今日も週に1日の読書デー。
部屋の空気を入れ替えつつ、
日本から持ってきた香樹林のお香を焚いて、飛来する虫除け対策。
今日読み終わったのは、
『世界史のなかの中国 文革・琉球・チベット』
汪暉著、石井剛・羽根次郎訳、青土社刊。
西洋哲学史の素養がない私には、最初の100ページくらいは忍耐が必要だった。
文革に関しては、「思想史としてはこうなるのねえ、よくわからないけど」
という、無知丸出しな感想。
琉球に関しては、日本人は学校で教えてもらえないことも多いので、
中国的かつ客観的にまとめてくれてありがとう、という気持ち。
そして、チベットに関しては、一番複雑な感想。
中国の主張はよくわかる。
確かに、孫文の五族協和がこの100年の根底にあって、
西洋が勝手に妄想しているチベットと、本当のチベットはかけ離れていることもわかる。
では、さて、2000年に私がチベットに行ったときに感じた、
ラサに漂っていた何とも言えない不協和音は、いったいどこから?
という回答を求めて読み進め、整理できたところもあれば、
うむむ~、そうなのか?と思ったところもあるわけだ。当然のことながら。
それにしても、中国人の頭のいい人というのは本当に頭がいい。
この本の著者もそうだけど、桁違いの頭のよさ。
そして、ものすごく人間臭い中国人のなかにあって、
この隔絶した思考力をもっていることについて、
正直なところ、現実離れしすぎているというか、まったくピンとこない。
すごく頭がいいから金儲けしている、という中国人のほうが、
「いよっ! 中国人!」と素直に尊敬できる部分も、最近はあるなあ。
とはいえ、何となく最後に思ったのは、
こういう頭のいい人が、方針なり戦略を考えるのだろうけれど、
実際にラサというところで、銃を携え辻に立って警備にあたる現場の人は、
おそらく中卒程度の知識しかなく、まるっきり子どもなわけで、
それは、ラサに限らず、都会で右往左往している私たちも同じことで、
だからこそ、上手くいかないことがあるのよねえ。という、
非常に無責任な感想だった。
上海でチベットというと、民族問題でも、ダライ・ラマでもなく、人気の観光地。
青藏鉄道に乗って、雄大な景色をながめながら、
異国情緒あふれる土地に行ってみたい、という感じ。
でも、ラサの中心部もだんだん漢族の街のような佇まいに「整備」されてきている。
日本で新幹線の駅を降りると、東北だろうが関西だろうが、見た目がほとんど一緒で、
国道の沿線は、大型の商業施設と全国チェーンのファミレス、パチンコ屋が並び、
旅に来たという感慨にひたれるのは、狭い旅館の部屋にこもったとき、というのと、似てきている。
中国みたいに広い国で、北京もラサも中心地は同じで、
かつての宮殿の前に、国旗が翻る広場があるというような都市計画を続けていると、
そのうち日本みたいに、
「どこまで行っても、日常から逃げられない。閉塞感にまみれているんです、
という国になっちゃうよ」と、言いたい気持ちになった。
最後に、この本の帯に「日中関係を根源的に考える」とあるのだけれど、
それは、読者が読後にそこまで敷衍することはあるかもしれないけど、
でも、本文全体として、すみません、そこまで明確に書かれていました?と思った。
帯は営業的要素が強いので、よく強引な言葉が並ぶけれど、
装幀が好きだから単行本がいいと思う時もあれば、
たまに、だから電子書籍のほうがいいな、と思ってしまうときもある。
部屋の空気を入れ替えつつ、
日本から持ってきた香樹林のお香を焚いて、飛来する虫除け対策。
今日読み終わったのは、
『世界史のなかの中国 文革・琉球・チベット』
汪暉著、石井剛・羽根次郎訳、青土社刊。
西洋哲学史の素養がない私には、最初の100ページくらいは忍耐が必要だった。
文革に関しては、「思想史としてはこうなるのねえ、よくわからないけど」
という、無知丸出しな感想。
琉球に関しては、日本人は学校で教えてもらえないことも多いので、
中国的かつ客観的にまとめてくれてありがとう、という気持ち。
そして、チベットに関しては、一番複雑な感想。
中国の主張はよくわかる。
確かに、孫文の五族協和がこの100年の根底にあって、
西洋が勝手に妄想しているチベットと、本当のチベットはかけ離れていることもわかる。
では、さて、2000年に私がチベットに行ったときに感じた、
ラサに漂っていた何とも言えない不協和音は、いったいどこから?
という回答を求めて読み進め、整理できたところもあれば、
うむむ~、そうなのか?と思ったところもあるわけだ。当然のことながら。
それにしても、中国人の頭のいい人というのは本当に頭がいい。
この本の著者もそうだけど、桁違いの頭のよさ。
そして、ものすごく人間臭い中国人のなかにあって、
この隔絶した思考力をもっていることについて、
正直なところ、現実離れしすぎているというか、まったくピンとこない。
すごく頭がいいから金儲けしている、という中国人のほうが、
「いよっ! 中国人!」と素直に尊敬できる部分も、最近はあるなあ。
とはいえ、何となく最後に思ったのは、
こういう頭のいい人が、方針なり戦略を考えるのだろうけれど、
実際にラサというところで、銃を携え辻に立って警備にあたる現場の人は、
おそらく中卒程度の知識しかなく、まるっきり子どもなわけで、
それは、ラサに限らず、都会で右往左往している私たちも同じことで、
だからこそ、上手くいかないことがあるのよねえ。という、
非常に無責任な感想だった。
上海でチベットというと、民族問題でも、ダライ・ラマでもなく、人気の観光地。
青藏鉄道に乗って、雄大な景色をながめながら、
異国情緒あふれる土地に行ってみたい、という感じ。
でも、ラサの中心部もだんだん漢族の街のような佇まいに「整備」されてきている。
日本で新幹線の駅を降りると、東北だろうが関西だろうが、見た目がほとんど一緒で、
国道の沿線は、大型の商業施設と全国チェーンのファミレス、パチンコ屋が並び、
旅に来たという感慨にひたれるのは、狭い旅館の部屋にこもったとき、というのと、似てきている。
中国みたいに広い国で、北京もラサも中心地は同じで、
かつての宮殿の前に、国旗が翻る広場があるというような都市計画を続けていると、
そのうち日本みたいに、
「どこまで行っても、日常から逃げられない。閉塞感にまみれているんです、
という国になっちゃうよ」と、言いたい気持ちになった。
最後に、この本の帯に「日中関係を根源的に考える」とあるのだけれど、
それは、読者が読後にそこまで敷衍することはあるかもしれないけど、
でも、本文全体として、すみません、そこまで明確に書かれていました?と思った。
帯は営業的要素が強いので、よく強引な言葉が並ぶけれど、
装幀が好きだから単行本がいいと思う時もあれば、
たまに、だから電子書籍のほうがいいな、と思ってしまうときもある。