ゆっくり読書

読んだ本の感想を中心に、日々、思ったことをつれづれに記します。

一点

2011-08-22 21:29:00 | Weblog
有名な俳優さんが脳幹出血で亡くなったという記事を読んだ。
母と同じ昭和19年生まれでいらした。
母も脳幹出血だった。そして、生きていれば67歳か。
そうか。母が倒れたのは、ちょうど20年前のことか。
昨日のことのようであり、また、すごく昔のことのようでもある。

しばし、私の変化として母に報告することを考えてみる。
うむ。
白髪がちらほら生えるようになりました。ということくらいかな。
むかし私が中学生だったころ、私のその若い情熱のほとんどを、
なぜか母の白髪抜きに注いでいた。
なので、母と私にとって、白髪ネタは心温まる話になる。

あと、上海におります。を、最近のこととして付け加えてもいい。
あ、そうだ。上海に来てから、白髪が減りました。きっとストレスが減ったのです。
これも付け加えておこう。きっと喜ぶ。
でも、そのほかの、母が望んでいたような変化はない。
相変わらず、全体としては気が利かない娘だ。

さて、先日、街を走る中国人の車の後ろに、私好みのステッカーが貼られていた。
男女が寄り添う後ろ姿。そして、確かこんなセリフ。
男性「你喜欢我哪一点?」(君は僕のどこが好き?)
女性「我喜欢你离我远一点」(私はあなたがちょっと距離をおいてくれるのが好き)

文字化けしないで表示されるかな。

この言葉、語呂もいい。
「一点」という言葉を、
男性は「どこ」という意味になるように使っていて、
女性は「ちょっと」という意味で使っている。
発音は同じ。

車の後ろに貼られていると、
後続車の運転手は、思わずニヤリと笑うだろう。

お祭り

2011-08-22 01:05:33 | Weblog
今日はなんとなく活字と別れがたくて、
友人から借りた『にっぽん入門』(柴門ふみ著、文春文庫)を読み始め、
半分くらいでやめるつもりだったのが、結局読み終わってしまった。

こういう日は、自責の念がつのる。
文章を「消費した」ような気がするから。

言葉や、作家の気持ちは、読者の心の中に留まるものだとは思うのだけれど、
もっとゆっくり味わえばいいのに、もったいない、という気持ちが残る。
でも、まだ読み足りないと、自分の中の何かが言っている。
明日も仕事だし、そろそろやめておこうとは思っているけど。

この『にっぽん入門』では、日本の「お祭り」が20個紹介されている。
著者と担当編集が実際に訪れ、まとめているエッセイだ。

私が行ったことのある祭りは、そのなかで青森県のねぶただけだった。
というのも、私は祭りが大の苦手で、
地元のお神輿も出店も、どちらかというと結界を感じ、
外側から「ああ、やっているな」と思うだけで十分と毎年思う。

花見も、その場の流れで何となく、というノリで通るくらいで、
シートをひいて、お酒飲んで宴会なんて、あり得ない。
正月の初詣も人がいないタイミングを狙おうと思うし、
ましてや、クリスマスなんぞは、浮かれ騒ぎたくない最たるものだ。
愛知万博もまったく興味がなかったし、
上海の万博も、もし当時上海にいたとしても、
決して自発的には行かなかったと自信をもって言える。

だからこそ、なぜ日本人はお祭りが好きなのか、という切り口自体に、
口を開けてぽかん、としてしまう。
ああそうか。日本人はお祭りが好きだったのか、そうだなあ、
と納得する部分もあれば、
そうじゃない日本人もいるんだから、一括りにしないでよね、
と言いたくなる部分もある。

でも今日は、活字の世界だからこそ、私もお祭りを楽しめたような気がする。
そして、読み終わってもやはり、札幌の雪祭りも阿波踊りも、
実際に見に行こうとは、少しも思わない自分に安心する。
そう。ひかれる人間なのなら、もうとっくの昔にひかれている。

何かお祭りにトラウマがあるのかなあ、と思って、ひとつ思い出した。
3歳くらいのときに、縁日で父がすくってくれた金魚のビニールがやぶけ、
金魚が地面におちてバタバタした。
私は凍りついて何もできなくて、母がひろってくれた。
その光景を、ふと思い出した。
あれが家族全員で行った最後のお祭りだったなあ。