきうきする。
そして、パラパラとめくると、
たまにお香のかおりがしてくる本があったり、
きっと大事にされてきたんだろうなあ、と感じる本当に古い本があったりして、
なんとも本と語り合いたくなる。
思わず「元朝秘史」の研究書を手にとって、よく理解できないながらもニヤニヤし、
シルクロードの紀行文を開いては、「ほっほーう」と声をあげそうになったり、
私としては、とても幸せな時間だった。
2時間もウロウロしていたわりには、最終的に買ったのはたった一冊。
2000円がついていた「中国の古典10 漢訳仏典」。
決め手は、有名なお経について、漢文からの書き下し文、現代日本語訳が載っているだけでなく、
漢文プラス返り点がついているだけの経典が、別冊でついていたから。
お経そのものを読んでみたいと思っていたので、これに決めた。
なぜか古本に囲まれていると、
私の歩もうとしている道は、まだまだ遠く、果てしなく続いている、と思う。
この人生の残り時間だけで、間に合うだろうか、とも思う。
普通の本屋さんでは、あまりこんな感慨はもたない。
それは、古本を見ると、長い歴史をかけて積み重ねられてきた人間の探究心のかけらが、
いま私の胸をたたいている、と感じるからではないだろうか。
新刊には、その要素がすべて詰まっているかもしれないけれども、
でも、それだけでは、その時間の重さ、というものを感じることはできないと思う。
本の再販については、いろいろと言われるけれども、
私は古本屋さんが大好きだから、ずっと続いてほしいと思っている。
古本屋さんに並ぶ本を見ていると、人間ってスゴいなあ、と思う。
最近は、函入りの本が減ったけれども、
昔は、ずっと保存することを前提にしていたからか、
しっかりとした作りの本が多い。
手にとって、そっと函から出す。まず、これだけでうきうきする。
そして、パラパラとめくると、
たまにお香のかおりがしてくる本があったり、
きっと大事にされてきたんだろうなあ、と感じる本当に古い本があったりして、
なんとも本と語り合いたくなる。
思わず「元朝秘史」の研究書を手にとって、よく理解できないながらもニヤニヤし、
シルクロードの紀行文を開いては、「ほっほーう」と声をあげそうになったり、
私としては、とても幸せな時間だった。
2時間もウロウロしていたわりには、最終的に買ったのはたった一冊。
2000円がついていた「中国の古典10 漢訳仏典」。
決め手は、有名なお経について、漢文からの書き下し文、現代日本語訳が載っているだけでなく、
漢文プラス返り点がついているだけの経典が、別冊でついていたから。
お経そのものを読んでみたいと思っていたので、これに決めた。
なぜか古本に囲まれていると、
私の歩もうとしている道は、まだまだ遠く、果てしなく続いている、と思う。
この人生の残り時間だけで、間に合うだろうか、とも思う。
普通の本屋さんでは、あまりこんな感慨はもたない。
それは、古本を見ると、長い歴史をかけて積み重ねられてきた人間の探究心のかけらが、
いま私の胸をたたいている、と感じるからではないだろうか。
新刊には、その要素がすべて詰まっているかもしれないけれども、
でも、それだけでは、その時間の重さ、というものを感じることはできないと思う。
本の再販については、いろいろと言われるけれども、
私は古本屋さんが大好きだから、ずっと続いてほしいと思っている。