コミュニケーション能力の高い低いについて。
人見知りしないから高いとは限らず、逆に人見知りする人でも高い人がいる。
情報伝達能力も同じで、よく話す人が、相手にものごとを伝えるのが上手いかというと、
そうとは限らなくて、
逆に口べたな人の一言のほうが、ズバリと核心を伝えることもある。
そして、勉強を教える教師という立場の人が、他人に何かを説明するのが上手だとも限らない。
上司が部下に仕事を指示する場合でも、上手な人とそうではない人がいる。
「人見知りしない」のは、「他人のことを気にしない」という場合もあって、
本人は気持ちよさそうだけど、他人からは単なる傍若無人に見えることがある。
あとは、相手が何を考えたり感じているかといったことを、
グルグル考えるような気のつかい方をやめようと思って、
ある立場でいる時は「人見知りしない人」になったということもある。
私が仕事をしているときのモードは、これに近い。
ある役割を演じているわけだから、それに不要だと自分で思っている感情は、かなり封印する。
それがいいか悪いかわからないけれど、演じられれば、それなりの評価は得られる。
ただ、すごく付き合いがいいと思われて、後から疲れることもある。
まあ、人と人の付き合いだから、いろいろある。
最近、いろいろな人と知り合った。
少し話してみて、つくづく思ったのは、
私は愚痴っぽい人とは、まったく付き合えない、ということだ。
同じところでグルグルと愚痴を言われると、「いい加減にして」と言いたくなる。
いや、先日、ほぼ初対面の人に、実際に言ってしまった。
あとは、例えば電話で、例えば知らない人に道案内をする。
目の前に見えるものを言ってもらうときに、
交差点の角に見えているもの、駅のどちら側に出たかなど、いろいろなことを聞く。
電話の向こうの人には、事実と、心の中で思ったことを切り離して話せない人が結構多い。
よって、だんだん会話にならなくなり、思わず「もーっ、だからっ!」と叫びたくなる。
たぶん、お互いに。
最近、なんとなく、この電話で要領を得ない人の心理を考えるのだけど、
これは主に、プライドが邪魔をしているんだと思う。
「私が間違えるはずがない」「私がわからないはずがない」から始まり、
「わからないヤツだ、馬鹿だって思われたらどうしよう」という気持ちが呼び起こされ、
変に見栄をはるから、自分の心の声も語ってしまい、
聞いている方は、どこまでが事実で、どこからが思い込みなのかが余計にわからなくなり、
「この人、大丈夫だろうか」と思うにいたる。
逆効果だ。
ということで、わりと、
仕事で偉い地位にいる人や学校の先生などに、電話での問合せに下手な人が多いと思う。
いっぽう、若い人の場合、
ろくに電話で話すことができないような人は、はなからビジネスの電話をしてくることはない。
ということで、たまにかかってくると話はスムーズだ。
それに、事前にいろいろと自分でインターネットで調べる傾向があり、
「とりあえず他人に聞こう」という人は、年配の人に比べると少ない。
だから、若い人が話す時は、必要なことだけのことが多くて、私からするとラクちんだ。
さて、これをコミュニケーション能力が高いといえるかどうかというと、
年配の人からすると、「何を考えているのかわからないヤツ」度数が高まっているように見えるのだろう。
でも、私の実感では、コミュニケーション能力が落ちていると一概にはいえないですよ、と思う。