ゆっくり読書

読んだ本の感想を中心に、日々、思ったことをつれづれに記します。

龍が飛んでいた

2009-12-18 21:15:13 | Weblog
今日の夕方、東京の空に、いつもと少し違う雰囲気の雲が出ていた。
まるでビルをかすめるように横に細長く伸び、
まるで龍が飛んでいるかのようだった。

たぶん地震雲と呼ばれている雲の一種だと思う。
よくは知らないから、本当にそうかはわからないけど、
昨日から何度か地震で揺れてはいる。

さて、昔の人だったら、これを吉兆と凶兆、どちらに読み解くのだろう。
などと考えていたら、
思わず、むかしテレビ放映していた「まんが日本昔ばなし」の歌が浮かんだ。
でも、口ずさむと「坊や、よい子だ、金出しな」という替え歌しか、
どうしても浮かんでこない。
これも一種の「すり込み」と言うヤツだろうか。

先日、とても久しぶりに、高校時代に好きだった歌手の新しいCDを聞いた。
音の重ね方とメロディラインのクセが、なんとも私の心を落ち着かせてくれる。

新曲を聞いても、やはりホッとする。
単に好きだ、ということだけでなく、私の脳にすり込まれた何かが、
うまい具合に化学反応する結果なのだろう。

言語も同じように思う。
外国にしばらく行っていると、
日本語の旋律が本当に懐かしくて、聞くと嬉しくなる。

小学生の頃、母と一緒に散歩をしていたとき、
一緒に地震雲を見た。
あの時の母の声が、聞こえたような気がした。

釈尊のさとり

2009-12-16 10:35:12 | Weblog
増谷文雄著、講談社学術文庫刊

この前に読んだ『正法眼蔵』がかなり重かったので、
もう少しゆったりと読める仏教の本が読みたくなった。
この本は、著者が講演で話したことをまとめたものなので、
言葉づかいがとてもやさしく、一章ごとの分量も適当で、
私のような仏教素人にも、たいへんわかりやすい内容だった。
『正法眼蔵』の内容を補ってくれるところもあった。

道元も書いていることだけれど、釈尊のさとりは「直観」であり、
これは向こうからやってくるもの。
ここにさとりがあるのか、それともあそこか、と追い求めるのは迷いだ。

釈尊は菩提樹の下で大覚成就したあと、
これで100点満天、万事あがり!とはならない。
ものごとがお互いに依存し合っていること、
苦しみとはなにか、法を他人に説くと言うことはどういうことか、など、
さまざまなことをじっくりと思惟してから、次の行動にうつっていく。

「直観」は感性で受けるものだが、
これにあらゆる角度から光をあて、じっくり見つめること。
釈尊についての本を読むと、いつも、
自分がいかに、うわべの気分だけに左右される人間なのかを改めて考える。

仕事を通じて、これまでに2人から「感性が乏しい」と言われた。
1人目は、約10年前。2人目は、つい数ヶ月前。
それぞれ、かなり失礼なことを本人に直接言う人だなあ、とは思ったけれど、
言われるからには理由があるのだろう。

私なりに思い返して、そう言われるに至った理由を捏造してみた。
つまり私は、ものごとを素直に受け止める余裕がなくて、
楽しめない人間だね、と言われていたのではないかと思う。

笠井潔さんの小説に、矢吹駆という登場人物がいる。
ヒマラヤで修行し、さとりをひらいたあと、
導師に山を下りろと言われた、その意味を考えているシーンがある。
久しぶりに読み返してみるか。

現代文訳 正法眼蔵

2009-12-15 23:28:34 | Weblog
全5巻。道元著、石井恭二訳、河出文庫刊

日本人が書いた文章であっても、翻訳が必要なものがあるんだった、と改めて思った。
言葉はおもしろい。
道元の文章は、かなりクセがあると思うのだけど、読みやすく訳してくれていて助かった。

悟りとは、ただ一度のものではなく、
ずっとずっと修行を続けて、どんどん悟りを積み重ねて行くこと。
これが悟りの本質だと言うくだりは、なんとも言えずいい。
実際、目の前がぱっと明るくなって、「そうだ!」と思うこともあれば、
同じテーマで、そのあとまた悩むことがある。
この繰り返しが人生だと思うから、勇気づけられる。

ただ、「仏(ブッダ)、法(その教え)、僧」を、
この世の宝として、すごく持ち上げていることに、
正直なところ、「僧」はどうなのだろう、リスクが大きいなあ、と思う。
道元は、当時の南宋の乱れた仏教界に対して、かなり辛辣な批判を加えている。
僧にしても、本物に出会うのは難しいし、自分で見極めなければならない、という点では、
仏や法と同じだから、同列でもいいのかもしれないけど。

あと、坐禅が最高の修行法だと繰り返し言っているのだけど、
ただ無になるだけでは、周囲の人に対する慈しみの心を育てるには不十分で、
いろいろなことを観想し、心をトレーニングする必要があるような気がする。
つまり、坐禅だけでは道元がバカにしている小乗仏教に近いところで、
勝手な自己満足に陥る罠があるような気がするのだけど、どうだろう。
こんなことを言ったら、理解していない、と、すごく道元から怒られそうだ。

いろいろといい考え方や言葉が詰まっている書物だと思ったのだけど、
どうしても違和感がモヤモヤありながら読んだ。

一番の違和感は、「選民思想」に近い辛辣な言葉だと思う。
道元の物言いは、本当に生真面目で、日本人の心にはきっとフィットするのだろうけど、
なんというか、「わかってない!」と相手を一刀両断にするような、
とても厳格なところがあって、私は居心地が悪い。
何が正しくて、何が美しいか、ではなくて、
ある出来事に直面したときに、こんなふうに感じてしまった自分が苦しいから、
どうしたら、他人を恨むのでも自分を卑下するのでもなく、
現実を受け止められますか、ということが、一番聞きたいんだ。
それに対する回答が、僧になって坐禅組んで修行しろ、だと、正直私は困る。

学校の先生が国を滅ぼす

2009-12-14 21:28:38 | Weblog
一止羊大著、産經新聞出版刊

先日友人が、学校で「君が代」を習わなかった、と言っていた。
それで、ふと思い出した。

私の場合、小学校で初めて音楽の専科が始まったときに、最初の授業で君が代を習った。
学校の先生は、確かこのように教えてくれた。
「君」というのは、天皇のことではなく、あなたたち1人ひとりを指していて、
みんながそれぞれ幸せに生きることができるように、という祈りが込められている。
戦前は天皇を指していた時期もあるけれど、
これが国歌なのだから、そういった歴史もふまえて、
国歌に対しては敬意をはらいなさい、と。

中学校もほとんど同じ。当時、まだ戦前の教育を受けたベテラン先生がいたので、
君が代や日の丸は、ちゃんと尊重すべし!と教わった。

ところが高校に入って、入学式に確か日の丸がなくて、君が代もなかった。
なんだか、とても不思議な感じがした。重厚感がなくて。

そのあと極左の歴史の先生に昭和の歴史を習って、
イヤと言うほど、日本が戦中に朝鮮半島や中国で行ったことを習い、
レポートを書かされ、まったくもって日本と言う国が嫌いになったし、
なんだか自分も悪い血が流れている人間のように思えて来た。

確か、高校の卒業式では、国旗掲揚をめぐって、
校長が屋上に掲揚しようとしたのを、誰かが阻止に行ったとかなんとか、
高校3年生にとっては、あまりにくだらない笑い話がたくさんあった。
もちろん同窓会でも、先生に向かって「やっぱり、君が代には反対なの?」と、
からかうくらいのネタにすぎない。

その後、大学生のときに中国に留学した。
あれ、これが共産主義の国なのか。私は日本人でよかった、と心から思った。
あの頃、高校時代の呪縛から解き放たれて、
私の心の中には、日の丸や君が代を大切にする気持ちが戻って来た。
これは、肉親の情に近い。

そして、最近、仕事を通じて、
公立校の先生ほど、気が合わない人たちはいない、とも思う。
生徒の平等と言うわりには、私たちに対して要求してくることは平等ではない。
「教育」という伝家の宝刀をかざして、どこまでもたかってくるし、
彼らは自分が正しいことをしていると信じて疑わない。
社会では、Win-Winでないと、関係が成り立たないのに。

そんなことがあったので、この本のレビューを見たとき、とても読んでみたいと思った。
現場のことが、赤裸々に綴られている。
ほぼ想像していた通りではあったけれど、
よく、これだけ記録をとっておいたなあ、と著者に感服した。

校長と教員の間で繰り広げられる話は、
議論と呼べるようなものでもなく、あまりに堂々めぐりで、
正直言って、読んでいるだけでもうんざりするけれど、
現場の校長先生に、この負荷をすべて負わせて知らんぷり、は、
よくないような気がする。やっぱり1人ひとりが考えるべきことだよな。

私が思うのは、たとえどのような歴史があろうとも、
ヒステリーに排除するだけでは、何の解決にもならない。
それは、新たにイデオロギーという「神」をつくり、
ひいては、極端で悲しい結果を招いた例は、すでにたくさんあるのだから。

確か日教組も民主党の支持基盤だったような・・・。

さすらう若者の歌

2009-12-13 00:23:14 | Weblog
今日、小学生のころに使っていたピアノの楽譜を開いたら、
たぶん母がはさんだのだと思うコピーが出てきた。

グスタフ・マーラーの「さすらう若者の歌」という歌詞で、
マーラーが25歳のときに完成させたと言われているもの。

4曲からなっている。
第1曲「恋人の婚礼の時」
第2曲「朝の野を歩けば」
第3曲「僕の胸の中には燃える剣が」
第4曲「恋人の青い瞳」

読むほどに、母が好きそうな歌詞だなあと思った。

特に第2曲の最後に、どんなにこの世に美しいものがあっても、
自分のもとにそれが訪れることはない、というようなことが書かれていて、
第3曲の最初の部分に、胸の中にはナイフがあって、
それが痛くてたまらない、という部分。

そして、第4曲の最後に、またこの世のすべてが美しく見えた、
という心が突き抜けた印象を受ける部分。

母は、いつか私がこの詩を読むと思って、はさんでおいたのだろうと思う。
すっかり思惑通りになったし、私もいい詩だと思った。
きっと何度も読み返すことになるだろう。

久しぶりにイヌと遊んだ

2009-12-10 23:35:55 | Weblog
昨晩、久しぶりに以前飼っていたイヌの夢を見た。

うちのイヌは雑種で、柴犬くらいの大きさだった。
夜と人間の外出時は外、それ以外は家の中に入れて飼っていた。

夢の中で、ふと目を覚ますと、布団のそばにイヌが立っていた。
身体を起こすと、スッとすり寄って来た。

私は、「社会人になってから、あまり遊んでなかったね。
今日は久しぶりに遊ぼうか」と言って、
あの子の犬歯に人差し指をひっかけて、頭を軽く揺さぶった。
むかしよくやったスキンシップ。

その時の触れた感覚が本当にリアルだった。
毛の感触も、匂いも、そして歩く足音も。
私の指に戻って来る、あの子の体重や体温も。
懐かしかった。

なにかを思い出して、なにかが心の中で進んだ。

学問の残り香

2009-12-09 23:32:15 | Weblog
「あ、これはキンブンだから」
「はい。わかりました」

ほとんど初対面の人と交わしたこの会話は、
私の心の奥底の、なにかすごく大切なもののスイッチを入れた。
そして、いきなり「キンブン」と聞いて、「金文」と漢字変換できる自分に感動した。

「リンショ」→「臨書」、「キュウセイキュウレイセンメイ」→「九成宮醴泉銘」。
酔っぱらっていても、ちゃんと漢字変換ができる。
意味がつながる。

うむ。学問とは、こういうものかもしれない、と思った一日だった。

今日、「書」についての話を少しした。
私はお習字は習ったことがないし、書道もマジメに取り組んだことはないし、
ましてや「書」の域のことは、まったくわからない。

でも、大学で中国文学を学んだとき、
「書をまったく知らないのは、たぶん恥ずかしいんだろう」と思って、
なんとなく書道を選択履修した甲斐が、10数年経ってあらわれた。

毎週課題を10枚書かされたあの「書道」という選択科目。
提出しても、先生はろくすっぽ添削をしてくれない。
枚数さえ数えてくれないから、提出した枚数が8枚でも、たいして影響がない。
そして、提出した半紙をそのまま見もせずに燃やしている、という噂さえあったあの授業。
なんのために書いているんだ、と思った矢先、自分の書いた字を見て、ふと思った。

半紙に縦書きで、漢字をいくつも書いて行く。
集中力を持続しながら1枚を書き上げること。しかもこれを10枚続ける。

もしかしたら、これは、自分を知るための行程なのかな、と思った。

書き上がったものを見れば、どこで集中力が途切れたかすぐわかる。
お習字を習ったことはないから、決してうまくはない。つたなさと苦労が滲んでいる。
でも、そこに、確実に、私はいる。

この感覚。この実感。
書が与えてくれる、なにかの入り口を、ほんの少し覗いたような気がした。

そして、10数年後の今日。
書の道を歩んでいる人と話をして、正直に自分の考えや感じたことを話し、
そして、向こうの言っていることを聞いた。
とても刺激的だったうえに、
私の引出しのなかに、書というフィールドにおいて共通の言葉があったことが、
とてもとても嬉しかった。

学問は、継続するからこそ、何かの大家になれる。
でも、忘れた頃にやってくる、なにか身に染み付いたもの。
これも学問なのではないかと実感して、すごく嬉しかった。

Twitter

2009-12-08 18:25:15 | Weblog
最近どうも発想がネガティブなのだが、ここ数日はTwitterに助けられてると感じる。

mixiは、始めたキッカケが同窓会だったので、
そこでの人間関係に疲れたとたん、ログインする気持ちが失せてしまった。
かつての同級生にはもちろん、その他の友人にも申し訳ないけれど、
面識がある人なだけに、コメントしてくれたら返事をしなければならない、
というプレッシャーが重かった。

ブログは、書くのは大好きだけど、考えたり感じたことを、
なるべくちゃんと書きたいと思っているので、体力がいる。

その点、Twitterは気軽で、感覚的に言葉を発することができるし、
人間関係が希薄なので、キーワードで検索して、
面白そうだけど実際は会ったこともない人の発言を
勝手にフォローすることができる。

いま一番必要としていたのは、もしかしたら、
こういう場というか空間だったのかもしれないなあ、と思った。

仕事で、人数が少ないわりにはチームワークなんてない環境にいるし、
こちらが話をしたら、その分相手の話も聞かなければならない。
そうすると、少人数では、どんどん雰囲気が濃くなるいっぽうになり、
それがストレスの原因でもあったわけだから、言いっぱなしができるTwitterはラクだ。
そして、たまに友人が反応してくれると嬉しい。

世の中には、いろんなことに興味をもっている人がいるもので、
他人のつぶやきを眺めているのでも十分楽しい。
興味があるけれども追っている時間まではないものを、
誰かが追いかけてくれて、コンパクトに報告してくれるわけだから、すごく助かるし。
当分、活用してみようと思う。

でも、ブログに「まとめて投稿」するのはストップした。
なんだか、このブログとはコンセプトが違うような気がするから。
この、私にしか意味のない勝手な境界線が、またなんとなくいい。

スピノザの世界

2009-12-08 00:01:19 | Weblog
神あるいは自然 上野修著、講談社刊。

先日読んだポール・オースターの『ミスター・ヴァーティゴ』で、
師匠が愛読していたスピノザ。
一度読んでみようと思って『エチカ』とこの本を買った。

ぱらぱらと『エチカ』をめくてみたら、少し難しいような予感。
こちらから読んでみることにした。
とても読みやすくまとめられていたので、入門書としては最適だった。

17世紀のオランダ、ここがどんな風土だったのかは想像がつかないけど、
きっとスピノザは、とても自由な思考回路を持っていた人なのだろう、と思う。
というか、神をこんなふうに解体・再構築してよかったの?と思った。

スピノザは、人間が自由意志で感情を統御することに同意しない。
人間のできることは非常に制限されている。
だから、負け組になったのは自業自得さ、というような考え方はしない。
人間は自分たちが自由だと思っているから、他の人間をすごく愛したり、
逆に憎んだり、妬んだりするけれども、自由意志なんて幻想だと言う。

そして、神の概念は「自然」に近い。
もし「神」という言葉が、仏教のダルマという言葉に置き換えられていたら、
きっと私はスピノザの言葉を、普通に仏教のお話として受け止めただろう。

スピノザという人についてよく知らないけど、
マニ教とか、カタリ派などの影響を受けてはいないのかな。
ウィキペディアで、そのように書かれていないから、
きっとそんな証拠は見つかっていないのだろうけど、
その切り口でスピノザの思想を見つめてみたら面白そうだと思った。
誰か、研究してるのかな。

まだ『エチカ』にトライしていないから、違っているかもしれないけど、
西洋哲学の偉人のなかでは、
スピノザは、比較的日本人の心にフィットする哲学者の一人だと思う。

ある思い出

2009-12-07 12:28:11 | Weblog
土日に、すごく慌ただしくだけど関西へ出張で行った。
今回は、神戸と和歌山。
ルミナリエで大混雑だったから神戸のホテルがとれず、宿泊は尼崎。
出張のいいところは、通勤がなくてホテルと仕事場の距離が近いことなのに、
今回は土地勘のないところで、こまごまと移動しなければならなくて、
なんだかすごく消耗した。

私はたぶん、関西が苦手。
これはまったくの個人的な事情で、関西という土地柄のせいではない。

私の母は滋賀の大津の出身で、祖父は大阪、祖母は和歌山の出身だったらしい。
祖父母には会ったことがないから、戸籍以上のことはあまり知らない。

母は、いわゆる複雑な家庭というやつで育ち、
養父とその愛人にかなり虐められたらしく、
20歳の頃、耐えきれなくて東京に飛び出して来たらしい。
母はよく、夜に昔のことを思い出して泣いていた。

それでも、今から思うと、母の心と言うか、精神の原点は関西にあって、
ずっと東京には馴染めず、帰れるものなら帰りたかったのだなあ、と思う。

母はずっと天平時代の歴史に興味があって、よく本を読んで調べ物をしていた。
地名は、関東よりも関西のほうが詳しくて、
ニュースで関西の地名を聞いては、地名の由来や昔あったいろんなことを語っていた。

私は、関西に行くと、その頃の思い出がどっとあふれてきて、
本当にいたたまれない気持ちになる。
もしタイムマシンがあったら、いますぐ助けに行くのに、って、
泣いている母を見ては思っていた。
それに、母が語る天平時代の話は本当に面白くて、もっと聞きたかったし、
いま、あらためて語りたいと思うこともある。
できることなら、一緒に旅がしたかった。

母は戦争の時代に生まれたので、きっと母と同世代の人の中には、
戦争のために生まれてすぐに不幸な運命を背負った人がたくさんいるのだろう。

最近、何かを乗り越えるためには、
少なくとも三世代は必要なのではないかと思う。

祖父母がもっていたネガティブな側面は、到底母には越えられない。
それを越える可能性を持っているのは私の代かもしれない。
そして母が持っていたネガティブな面は、私ではなく次の代が越えうる。
そう考えると、子どもを産んでいないことを申し訳なく思う。

少し疲れてるのかもなあ。