ゆっくり読書

読んだ本の感想を中心に、日々、思ったことをつれづれに記します。

臓器移植

2009-05-14 22:39:31 | Weblog
臓器移植法の改正案についてテレビのニュース番組で報道していた。

臓器移植で、健康になる人がいるのだったら、
もっとチャンスは広がった方がいいと思う。

でも、「脳死」って何なんだろう。
測定装置にうつされる脳波の動きなんかで、本当に「脳死」が受け入れられるのだろうか。
そして、「脳死」を「人の死」として受け止められるのだろうか。
それが家族の場合。

今は延命装置が発達しているから、たまたま、とても心臓が強かったために、
意識が残らないまま、何年も何年も寝たきりで延命する人もいる。私の母のように。
では、あの状態は、「生」と「死」どちらなのか。

最後のお別れのとき、母の脈がどんどん弱くなって、
手の指先や足や、すべての「流れ」が止まっていく過程を見て、
はじめて「死」を受け入れる気になった。

16年も植物状態の母とともにあったわけだけど、
その間、一度も「母の死」を受け入れたことはなかったことに、
はじめてそのとき、気がついた。

西洋医学は、確かに病気を治してくれることがあるし、
生死の鍵を握っていることが多いけれども、
でも、それがすべてではないと、人の心は知っている。

「自分が希望を捨て、諦めてしまったから、家族は死んでしまったんだ」
ただでさえ、人の死に直面したとき、こんなふうに感じることがある。
親戚から「薄情だ」となじられることもある。

いずれにせよ、「人の死」は、生き残った人が背負うもの。
それが、どんな死であったとしても。

梅干し

2009-05-13 22:53:35 | Weblog
私の親戚は、梅の産地にいる。
そのせいもあってか、母は、昔よく梅干しを漬けていた。
私も梅干しが大好きで、小学生の頃、梅干しを干すのは私の役目だった。
夕立にぬれると、梅干しはダメになるから、
天日干しをする1週間は、外に遊びに行けなかった思い出がある。

今日、友人に梅干しを作る課程を説明した。
いまは漬ける時間がないけど、ずっとやっていたことなだけに、
大まかな手順の説明くらいはできる。

ここ数年、市販の梅干しで、うちで漬けていた梅干しの味に近いものを探している。
でも、なかなか見つからない。
まれに、道の駅などで、地元の方が漬けた梅干しに近いものがあるくらいだ。
百貨店などで売られている「高級」梅干しの味は、ほど遠い。

その差は、どこからうまれるのか。

私は、実際に天日干ししているかどうかの違いだと思う。

梅は、天日干しすると、ちゃんと日焼けする。
皮が少し固くなるのは日焼けするから。
そして、あの梅干しの香りは、お日さまを吸収したにおい。
布団を干すと、お日さまのにおいがするのと同じだ。

あの香りだけは、工場のなかでは絶対につけられない。
減塩だ、無添加だと言っても、香りだけはどうにもならない。
そして、それが美味しさの大きな差になる。
そう思っている。

いつか、また自分で梅干しを漬けたい。

般若経典

2009-05-12 22:09:29 | Weblog
中村元著、現代語訳大乗仏典、東京書籍刊

このシリーズは、本当に読みやすくていい。
中村先生によるサンスクリット語からの和訳、漢訳との比較など、
私のような初心者が仏典に親しむ入門書としては、本当に最適。

般若経典では、「空」が説かれている。
否定も否定される、言葉ではいいあらわすことのできないこと、
とどまることのないこと、らしい。
認識は言葉に頼る部分が多いだけに、言葉でいいあらわすことができない境地を、
いったい、どんなふうに受け止めたらいいのか。
それに、何か考え事をしたとき「決めたい」し。

涅槃もない、悟りもない、と言われると、
じゃあ、迷ってぐるぐる考えている今の私の状態そのものが「空」なんですか?
と質問したくなる。

そして、「慈悲」というとても難しいことを考えていたときに、
たまたま昨日、ある友人と話す時間があった。

いろいろなことを言われたけれど、
要は「悟ったふりなんかしてないで、もっと自分がしたいことをやれ」と
言われたような気がする。
頭がガンガンするくらいストレートに。

かなりワガママに生きているけれど、まだまだ突き抜け方が足りないぞ、
と言われたと思った。

人生というのは、果てしない。

アキレス腱のばし器

2009-05-11 23:49:34 | Weblog
カワセというメーカーから出ているヘルスストレッチャーを買った。

友人宅に、友人父がつくった似たようなストレッチャーがあり、
使ってみたらすごくよかったら、同様の器具をAmazonで買った。

これがすごくいい。

私は学生時代に怪我をしたため左膝がよくない。
靭帯がのびているから、どうにもならない。右膝に比べても可動範囲が小さい。
そのため、なんとなく体が歪んでいるような気がしていた。

このストレッチャーに乗ると、
なんだかスキーのジャンプ選手のような気分を味わい、
ぐっとアキレス腱から腰にかけてが伸びる。

マスター級の友人によると、頭の先から血行がよくなる感覚を味わうとのこと。
まだ、私は痛いし、左右均等に体重をかけられないせいで、
そんな境地には達することができないけど、
お風呂上がりに10分ほどストレッチャーに乗ると、体全体がぐっと楽になる。

前屈などのストレッチもいいけど、それでは味わえない伸びがある。
このストレッチャーには足裏用のブツブツもついているので、足裏のツボ刺激にもなる。
ついでに、Amazonでは、かなり安くなっていた。
なんだか得した気分。

毎日続けることが重要。
少し、体重のかけかたが上手くなったような気がする。
骨盤のあたりを鍛えることは、体にとってとても重要で、かつ気持ちいいことと実感している。

GWのお昼ご飯

2009-05-08 22:57:50 | Weblog
今日の昼間、新宿のとあるデパートにあるすき焼き屋さんに行った。
このお店には、1ヶ月に1回くらい、お客さんが来た時や仕事の節目などに、同僚と行っている。

今日はたまたまデパートに用事があったので、少しリッチな食事をすることになった。

入ってみてビックリ。
いつものお昼のメニューがない。
どれもこれも、普段より1000円くらい高い。

お店の人に聞いてみると、まだGWなので、
いつもの経済的なランチメニューは出していないとのこと。
まだ、GWなのか。今日は平日ではないのか・・・。

そういえば、そのお店の近くにウナギ料理のお店があるんだけど、
去年の土用の丑の日、ウナギを食べに行ったら、
いつものランチメニューがなくて、高い料理しかなかった。

そして、その後、そのお店には半年以上行かなかった。
それまでは、そこも1ヶ月に1回くらいは食べに行っていたのに。
どうやら、同僚も私も、内心、かなりムッとしたらしい。

私は、あまりすき焼きが好きではないので、
いつもは、そこのお肉が入っていないランチを食べている。
今日は、その料理がなかったので、しょうがないから、すき焼きを食べた。
高いお金を払った上に、好きでもないものを食べる結果になったので、
何とも、高くついた気持ちになったランチだった。

当分、そのお店には行かないと思う。
せめて、お店の外に、普段のランチメニューとは違うことを掲示しておいて欲しかった。
食べ物の恨みはこわい。


天界の城

2009-05-07 20:53:00 | Weblog
佐藤史生著、ハヤカワ文庫。マンガ。

「阿呆船」「馬祀祭」「天界の城」「羅稜王」「やどり木」、
どの短編もおもしろかった。
さすが私の性格を見切っている友人が貸してくれたマンガなだけある。

マンガは読み方がよくわからないんだけど、
この本は、読んでて、すごくすっきりした。
きっと、描いている世界の隅々まで、プロットがしっかりしているからだ。
ちゃんと世界をつくったうえで、
どこを書いてどこを書かないかを、ちゃんと考えている。
そんな印象。

正直なところ雰囲気優先のマンガは苦手で、
そんな小説は、もっと苦手なんだけど、
マンガは、作家さんにも疎いだけに、なかなか手が出ない。
友人のススメはありがたい。
やはり口コミは信じるべきだと思った今日この頃。

話は変わって、
この連休中、2000年に行ったチベットのことを思い出していた。
サキャという町は、滞在時間は短かったけど、すごく印象に残っている。

サキャでのことを、いつか短い文章にまとめたいと思って、
いろいろ思い出しながら、箇条書きにしてみた。
こういったことは、頭と気持ちがリラックスしている時でないとできない。
4日以上の連休じゃないと、なかなかここまでのリラックスはできないし。

次の連休は、秋かなあ。

神曲〈3〉天国篇

2009-05-03 23:28:02 | Weblog
ダンテ・アリギエーリ、寿岳文章訳、集英社文庫ヘリテージシリーズ

たまに聖書を拾い読みしても思うし、この神曲もそうだけど、
本当にすごい文章だと思う。

約2000年にもわたって、多くの人に読まれ、考えられて来ている「世界」は、
やはり、並大抵のフィクションがかなうものではない。
人の想像力の限界を追求していると思う。

私はキリスト教徒ではないので、途中「ふ~ん、この飛躍がわからん」と
思うところもあったけれど、いやはや全体としてすごい文章だった。

でも、こう、読後感として感涙にむせぶ気になれていないのは、
やはり信者ではないからなんだな。きっと。
やっぱり私は仏教の本をもっと読もう。


話はかわり、
連休が始まった金曜日の夜から今まで、ほとんど病人のように寝ていた。
体調の異変に気づいた金曜日、もしかしたらすごく疲れているのではないか、と思って、
強制的に横になっていたら、まあ、眠れる眠れる。びっくりした。

うとうとしていたとき、いろいろな悪夢がやってきてた。
そして今日の午後には、心にいろいろと浮かんでは消えるネガティブな感情を
少し遠くから、去来するがままに任せて眺めることができるようになった。

脳がリラックスしていると感じて、
久しぶりに、思念を開放するような感覚を味わった。
気持ちよかった。

鳥のさえずりや隣家の庭先の剪定の音、遠くから聞こえる工事の音、
自分の心を眺めながら、そういった音を聞き、
この数ヶ月間で、何が一番ストレスだったのかが、だんだんわかってきた。
思ってもみなかったことに、どうやらすごく腹を立てていたらしい。

きっと腹を立てていることを、自覚したくなかったんだな。

さて、自覚した。どうしようか。
とりあえず連休が終わるまでは、心のままにいよう。


神曲〈2〉煉獄篇

2009-05-01 23:56:22 | Weblog
ダンテ・アリギエーリ著、寿岳文章訳、集英社文庫ヘリテージシリーズ

詩的な文章は美しい。
でも、だんだん内容が理解できなくなって来た。
これは、私がキリスト教に、まったく疎いからなんだろうなあ。

煉獄山を登るにつれて、だんだん神の愛に近づいているのだろう、
と、何となく察することはできるのだけど、
自分自身の感動体験に置き換えて読み進めることができないのは、
私の想像力が足りないからなのか、文章読解力が足りないからなのか・・・。

次の「天国篇」なんて、ますますもって、
しっくり来ないまま読み進めることになるのではないかと思うけど、
たまには、違う国の言葉で文章を読んでいるかのような感覚も面白い。

つくづく、私には仏教のほうが、性にあってるんだなあと思った。

明日は、連休初日だし、
思い切り家に引きこもって、天地がわからなくなるくらいゴロゴロしながら、
ひたすら本を読んでやろう。
一歩も外へ出なくてもいいように、食料は十分に買い込んだ。

ちょっと持ち帰って来た仕事も、明日はしなくていいや。

私の周囲には、仕事のために24時間すべてを傾けている人がいる。
その人たちにとって、仕事は生きること。
クリエイターとはそういった人たちなのだろうと思う。

私の一番好きな時間は、本を読んだり、音楽を聴いたりする時間。
これは消費であって、生産ではないから、
仕事にはなり得ず、趣味・余暇ということになる。

一番好きなことが、たまたま「生産」することである人がクリエイター、
たまたま「消費」だった人が、普通に会社員をする。
どちらが偉いわけでも、特に幸せなわけでもない。

でも、クリエイターは「神」と呼ばれたがる。
創造する存在、としては当然の帰結だろう。
もし、彼らが「神」ならば、普遍の愛などは持っていないと最近思う。