今日は日帰り出張で蘇州。
これまでに蘇州は何度も行ったことがあるけれど、すべて仕事。
今度は観光がしたい。
帰りの高速鉄道の車窓から見えた夕陽。
雲と重なって、まるで、天から誰かの目がのぞいているみたいに見えた。

でも不思議とこわくなかった。
昨晩、1冊読み終えた。
『邪悪なものの鎮め方』(内田樹著、バジリコ株式会社)
「邪悪なもの」と言ったら、自分の心。
抑制がきかず、怒ったり、すねてしまう心。
先日ある人生の大先輩が
「歴史というのは、なぜそのときに、その人は、その選択をしたのかを考える事が大切なんだ」
と言っていた。
この本には、まさにそんな感じのいろいろなエピソードが語られていた。
内田さんの文章には、確か以前エマニュエル・レヴィナスの本で出会った。
レヴィナスは、なぜナチの強制収容所から生きて返ったのが自分だったのかを、
死んだのが自分ではなくて隣人なのかを考え続けていた。
そこにもきっとなんらかの選択があったから生き残ったはずだと思うのは部外者で、
当事者はそんなふうには感じられないようだった。
でも、生き残ったのなら、何かを伝えなければならない。
自分が受け取ったバトンを誰かに渡すこと。
レヴィナスも、内田さんも、その人生の大先輩も、同じことを言っている。
あるところまで突き抜けると、同じことを言うようになるのだろうか。
最近、生活がざわついていて、読書をする時間があまりとれない。
少し穏やかに何かに向き合う時間をつくるようにしよう。
これまでに蘇州は何度も行ったことがあるけれど、すべて仕事。
今度は観光がしたい。
帰りの高速鉄道の車窓から見えた夕陽。
雲と重なって、まるで、天から誰かの目がのぞいているみたいに見えた。

でも不思議とこわくなかった。
昨晩、1冊読み終えた。
『邪悪なものの鎮め方』(内田樹著、バジリコ株式会社)
「邪悪なもの」と言ったら、自分の心。
抑制がきかず、怒ったり、すねてしまう心。
先日ある人生の大先輩が
「歴史というのは、なぜそのときに、その人は、その選択をしたのかを考える事が大切なんだ」
と言っていた。
この本には、まさにそんな感じのいろいろなエピソードが語られていた。
内田さんの文章には、確か以前エマニュエル・レヴィナスの本で出会った。
レヴィナスは、なぜナチの強制収容所から生きて返ったのが自分だったのかを、
死んだのが自分ではなくて隣人なのかを考え続けていた。
そこにもきっとなんらかの選択があったから生き残ったはずだと思うのは部外者で、
当事者はそんなふうには感じられないようだった。
でも、生き残ったのなら、何かを伝えなければならない。
自分が受け取ったバトンを誰かに渡すこと。
レヴィナスも、内田さんも、その人生の大先輩も、同じことを言っている。
あるところまで突き抜けると、同じことを言うようになるのだろうか。
最近、生活がざわついていて、読書をする時間があまりとれない。
少し穏やかに何かに向き合う時間をつくるようにしよう。