ゆっくり読書

読んだ本の感想を中心に、日々、思ったことをつれづれに記します。

コミュニケーション能力

2010-11-29 21:01:15 | Weblog
コミュニケーション能力の高い低いについて。
人見知りしないから高いとは限らず、逆に人見知りする人でも高い人がいる。

情報伝達能力も同じで、よく話す人が、相手にものごとを伝えるのが上手いかというと、
そうとは限らなくて、
逆に口べたな人の一言のほうが、ズバリと核心を伝えることもある。

そして、勉強を教える教師という立場の人が、他人に何かを説明するのが上手だとも限らない。
上司が部下に仕事を指示する場合でも、上手な人とそうではない人がいる。

「人見知りしない」のは、「他人のことを気にしない」という場合もあって、
本人は気持ちよさそうだけど、他人からは単なる傍若無人に見えることがある。

あとは、相手が何を考えたり感じているかといったことを、
グルグル考えるような気のつかい方をやめようと思って、
ある立場でいる時は「人見知りしない人」になったということもある。

私が仕事をしているときのモードは、これに近い。
ある役割を演じているわけだから、それに不要だと自分で思っている感情は、かなり封印する。
それがいいか悪いかわからないけれど、演じられれば、それなりの評価は得られる。
ただ、すごく付き合いがいいと思われて、後から疲れることもある。

まあ、人と人の付き合いだから、いろいろある。

最近、いろいろな人と知り合った。
少し話してみて、つくづく思ったのは、
私は愚痴っぽい人とは、まったく付き合えない、ということだ。
同じところでグルグルと愚痴を言われると、「いい加減にして」と言いたくなる。
いや、先日、ほぼ初対面の人に、実際に言ってしまった。

あとは、例えば電話で、例えば知らない人に道案内をする。
目の前に見えるものを言ってもらうときに、
交差点の角に見えているもの、駅のどちら側に出たかなど、いろいろなことを聞く。
電話の向こうの人には、事実と、心の中で思ったことを切り離して話せない人が結構多い。
よって、だんだん会話にならなくなり、思わず「もーっ、だからっ!」と叫びたくなる。
たぶん、お互いに。

最近、なんとなく、この電話で要領を得ない人の心理を考えるのだけど、
これは主に、プライドが邪魔をしているんだと思う。
「私が間違えるはずがない」「私がわからないはずがない」から始まり、
「わからないヤツだ、馬鹿だって思われたらどうしよう」という気持ちが呼び起こされ、
変に見栄をはるから、自分の心の声も語ってしまい、
聞いている方は、どこまでが事実で、どこからが思い込みなのかが余計にわからなくなり、
「この人、大丈夫だろうか」と思うにいたる。
逆効果だ。

ということで、わりと、
仕事で偉い地位にいる人や学校の先生などに、電話での問合せに下手な人が多いと思う。
いっぽう、若い人の場合、
ろくに電話で話すことができないような人は、はなからビジネスの電話をしてくることはない。
ということで、たまにかかってくると話はスムーズだ。
それに、事前にいろいろと自分でインターネットで調べる傾向があり、
「とりあえず他人に聞こう」という人は、年配の人に比べると少ない。
だから、若い人が話す時は、必要なことだけのことが多くて、私からするとラクちんだ。
さて、これをコミュニケーション能力が高いといえるかどうかというと、
年配の人からすると、「何を考えているのかわからないヤツ」度数が高まっているように見えるのだろう。
でも、私の実感では、コミュニケーション能力が落ちていると一概にはいえないですよ、と思う。