ゆっくり読書

読んだ本の感想を中心に、日々、思ったことをつれづれに記します。

就職氷河期について

2010-11-24 20:10:15 | Weblog
就職氷河期について、テレビ番組を見て、少し思った。

私が大学を卒業するときも氷河期だった。
あの頃は、中国語のニーズもあまりなくて、というか、
女性は駐在にお金がかかるから、と、
中国に留学しました。中国語が日常会話レベルできます。なんて言っても、
中国語検定やHSKのレベルがどの程度なのかを知っている人事の人も少なく、
中小企業は、採用に対しあまり積極的ではなかったと思う。

とにかく、私が就職活動をしていて思ったのは、
無駄な活動をするくらいなら卒論にもっと時間をかけたい、ということだった。
好きなことを調べ、文章を書く時間なんて、仕事が始まったらないだろう。
中国語の原典を読みあさるなんていう幸せな時間は、先の人生でそうそうない。
だから、勉強させてくれよ、と思った。

まあ、なんとか企業にもぐりこめたわけだけど、
その後15年ほど経って、いろいろと渡り歩いて、
結局は、しっかりと「負け組」の仲間入りをしてしまった。

とにかく、いま、
研究の総仕上げをしたいと思っている真面目な学生たちの時間を、
無駄が多い就職活動にとられてしまうのは、
結果として、日本全体の学問の進化・深化に対して、
とても悪い影響を及ぼすだろうと思う。
大学で勉強をしていない学生は、まあ、自由にやってくれ、と思う。
でも、大学で勉強をしたい学生にとっては、機材や資料を使いたい放題だし、
4年にもなれば、必修も履修が終わって、本当に天国のような時間なのだ。

それに、小学校から大学まで、学校ではとにかく「平等」と言われて育つ。
なのに、就職活動でいきなり不平等というか、
猛烈なワケのわからない競争に直面するのは、いったいどうなのだろうと思う。
なんで自分を否定されたのかわからないところで闘うなんて、人にはできない。
長い目で見ても、その人の仕事生活にあまりいい影響を与えないような気がする。

やはり、まずは文科省のお役人さんや学校の先生が一般企業や社会を知らないことが大きな問題。
世の中には理不尽なことがたくさんあって、それでも自分として生きていくしかない、
「なんといっても世間は広いのだから、捨てる神あれば拾う神ありさ」という、
強い心を養うような学習に、もっと眼を向けるべきだと思う。
社会は変化する。でも、強くてしなやかな心は、ずっと自分の胸に残る。
なのに、資料を見て、本を読んで、何を感じたかまでコントロールしようとするものがあふれてる。

あと、会社に入って、すぐに花形の仕事ができると思っている学生も、
優秀な人材がほしいからといって、花形の仕事を任せるような錯覚を与える
会社側の説明もどうかと思う。
人はしょせん、自分のペースでしか生きていけないんだから、
すぐに頭角をあらわす人もいれば、20年後に結果を出す人もいる。
会社にとっては、本当はどちらも大切だし、人間社会全体にとっては、それが普通だ。

そういうもんだ、と、前向きに考えられるようになるためには、
私のような非正規雇用の人間が、負け組の人間が、
それでも楽しいし、何とか生きていけてると、
もっと声を大にして、正々堂々と言わなければならない。
ストレスも軽くなり、頭の芯の疲れもとれ、毎日毎日いろんな考えがわいてきて、
そして、なんといっても、
持たなくなると、他人のことを慮る余裕が出てくる。
ふしぎなことに。

別に、就職しなくてもいいと言っているわけではない。
いま仕事にしがみついていて、嫌々ダラダラ仕事をしている人に、
「辞めても何とかなるもんだよ。大丈夫だよ」と堂々と言う。
要は、自分の生き方を自分で認めることができるかどうかがカギで、
自分で自分を認めるためには、虚栄心とちゃんと向き合うことができるようになることが大切だ。
そして、働きたいと心から思っている若い人に、少し譲ろう。

と、最後は少し自己弁護。