木田元著、文藝春秋刊
私がはじめて小林秀雄の文章に触れたのは、国語の教科書。
小学校のころだったような気がするが、はっきりとは覚えていないし、
なんという文章の抜粋だったのかも覚えていない。
でも、国語の授業で感謝しているのは、この小林秀雄に出会ったという一点のみ、と、
胸をはってアンチ学校授業を語れるくらい、大きな出会いだった。
そして、すごく面白かった印象だけ、とても強烈に残っている。
言っていることは、日本語の構造としてはわかるのに、意味が理解しきれなかった。
「この人、いったい何を言っているんだ! よくわからないけど、なんだか面白そうだぞ」
そんな気持ちになったのは、すごく新鮮な経験だった。
でも、小林秀雄の文章をちゃんと読んだのは、20歳をこえてから。
なんとも遅い。
高校時代に読んでおけばよかった。
そういえば、高校から大学にかけては、三島由紀夫にハマっていたっけ。
それはそれでよかったのだけど、
まあ、もう少しひろく文章と接しておけばよかった、とも、少し思う。
ただ、「よし、読むぞ」と、
母の本棚から『無私の精神』を引っ張り出し、2段組みの小さい文字の作品集を読んだ。
夜、眠れなかった。
だから、いまでも小林秀雄という文字を見つけると、どうにも気になってしょうがない。
しかも、木田元先生だ。
本の内容は、小林秀雄だけではなくて、ともすると脱線しながら、
木田先生の読書歴が、簡潔にまとめられている。
むかしの、というと、木田先生には失礼だが、
戦前生まれのインテリの読書というか教養は、本当にすごい。
改めて読みなおしたい本、これからチャレンジしたい本がたくさん出てきた。
そして・・・、
いま、お昼休みに行く会社のそばの公園。
色づき始めた。
私がはじめて小林秀雄の文章に触れたのは、国語の教科書。
小学校のころだったような気がするが、はっきりとは覚えていないし、
なんという文章の抜粋だったのかも覚えていない。
でも、国語の授業で感謝しているのは、この小林秀雄に出会ったという一点のみ、と、
胸をはってアンチ学校授業を語れるくらい、大きな出会いだった。
そして、すごく面白かった印象だけ、とても強烈に残っている。
言っていることは、日本語の構造としてはわかるのに、意味が理解しきれなかった。
「この人、いったい何を言っているんだ! よくわからないけど、なんだか面白そうだぞ」
そんな気持ちになったのは、すごく新鮮な経験だった。
でも、小林秀雄の文章をちゃんと読んだのは、20歳をこえてから。
なんとも遅い。
高校時代に読んでおけばよかった。
そういえば、高校から大学にかけては、三島由紀夫にハマっていたっけ。
それはそれでよかったのだけど、
まあ、もう少しひろく文章と接しておけばよかった、とも、少し思う。
ただ、「よし、読むぞ」と、
母の本棚から『無私の精神』を引っ張り出し、2段組みの小さい文字の作品集を読んだ。
夜、眠れなかった。
だから、いまでも小林秀雄という文字を見つけると、どうにも気になってしょうがない。
しかも、木田元先生だ。
本の内容は、小林秀雄だけではなくて、ともすると脱線しながら、
木田先生の読書歴が、簡潔にまとめられている。
むかしの、というと、木田先生には失礼だが、
戦前生まれのインテリの読書というか教養は、本当にすごい。
改めて読みなおしたい本、これからチャレンジしたい本がたくさん出てきた。
そして・・・、
いま、お昼休みに行く会社のそばの公園。
色づき始めた。