むかし部活をやっていたときは、筋トレが大嫌いだった。
体力づくりが、なぜ精神力に直結するのか実感がなかったし、
なんだか「筋肉バカ」みたいで、かっこわるいなあ、とも思っていた。
でも最近、むかし運動部に入っていてよかったと実感している。
まず、自分が体力的な限界に近づいたとき、どんなふうになるのかを明確に認識している。
疲れが蓄積している状態や、それが限界なのかどうかがわかるし、
同時に、判断力や気力がどのように奪われていくのかを知っている。
つまり、どのくらい自分が「ヘタレ」なのかを自覚している。
だから、何かをやるときにはペース配分ができるし、
その感覚があるから、慌てずに自分自身と会話ができる。
まだ頑張れるのかどうかと。
これまでは、それで済んでいたし、うまくいっていたと思う。
中年になって、どんどん体質が変化している。
これから先は、自覚していない疾病もどんどん出てくるだろう。
そんな自覚できない経年劣化に、どこまで対応できるだろう。
これまでの自分との会話では、ついていけないような気がする。
「老い」とどのように付き合うのか。
周囲の少し年上の人を見るとき、自分の身に置き換えて考えるようになってきた。
体力づくりが、なぜ精神力に直結するのか実感がなかったし、
なんだか「筋肉バカ」みたいで、かっこわるいなあ、とも思っていた。
でも最近、むかし運動部に入っていてよかったと実感している。
まず、自分が体力的な限界に近づいたとき、どんなふうになるのかを明確に認識している。
疲れが蓄積している状態や、それが限界なのかどうかがわかるし、
同時に、判断力や気力がどのように奪われていくのかを知っている。
つまり、どのくらい自分が「ヘタレ」なのかを自覚している。
だから、何かをやるときにはペース配分ができるし、
その感覚があるから、慌てずに自分自身と会話ができる。
まだ頑張れるのかどうかと。
これまでは、それで済んでいたし、うまくいっていたと思う。
中年になって、どんどん体質が変化している。
これから先は、自覚していない疾病もどんどん出てくるだろう。
そんな自覚できない経年劣化に、どこまで対応できるだろう。
これまでの自分との会話では、ついていけないような気がする。
「老い」とどのように付き合うのか。
周囲の少し年上の人を見るとき、自分の身に置き換えて考えるようになってきた。