『会うことは目で愛し合うこと、会わずにいることは魂で愛し合うこと。―神谷美恵子との日々』
野村一彦著、港の人刊
久しぶりというよりも、こんな純愛本は初めてかもしれない。
別世界、異文化の本だった。
少女マンガでも、小説でもなく、
実在した一人の男性の日記をまとめたものなので、
なんだか薄汚れた自分にホッとするような気分になった。
日記の執筆者に配慮して、
タイトルは、神谷さんではなく旧姓で載せてあげたらよかったのに、とも思ったけど、
旧姓だったら、私がAmazonで検索したときに引っかからなかったわけなので、
まあ、しょうがないか、とも思う。
人の手にとってもらわなければ、結局は本として出す意味がないからね。
そうなんだ。
本にかぎらす、商品となりうるものって、どんなものだろうと思う。
このブログのような自己満足とは違い、販売するものである場合、
価値は販売側と購買側の両方が認めなければ、売買が成立することはない。
商品を購入するということは、単にそのときお金を払う、ということだけでなく、
一緒に、後からそれに費やす時間や体力も投資している。
もっと別のことをする可能性もつぎ込んでいる。
適正な価格かどうか、というのは、難しいなあと思う。
最近はコンテンツがあふれているし、受け取る側の目もこえていると思う。
多くの類似商品の中から選ぶことができるわりには、
「これ」というものに、なかなか巡りあうことができない。
そして、そんなとき、
感動できないのは、感心できないのは、心を全開にして喜べないのは、
自分の感性が閉じているからではないか、と私は自分を責める。
なにかの過渡期にあるのかな。
野村一彦著、港の人刊
久しぶりというよりも、こんな純愛本は初めてかもしれない。
別世界、異文化の本だった。
少女マンガでも、小説でもなく、
実在した一人の男性の日記をまとめたものなので、
なんだか薄汚れた自分にホッとするような気分になった。
日記の執筆者に配慮して、
タイトルは、神谷さんではなく旧姓で載せてあげたらよかったのに、とも思ったけど、
旧姓だったら、私がAmazonで検索したときに引っかからなかったわけなので、
まあ、しょうがないか、とも思う。
人の手にとってもらわなければ、結局は本として出す意味がないからね。
そうなんだ。
本にかぎらす、商品となりうるものって、どんなものだろうと思う。
このブログのような自己満足とは違い、販売するものである場合、
価値は販売側と購買側の両方が認めなければ、売買が成立することはない。
商品を購入するということは、単にそのときお金を払う、ということだけでなく、
一緒に、後からそれに費やす時間や体力も投資している。
もっと別のことをする可能性もつぎ込んでいる。
適正な価格かどうか、というのは、難しいなあと思う。
最近はコンテンツがあふれているし、受け取る側の目もこえていると思う。
多くの類似商品の中から選ぶことができるわりには、
「これ」というものに、なかなか巡りあうことができない。
そして、そんなとき、
感動できないのは、感心できないのは、心を全開にして喜べないのは、
自分の感性が閉じているからではないか、と私は自分を責める。
なにかの過渡期にあるのかな。