ゆっくり読書

読んだ本の感想を中心に、日々、思ったことをつれづれに記します。

まだまだ遠い

2009-10-15 18:34:46 | Weblog
昨日、久しぶりに神田の古本屋街をぶらぶらした。

古本屋さんに並ぶ本を見ていると、人間ってスゴいなあ、と思う。
最近は、函入りの本が減ったけれども、
昔は、ずっと保存することを前提にしていたからか、
しっかりとした作りの本が多い。

手にとって、そっと函から出す。まず、これだけでうきうきする。
そして、パラパラとめくると、
たまにお香のかおりがしてくる本があったり、
きっと大事にされてきたんだろうなあ、と感じる本当に古い本があったりして、
なんとも本と語り合いたくなる。

思わず「元朝秘史」の研究書を手にとって、よく理解できないながらもニヤニヤし、
シルクロードの紀行文を開いては、「ほっほーう」と声をあげそうになったり、
私としては、とても幸せな時間だった。

2時間もウロウロしていたわりには、最終的に買ったのはたった一冊。
2000円がついていた「中国の古典10 漢訳仏典」。
決め手は、有名なお経について、漢文からの書き下し文、現代日本語訳が載っているだけでなく、
漢文プラス返り点がついているだけの経典が、別冊でついていたから。
お経そのものを読んでみたいと思っていたので、これに決めた。

なぜか古本に囲まれていると、
私の歩もうとしている道は、まだまだ遠く、果てしなく続いている、と思う。
この人生の残り時間だけで、間に合うだろうか、とも思う。
普通の本屋さんでは、あまりこんな感慨はもたない。

それは、古本を見ると、長い歴史をかけて積み重ねられてきた人間の探究心のかけらが、
いま私の胸をたたいている、と感じるからではないだろうか。
新刊には、その要素がすべて詰まっているかもしれないけれども、
でも、それだけでは、その時間の重さ、というものを感じることはできないと思う。

本の再販については、いろいろと言われるけれども、
私は古本屋さんが大好きだから、ずっと続いてほしいと思っている。

やさぐれたい日

2009-10-15 01:27:29 | Weblog
どうしようもなく、やさぐれたい日、わたしはタバコを吸う。

普段は気管支が弱いし、絶対タバコなんて、という私だけど、
こんな日はタバコを吸う。

今日はそんな日だった。

生前の父を知る人と話をした。
なぜ父はパスカルで止まり、実存にまで行かなかったのかと言われた。
だから私は、母は、サルトルをこよなく愛していた、と答えた。

でもそこにも、植物状態の人間と十何年に及ぶ月日を過ごす、という意味において、
それを越える考え方はなくて、
私は、強制収容所における生を考えざるを得なかった。
そして、その話をするとき、
父は、それまで健康のためにと守って来た禁酒と禁煙をやぶらざるを得なかった、
と語った。

それによって、父の死期は早まったかもしれない。

ただ、私はそんなとき、ダースベイダーの気持ちをダイレクトに感じ取る。
飛躍しすぎかもしれないけど、そう思う。

私は両親とは違ったかたちで、そして同じ意味で、
自分が生きている、ということを直視したいと思っている。

「引きこもり」は許容するけれども、
一歩飛躍したいと、本気で思っている。

だって、社会なくして個人はあり得ない。そう思うから。
自分を解放するには、引きこもるのが一番の手段かもしれない。
でも、引きこもる、という手段は、社会なくしてあり得ない。

だから、社会は、必然的にある。

ある、ということは、群衆がある、ということだ。
顔の見えない他者がある、ということだ。
もし、それらに背を向けて引きこもるとしたら、
それは、問題を先送りにしているに過ぎない。
そう思う。

だから、社会を真摯に受け止めたいと思っている。
いまの私にできる範囲においてだけど。

そう思うと、いつもやさぐれる。

でも、そんな日も、わたしにとってはとても重要だと思う。