ゆっくり読書

読んだ本の感想を中心に、日々、思ったことをつれづれに記します。

チェ 39歳 別れの手紙

2009-02-12 23:19:47 | Weblog
後編も見て来た。
前編よりも面白かった、と思う。

キューバ革命に成功した後、ボリビアに渡り、革命のためのゲリラ戦を起こしたけど、
民衆がついてこなかったのと、アメリカの圧倒的な火力に負け、
ついに捕らえられて処刑された、ということらしい。平たく要約すると。

前編のような戦闘シーンもないし、国連での大演説もなく、
全然華々しくないんだけど、どんどん追いつめられて行く姿の方が、
なんだかこう・・・、感情移入できたなあ。

そういえば、数年前に、チェの遺骨が見つかったとか言うニュースを聞いたような気もする。
「やはりボリビア軍に捕まって殺されていた」とアナウンサーが言っていた。

それにしても、今回のボリビアの描かれ方は、なんだか「どうしようもない国」だったなあ。
チェを美化すると、必然的にそうなるのかもしれないけど。
ボリビアのインディオ系の人たちの顔は、私が知っているおじさんたちによく似ていて、
途中で吹き出しそうになることがしばしばあった。危なかった。

ボリビア人がキューバ人に比べて、本質的に「戦いを好まない民族」であり、
たとえ現状に満足していなくても、積極的に立ち上がらない人たちだとしたら、
やはり日本人の血と近いのかもしれないとも思った。

パリ・コミューンも中国の毛沢東が起こしたような革命も、
日本では、未来永劫、起こらないような気がするもの。

そして、やはりアメリカの火力が勝利するのか。

臨床真理

2009-02-11 23:36:20 | Weblog
柚月裕子著、このミス大賞受賞作、宝島社刊

まず読み始めて思った第一印象が、テンポのいい文章だな、ということ。
私は女性の書くミステリーがあまり得意ではなかったのだけど、
この作品は「ぱきぱき」進んで行く印象で、とてもよかった。

テーマは臨床心理士ということで、
最近、孤児院とか、精神病院とか、そういったところを背景に書く
ミステリーが流行っているのかな、と改めて思った。
非日常の環境というものが、
今の日本だと、そのあたりにしか残されていないのかもしれない。

後半になると、簡単な暗号解読も出て来るし、
密室殺人こそ出てこないけれど、ミステリーの醍醐味はてんこもり、
という感じだった。
いくつか「違和感」が残る部分もあったけど、
全体としては、とても面白い小説だった。

私が通っていた小学校には特別学級があり、
ときどき、そこの生徒と交流する時間があった。
最初は、仲良くなれたらいいな、と思いながら話しかけるのだけど、
いつも意思の疎通ができなくて、だんだん諦めていったことを思い出す。

誰かとコミュニケーションをとろうとするとき、
相手が、こちらの望むような態度や、予測した範囲でのリアクションをくれないと
だんだん疎遠になっていくというのは、誰に対してでも同じこと。

特に社会人になってからは、仕事で接する人の背景などを、ほとんど知らない。
知らないうちに傷つけていたり、傷つけられたりする。
非日常は、常にそばにある。

ウパニシャッド

2009-02-10 23:25:25 | Weblog
辻 直四郎著、講談社学術文庫

古代インドで著された哲学書の総称である「ウパニシャッド」。
宇宙の根本原理や輪廻転生、解脱や業(カルマ)など、
仏教でなじみ深い考え方や用語が、古代インドにおいて
いかに「発見」されたのかがわかる。

つまり、人類の精神文化におけるひとつの進化過程が記されている。
とても面白かった。

「無知を信奉する者は漆黒の闇に陥る。されど学識に満足する者はさらにはなはだしき闇に陥るに似たり」

今日、たまたま会社で、ある「小賢しい人」の話題になった。
ある人は、「あまりに稚拙な嘘をつくから、かわいく見えちゃう」と言い、
またある人は、「あまりに小賢しい罠だから、ほんとに腹立たしい」と言う。
私はその本人に会ったことも話したこともない。
ただ、仕事上もれ伝わって来るその人の動きや、周りの評価で想像するしかない。

どうやらみなの意見が一致しているのは、
その人が「自分は賢く、周りの人はみな自分よりバカだ」と思っていて、
自分のトークによって、みなを手玉に取っていると本気で信じているらしい、ということだ。

でも、口先の嘘でごまかされている人は、実際は多くないらしい。
最も大きな罠は、その人自身の「傲慢さ」なのかな。

近いうちに、チェ・ゲバラの後編を観に行く。

鍵のかかった部屋

2009-02-09 22:19:58 | Weblog
ポール・オースター著、柴田元幸訳、白水Uブックス―海外小説の誘惑。

大好きなポール・オースターの本を、また読んでみた。

カバー裏の内容紹介より。
美しい妻と傑作小説の原稿を残して失踪した友を追う「僕」の中で
何かが壊れていく・・・。

今回も、見事なまでの「壊れっぷり」でした。

物語の中で、失踪した友はすでに死んだものとして、いろいろなことが進んで行く。
そして、死者は、音もなく確実にのこされた生者の世界を蝕んで行く。
なぜなら「死」というものは、
たとえ他者の「死」であっても、必ず自らの「死」と向き合うことになるから。
そして、自らの「死」と向き合ったとき、
そのきっかけをつくった相手が、本当に死んでいるかどうかなど、
もう関係なくなっている。
見つめているのは、自分自身の「死」だから。
目を背けたいのに、どうしても見つめてしまう。

こういった小説は、日本では「ミステリー」のジャンルに入るのだろうか。
「本格」ではないけど、広い意味での「ミステリー」に含まれるような気がする。
最近、「ミステリー」というジャンルが含む文章の枠が広すぎて、よくわからない。

話はかわって・・・、
今日、会社からの帰り道に通る新宿駅で、夫婦喧嘩をしている人たちを見かけた。
父親と母親が大声で叫びながら、子どもを引っ張り合っていた。
みなが見ていた。

両親は「子どもを思うがゆえに」、「あなたには任せられない」「自分が連れて帰る」と
主張し合っているようだった。

その子は、ただただうなだれていた。
きっと「両親が、そこまで自分のことを思ってくれるのなら、なぜいまここで、
この瞬間、こんなに悲しくて恥ずかしい気持ちに自分はならなければならないのだろう」
と思ったのではないかと思えた。

ケンカをとめてはあげられないし、
その子に声をかけても傷つけてしまうだけだから、何もできないけれど、
ただただ、その子がこの先、人を信じて、自分をゆるしていけるようにと祈りたくなった。

悪の知性

2009-02-08 22:59:11 | Weblog
ジャン・ボードリヤール著、塚原史、久保昭博訳、NTT出版。

帯には、「ボードリヤール最後の思想書」とだけある。
このシンプルなのがいい。

ボードリヤールの本は、今回はじめて読んだ。
よく理解できない部分が残ったけれども、全体としてとても面白かったので、
これから少しずつ読んでみようと思う。

テレビによって、まるでバーチャル世界のように中継される戦争。
そして、9・11事件のあとに起きたテロとの戦いのように、
「未然」に防ぐため、悪の可能性をつぶすための戦争。

確かに私の身近な人がテロの犠牲者になったら悲しいし、世を恨むと思うけれど、
だからといって、表面的に犠牲者という存在を「消去」するための、
戦争なり大義名分なりというのには、とても違和感がある。
実際に戦争が起きれば、誰かが犠牲になる訳だし、その中には一般の人もいる。
こちらにとっては「犠牲者ゼロ」かもしれないけど、
相手方には、確実に「犠牲者が誕生」している。
犠牲者を「消去」することなんて、無理なんだ。

そういったことについて、問題を鮮明にし、考えを進めて行くのが、
この本の面白さだった。
もちろん、美術などについても言及されていて、
少し一面的かな・・・、と思うところもあったけれど、
対話がしてみたいと思える魅力があった。

ボードリヤールは、2007年に亡くなってしまったのね。
残念。

キムチ鍋

2009-02-07 21:57:19 | Weblog
二日続けて鍋。今日はキムチ味。
野菜をたくさん食べて、とても身体の調子がいい。

キムチには白ワインがあう! と思っているので、
チリワイン「サンライズ」の白を買った。

サンライズのシリーズは、リーズナブルで美味しくて、
家庭で飲むにはとても手頃でいいと思う。

十何年も前に北京留学していたときの友だちが泊まりに来ているんだけど、
変わらないというか、変わったというか、なんだか変な気分。
ここが北京大学の寮だと言われても、なんだかそんな気もするし、
でも快適だから日本なんだよなと思う。
だって、テレビがあるし、そこから聞こえる声も日本語だから。

そして、さっき自覚した。
私はテレビをなんとなくつけておく、ということが苦手らしい。
というか、テレビを見続けることができない。
テレビを見ながらリラックスして、ボーッと語ることもできない。
そういう習慣がないんだな。

ということで、macを取り出して、
いつも通りネットを見たり、メールをチェックしたりしてしまう。
そうこうしているうちに、隣で友人は居眠りをはじめた。

この適当な感じも、まるで留学中のようだ。

カレー鍋

2009-02-06 22:41:14 | Weblog
またまた私の大好きなサッカー選手が、三食カレーOKな人なんだけど、
以前ブログにカレー鍋がおいしいと書いていたので、今日試してみました。

お鍋のスープをパッケージで買うのは始めてだったんだけど、
いまのこういった「レトルト」食材は、本当においしいのね。
ダシとか全然不要。
袋を開けてお鍋にダシを入れて、
ぽんぽんお肉類と切ったお野菜に入れて行くだけで、とても美味しいお鍋ができました。

さすが「カレー好き」が勧めるだけはある。
お店で食べるレベルでした。
って、お店でカレー鍋を食べたことないけど。

来週は、ワールドカップ予選か。
がんばって欲しいなあ。

三つの小さな王国

2009-02-05 00:45:57 | Weblog
スティーヴン・ミルハウザー著、柴田元幸訳、白水uブックス―海外小説の誘惑 (新書)

形状は「新書」だけど、通勤電車で読むには適していなかった。
新幹線で東京→新大阪くらいなら、いいかも。

つまり、文章のテンポが「サクサク」というわけではないし、
情景描写も細かくてイメージすることが多いので、
切れ切れの時間で読むような文章ではなかった、と思う。
総じて、とっても丁寧な文章だし、独特の雰囲気のある内容だった。
取り上げているのが、漫画、文章、絵画だったし、じっくり読むべき小説だったと思う。

そもそも、文章は集中して読むべきものだけれど、
「あ~、誰か咳をしてるなあ。インフルエンザ、うつさないでよ」などと
頭の片隅で思ってしまうと、この小説の魅力は半減。
ただの冗長な文章に変質してしまうから困った。

家で読むべき文章なら、単行本で、開いておけるほうがいいんだけど・・・、
ついでにポイントも大きくして、行間をあけてほしい・・・、
などと、贅沢なことをときどき思いながら読むしかない。
まあ、それで価格が高くなったら、買わないだろうけど。
そこが難しい。

もし、
・より多くの人の目にとまるようにと考えられた結果の、内容とタイトルのミスマッチ
・営業の視点に引きずられた、ちょっと的外れな帯の文句
・主に書店の棚の確保と、コストに影響された文章に適さない書籍の形状(製本、本文組版すべて)
という要素に、編集者が束縛されなかったら、本当の本のファンだけが残って、
いろいろと淘汰されて、結局は出版界全面じり貧なんてこと、ないんじゃないだろうか・・・。
そんなに簡単じゃないかな。

いつの間にか、本も「消費物」になったということか。

今日会ったアニメ界のおじさんが、こんなことを言っていた。
「最近、電車に乗ると、みんな携帯で何かをやってるよね。
 主婦みたいな人も、携帯でゲームをやってるでしょ。
 それにDSをやりながら、駅のフォームを歩いている人もいるよね。
 あとは、満員電車でも週刊のマンガを読んでるでしょ。
 たま~に、電車の中で本を読んでる人を見ると、
 この人、まともだな~って思うよね」と。

私は電車の中で本を読んでいるけど、自分がまともだとは思ったことがないなあ。
どちらかというと、時代にのれない「まともじゃない人」に含まれると思ってた。

今日は節分

2009-02-03 21:40:54 | Weblog
帰りのスーパーで、恵方巻を衝動買いした。

思い出すなあ。母の巻寿司。
私の母は、とにかく太い巻寿司をつくることに情熱を燃やす人で、
少しでも太く巻くべく、毎回、ものすごく細心の注意をはらいながら、
誰もが驚くような太い太い巻寿司をつくっていた。

そう。まるで恵方巻くらい太かった。

太くなるにつれて、中の具も増えていったからよかったんだけど、
必ず入っていたあの「かんぴょう」という食材だけは、
何がどう美味しいのか、どうしてもわからないままになっている。

今日は一応、作法どおりに東北東を向いて大きく口を開け、ガブリ。
大口を開けると、なぜか実際以上に美味しく感じる。

そして、もぐもぐかみながら、まったく違うことを思い出した。

私が中学生の頃、同級生のお母さんは、
常にお財布の中に10万円くらい入れていた。
確か10万円という「ひとたば」を始めてみる機会も、その友人の母によってもたらされた。
「お~っ!」と声をあげた記憶がある。

当時、私の母のお財布には、平均して5千円くらいしか入っていなかった。
別に堅実だった訳ではなくて、預金口座にもあまりストックはなかった。

いま、みんなのお財布には、デフォルトでどのくらい入っているのだろう。
私の場合、高い買い物はほとんどカードでするから、あまり現金はもっていない。
でも、会社から自宅までタクシーで帰れるくらいの現金を持ち歩こうと思っている。
急に具合が悪くなったら困るから。

それでも、だんだんタクシーもお財布ケータイなどが使えるようになって来たし、
現金を持ち歩く必要はなくなってきた。

だからこそ、今度なにか家具を買う時は、ぜひ現金で支払いたいと思う。
でも、こだわり家具なんかはネットのほうが探せるし、そこで買うから、
結局支払いはカードになっちゃうんだよね。
なんだか、もうひと味欲しいなあ。

北欧神話の世界

2009-02-02 22:33:05 | Weblog
神々の死と復活。アクセル・オルリック著、尾崎和彦訳、青土社刊。

北欧神話の中心である「ラグナロク」。
ワーグナーが楽劇にもした「神々の黄昏」の世界。

小学生の頃、「北欧神話って面白い」「ラグナロクって不思議」、
と思い、いくつか簡単な北欧神話の本を読んだことがあって、
「いつかワーグナーのニーベルングの指環が観たいんだよなあ」
と思っているという程度の私には、難しい一冊だった。
とてもとても真面目で専門的な「北欧神話論」の本。

「神話」というとギリシャ神話のほうが有名かもしれないけど、
なんだか私は北欧神話のほうが、想像力をかき立てられる。
イメージで言うと、ギリシャ神話はフルカラー決定版で、
北欧神話のほうは、モノトーンの水墨画の世界。

フルカラーだと、目から入るイメージが強すぎて、
「参りました」という気分になってしまうときがある。
でもモノトーンだと、濃淡や重なりで、その奥行きや広がりを表現するから、
私がいくらでも想像する余地がある感じ。

もう少し、北欧神話関連の本を読んでみようかな。