ゆっくり読書

読んだ本の感想を中心に、日々、思ったことをつれづれに記します。

つれづれ仏教講座

2012-10-21 19:15:12 | Weblog
昨日は、まるまる1日空気が悪い中を歩いたので、今日は少し養生。
引きこもって読書。
『蝉丸Pのつれづれ仏教講座』(蝉丸P著、エンターブレイン刊)

何年か前に、高校の同級生から「サンタ菩薩」の動画を教えてもらって以来のファン。
とはいえ、あまり真面目なファンではないけれど、いつも気になっている。
「オタクってすごいなあ」と、私のオタク観をがらりと転換させてくれたうちの1人。

仏教についてのあれこれが、さらりと読めるふうに書かれているのだけれど、
私はゲームをほとんどやらないし、アニメや漫画も疎く、
ましてや自分で動画をつくってアップするような気合いもないので、
文中の例で挙げられているもののほうが、なんだかわからない。
でも、ちゃんと丁寧な脚注がついている。

仏教の話は本文中メインで、非常に噛み砕かれておりわかりやすく、
「○○のようなもの」という例のほうに脚注がついているという、
「本当に解説したいのは、どっちなんじゃい!」と突っ込みたくなるような構成だった。

いや~。蝉丸Pさんは、リア住(リアル住職)で確か私と生年が同じだったと思うんだけど、
こんな才能を持った人がいるんだなあ。
何かにハマった後どこまで継続して掘り下げるかが、人生の差になるんだな。

仏教とオタクなんて、一番遠いように思うけれど、
観念の世界と現実の世界の距離感とか、基本的な知識と行動力が必要なところとか、
実はすごく親和性があるのだろうと思う。

結局は、単に現実逃避してあえて目を閉じたいか、
現実をしっかり見つめて、どのように受け止めたいかという違いで、
何に対してのめり込んでいるかは、あまり関係がないのだろう。
自分の素直な欲求として突き詰めて行くことができる人は、やはりすごい。

私は、以前なんとなく仏教に逃げたいなと思ったときに、
父の菩提寺のお坊さんの高慢な態度が非常に不快で、
「日本の仏教はくさっちょる!」と矛先を変えて自分をごまかした。
でも、いまでも仏教周辺でうろうろしている。
それに、逃げて行った先の「宗教」は、根本的には救ってくれない。

ああ、上海くんだりまで逃げて来たけど、
やはり私は日本で悩んでいたことと同じようなことで、ぐるぐるしてるわけだから、
そろそろ気合いを入れて、自分と向き合い直すべきときが近づいているんだろうなあ。

蘇州1日ぶらぶらの旅 その3

2012-10-21 15:28:45 | Weblog
蘇州は、新しい建物がじゃんじゃん建てられていて、
「鐘が鳴ります~ 寒山寺」の雰囲気はすでにまったくない。
クラクションがうるさすぎて、鐘が鳴っていても、聞こえて来ないだろう。

でも路地を歩いていると、たまにまだいい雰囲気の川に出会う。



空気も、上海よりはいい。



川面に映る白い壁っていいなあ。



白居易が蘇州に赴任していた頃に整備したという山塘街で、
日本語の標識を見つけた。



「げとうはあちら」で、大ウケした。
「下塘」の音読みなわけで、まったく間違っていないんだけど。

地元の人たちが夕涼みしている。



上海蟹の季節だ。



鶏、あひる、ハトを売っている人がたくさんいた。



夕飯は、何か美味しいものを食べて来ようと思ったのだけど、
いまひとつグッと来るお店が見つからないなか時間切れ。
結局、上海に戻ってから、いつも行く火鍋屋に行くことになった。

上海人の友人は、想像していた旅行とかなり違ったらしく、ガッカリモード。
おそらく、観光地でわいわい写真を撮って、スイーツを食べて・・・を期待していた。
事前にちゃんと「違うよ」と言っていたのに、強引に着いてくるからだ。
そして、わかっていながら、私も合わせてあげないあたり、かなり中国化した。

蘇州1日ぶらぶらの旅 その2

2012-10-21 15:09:05 | Weblog
じゃあ、お腹いっぱいになったので、散歩をしましょう、ということで、
バスの中から見えた、ちょっと面白そうな路地に行くことにした。



上海人の友人は「そんな古くて、きったない路地に行くの? 私はイヤだから待ってる」と。
しかも中国語の大声で「古くてきったない」を連発する。
家の人に聞こえるだろうに・・・。
まったく、上海の80后だ。

こっちからしてみると「あなたの小さい頃の上海だって、同じようなもんだったでしょ」と
言いたくなったが、「それは、偏見ってもんだよ。どうぞご自由に」と言って、
置いてけぼりにしたら、心細くなったようで、メールがじゃんじゃん来る。
どっちが外国人なんだか、わからん。

路地で遊ぶ子どもたち。姉と弟なのかと思ったけど、一応、一人っ子政策中なのだった。



蘇州は市内をたくさん川が流れている。
なにかを作っていたのだけど、なにをやっているのか、まったくわからなかった。
ゴミをせき止めるのか、魚をつかまえるのか。



川が生活の一部なんだと、なんだか実感した。
写真だとよく見えないけど、船の上のたらいに、大根が一本乗っていた。
まあ、料理するんだろうなあ。



まあ、少しは観光地も行っておくか、と思い、一番近場にあった網師園という庭園に入った。

建物の入り口には、邪気除けの文様があった。



マルい入り口も邪気除け。
邪気が祖先の霊に悪さしないように。もしくは祖先の霊が出て来られないように、かな。



次に行ったのは留園。
江南の建物は、屋根が美しい。



北京の皇帝たちは、蘇州の庭園にあこがれて、奇石を運んだり、建築物を真似したりしたけど、
気候が違うから、こんなふうには、やっぱりならない。



で、とりあえず観光地終了。
というのも、観光地は人が多過ぎる。



これじゃあ、ひたれない。

中国のカップルは「本気で」ペアルックをやるから面白い。



蘇州は、むかしは自然と建物の調和が美しかったのだろうと、心で想像するだけで、よしとする。
庭園としての完成度は、やはり皇帝が北京につくった庭園のほうが勝るし、
いまの補修は、あまり上手とも言えない。
しかも中国人が大声で騒いでいる。

そしてまたもや街歩きへ。

やっぱり道の標識にまで、下着を干すんだよなあ。


蘇州1日ぶらぶらの旅 その1

2012-10-21 14:50:38 | Weblog
昨日は、蘇州1日ぶらぶらの旅に行った。
メンバーは、日本時代からの友人の日本人と、
関西弁を話し大阪のおばちゃんみたいな上海人の友だちの3人。

行き、7時46分の動車(高速鉄道)、上海虹橋駅→蘇州園区
帰り、19時28分の動車、蘇州→上海虹橋
片道約30分で着く。
蘇州市内の移動は、基本バス。
観光地を要領よく回るたびではないので、バスで十分。

日本人の友人と動車の席についたら、上海人の友人からメール。
「間に合わないので、先に行ってください。後から追いかけます」と。
ルートも決めていない旅で、本当に追いつけるかと思ったけど、
後からちゃんと会えたので、携帯電話ってすごい。

蘇州園区駅は工場地帯にあるので、駅前は殺風景。
とりあえず、バスでなんとなく蘇州市の方角に向かうことにした。
デモのときテレビにも映った久光百貨店の前を通ったけど、
外見上は、もうすっかり平静な感じだった。
途中、金鶏湖につくと、ごく普通で人工的な湖だった。



公園の駐車場では風車が売られていて、
なんとなく、お地蔵さんが見守ってくれているような気がした。
旅にはありがたい。



で、今回唯一の目的地である宝帯橋へ。
上海人の友人には、この橋で会うことにした。
そこそこ有名な観光地だろうと思ってのことだったんだけど、
バスで近くまで行ったがいいが、道がわからなくなった。
だいたい、川が多すぎる! さすが水の蘇州なだけあるなあ。



タクシーに乗ると、
地元のタクシーの運転手さんでもよく場所がわからないような辺鄙な場所にあった。



宝帯橋は、京杭運河に並行してかかっている。
京杭運河は隋の時代につくられた北京と杭州を繋ぐ運河で、
中国史の教科書には必ず出てくる。
運河をゆく船の船頭さんは女性も多く、この運河の安全性を語っているように思った。



いま残っているのは清の時代につくられたものだ。
橋の上を歩くと、むかしは上に建物が建てられていたのか、
欄干の支柱用のくぼみのようなものが残っていた。



国の重要文化財に指定されているわりには、入場料もなく、
地元の人が自転車で通ったり、釣りをしたりと、
最低限の補修をしながら、生活用の橋として使い続けている雰囲気だった。
橋の横には仏塔があったのだけど、例によって、仏さまの部分は削り取られていた。
これも文革の名残だろうか。



そして、バス停まで、歩いて、歩いて。
途中、番犬にならないような、おとなしい犬がいた。



一番近くのバス停から蘇州城外堀の内側に向かうバスに乗り、
なんとなく堀の内側でバスを降りて、麺を食べた。
ここまでで午前終了。

父の夢

2012-10-18 22:46:10 | Weblog
昨晩の夢は、いつもと違ったバージョンだった。

というのも、死んだ後の父が、自分が死んだことを自覚した上で、
登場して来た。

夢の流れはこうだ。

どこかの自然が豊かな山の中を中国人数人と歩いてる。
トロッコのような形をしたジェットコースターのようなものがあり、
それに乗ろうと思って並んだら、乗る直前に事故が起きた。

トロッコが次々と倒れ、底なし沼のような地面に吸い込まれて行った。
上からのぞいてみると、地下に大きな空洞があるのが見え、
こりゃーたくさん亡くなっただろうなあ、と思いつつ、その場を離れた。

町まで下りてくると、テント小屋があり、ランプの温かい光がもれていた。
なんだか寒かったので、暖をとろうとテント小屋に入ると、
そこは小さなバーで、なぜか奥の席に父が座っていた。

「ああ、そうか。このバーで父と待ち合わせたんだった」と思って、父の前まで行き、
「はい。カナディアンクラブの20年を持って来たよ。少し飲みかけだけどゆるして」と、
リュックからお酒の瓶を取り出して、テーブルに置いた。

バーなのにお店の人は怒らなくて、グラスと氷を用意してくれた。
久しぶりだから、たくさんお酒をつごうとしたら。
父は「少しでいいよ。この酒の飲み方はそうじゃないんだよ」と言った。

しょうがないから、自分のお酒もほんの少しにして、
「さっき、すごい事故を見ちゃったんだよね~」と言ったら、
「ああ、あれか。あっちの世界でも大変なことになってるよ。
 手抜き工事だ、あいつのせいだ、って実名が出ててさ。
 死んだ後でもたいへんだよ~」と、笑いながら言った。

「え? どんなことになってるの?」と聞くと、
「まあ、もう少ししたらな」と言われた。
そして、「また、この話は聞けないまま終わるんだなあ」と思ったところで、
夢から覚めた。

深層心理をさぐるまでもなく、まったく、いつも通りの展開だった。
永遠に繰り返される、父と娘のエピソードだなあ。

中国時間

2012-10-17 23:21:42 | Weblog
ふだん、あまり「ここは中国だな~」と感じなくなったのだけど、
今朝は久しぶりに中国気分を味わった。

思い立って、今度の土曜日に蘇州日帰り旅行に行くことにしたので、
朝8時に開くという街の切符売り場に行った。
店頭についたのは8時15分。

開いてない。
上海人のおじさんに、上海語で「まったくさ~」と話しかけられる。
だいたい言いたいことはわかるので、「そうだね~」と答えながら、
さらに待つ。
その間に私よりも先に来て待っていた人たちが脱落してゆき、
私はおじさんの次の2番目に並ぶことができた。

ゴホゴホと、わざとらしい咳をしながら、券売所のおばさんが現れたのが8時25分。
それから、ちんたらとパソコンを起動したり、釣り銭を用意したりして、
1番目のおじさんが8時30分スタート。
私が切符を買えたのは、結局8時40分だった。

その間、後ろからたくさんの中国人が
「どこそこ行きの切符があるかどうかを聞くだけだから」と割り込んで来たけど、
私と同じくらい早くから待っていた他の中国人が、
「調べるんだったら発券とたいして手間が変わんないのよ。
 みんな並んでんだから、後ろに並びなさいよ」と、
私の代わりに撃退してくれた。

「日本人だからっていじめられないの?」と、必ず聞く人がいるけれど、
基本的に、良識ある中国人と同じようなことをやっていれば、何も言われない。
それに、彼らも私が日本人だって、気づかなかっただろうし。

中国時間にしては、30分の遅刻なら、いいほうだ。

天の目

2012-10-16 23:39:30 | Weblog
今日は日帰り出張で蘇州。
これまでに蘇州は何度も行ったことがあるけれど、すべて仕事。
今度は観光がしたい。

帰りの高速鉄道の車窓から見えた夕陽。
雲と重なって、まるで、天から誰かの目がのぞいているみたいに見えた。



でも不思議とこわくなかった。

昨晩、1冊読み終えた。
『邪悪なものの鎮め方』(内田樹著、バジリコ株式会社)

「邪悪なもの」と言ったら、自分の心。
抑制がきかず、怒ったり、すねてしまう心。

先日ある人生の大先輩が
「歴史というのは、なぜそのときに、その人は、その選択をしたのかを考える事が大切なんだ」
と言っていた。

この本には、まさにそんな感じのいろいろなエピソードが語られていた。
内田さんの文章には、確か以前エマニュエル・レヴィナスの本で出会った。

レヴィナスは、なぜナチの強制収容所から生きて返ったのが自分だったのかを、
死んだのが自分ではなくて隣人なのかを考え続けていた。
そこにもきっとなんらかの選択があったから生き残ったはずだと思うのは部外者で、
当事者はそんなふうには感じられないようだった。

でも、生き残ったのなら、何かを伝えなければならない。
自分が受け取ったバトンを誰かに渡すこと。

レヴィナスも、内田さんも、その人生の大先輩も、同じことを言っている。
あるところまで突き抜けると、同じことを言うようになるのだろうか。

最近、生活がざわついていて、読書をする時間があまりとれない。
少し穏やかに何かに向き合う時間をつくるようにしよう。

再び出会う

2012-10-16 00:20:07 | Weblog
いまから20年以上前に、中国から日本に漆の研究に来た
留学生の方と話をする機会があった。

おそらく初めてまともに話をした中国人としてはあの人がはじめてで、
いかにも中国の文人という雰囲気の人だった。

「漆の技術は中国から日本に渡ったけれど、いつのまにか日本の技術は
 中国の技術を超えました。そういうものは他にもありますね。
 漆は英語でJapanです。でも、陶器は英語でChinaです。
 陶器の技術については、やはり中国は素晴らしいですよ」と言われた。

私は、陶器が好きだったので、
白地にコバルトの青で絵が描かれている壺や皿が好きだと言った。

するとその人は、こう言った。
「中国の文化や社会は、宋の時代に最高を迎えたんです。
 陶磁器も同じ。
 青磁や白磁は、これ以上ないほど美しいのに、
 そのあとに中国を制覇した元は、その上にコテコテと絵を描き始めた。
 明や清になると、西方との交易品として、ますます人気が高まり、
 景徳鎮は世界的にも有名になりましたが、
 やはり中国人にとって最高の焼き物は、青磁と白磁です」と。

赤と龍が踊り狂うような印象のある中国でも、そんなことを言う人がいる。
しかし、実際に中国に来た後、こんなことを語る中国人には会ったことがない。

昨日は、日本人と中国人が協力して開いた「歴史勉強会」だったのだけど、
そこで講師役を務めた日本人が、
「宋の時代が中国で最高。当時の世界のGDPの半分を占めていた」と言った時、
先に書いた中国人の言葉を思い出した。

今の若い中国人は、ものすごいエリートであっても、
まるで初めて聞く解釈のような顔をしていたので、
正しく自国の歴史を認識していないのではないかと思った。

人生はループする。
あるとき印象的に受け止めた言葉には、またいづれ必ず出会う。

旧友

2012-10-14 16:11:01 | Weblog
いま中央電視台(CCTV)で、深夜に連ドラ「三国演義」の再放送をやっている。
1980年代に撮られた作品だけど、いまだに大人気だ。
夜になると、周囲の家からオープニングの音楽が聞こえてくる。
昨日は、「泣いて馬謖を斬る」あたりから、どんどん過労で衰弱していく諸葛孔明の
メイクのすごさに感動するくだりが4回連続で放映されていた。

80年代にこれだけ頑張って撮った作品とも言えるし、
カット割が、ほぼ誰かの正面アップの連続で構成されることに、
ああ、京劇の国だなあ、と思ったり、
中国人の視覚認識について、なるほどなあ、と思う楽しみがあったりする。
中国人は必ず相手の視界の範囲に入ろうとする人たちだ。

むかしは「三国演義」をフィクションとして楽しんでいた時期もあったけれど、
大人の薄汚れた心で改めてこの物語を見てみると、
やっぱり釈然としないことが出てくる。

羅漢中によって、諸葛孔明が魔法使いのようになっているのは、
まあ、フィクションだからいい。

一番納得いかないのは、諸葛孔明が北伐を行ったこと自体だ。
蜀の建国の理念が、漢王朝の復興だったから、簒奪者である魏に対して
戦いを挑まなければならないという理由もわかる。

でも、そもそも諸葛孔明が三顧の礼で迎えられた直後、
兵力で劣る点を補うために、民兵を使ったとき、
民は、主君のために戦うのではなく、自分の土地と家族を守るために戦うから、
戦力になると考えていた。

では、蜀の民を、行ったこともないような北伐に動員するのは、
漢王朝にとっては中原に戻るための戦いだけれど、
戦う兵士にとっては、見知らぬ土地を占領するための戦いになる。
当然、もともと戦場となる土地に住む人たちにとっては、侵略者との戦いになるだろう。
国家同士の大義名分がなんであっても。
これは諸葛孔明という人間のなかで、矛盾しないのか。

という点について、小学生の頃、はじめて三国演義を読んだときから、
非常に疑問に思っていた。
五虎大将はすべて死に、世代は確実にうつりかわり、劉禅は凡庸だ。
建国の理念すら失われつつあることについて、
出師の表によって苦言を呈したのは、孔明自身だ。
それはそれとして、蜀の民は、戦争を望んでいたのだろうか。
諸葛家自体が、戦争難民で逃れて来た客家だったわけだし。

当時ちゃんと言葉で説明できたかわからないけど、母に「なんで?」と聞いた。
確か母は「成都の宮廷、孔明さんには居心地が悪かったんだろうねえ。
時に、信じるもののために戦うことも必要なんだよ」と言った。
私はそれに対し「そのために兵を動かして、死なせるの?」と聞いた。
母は「孔明さんは、蜀が滅びるってわかってたんだよ。でも滅び方が問題。
中国は歴史書で遺されるから、どのように書かれるかが大切なんだよ。
後の世代の人たちが誇りに思ってくれるような死に方をしないと、
その後の人たちの生き方や国造りに影響を与えるからね」と。

さすが、唐書を白文で読んでいた人なだけのことはある。
母は、こういうときに適切な答えをくれる人だったと思う。

いまから2000年も前に、諸葛孔明について北伐に出た人たちは、
いったいどんなことを考えていたのだろう。
三国演義をはじめて読んだとき「へえ~」と思ったのは、
中国人は自分たちの領主を自分たちで選んで来たということ。
徳がなければ、兵力を持っていたとしても、流浪する以外にない。
だからこそ、劉備はおそらく実像以上にイメージ戦略がよくて、
蜀に拠点を構えることができるようになった。
日本とは、国の造り方が根本的に違う。

北伐のころの諸葛孔明と、官渡の戦いに大勝したころの曹操とは、
一度話してみたいものだ。

久しぶりに、三国演義を読み直してみようかな。
はじめて読んでから約30年、最後に誰かのバージョンを読んでからも約20年だ。
旧友だなあ。

国境線と経済

2012-10-14 15:11:14 | Weblog
国慶節の休暇から1週間たったけど、結局何もよくなってないと思った。
デモはおさまったけれど、相変わらず日本製品のCMは見かけない。
唯一、上海地下鉄の駅でオリンパスが大々的に宮凬あおいの顔つきで
柱広告を行っているけれど、日本ブランドだとは一見しただけではわからない。

駐在員の新規の就労ビザが下りないというのは、連休前から言われていたけど、
いまは既存駐在員の更新(就労ビザは1年に1回更新)も下りにくいという。

中国が納得する領土問題の決着は、日本が国有化を撤回する以外になく、
もし「まあまあ現状を受け入れて、建設的な話を」なんてことを
中国の政治家が言ったら、当然足下をすくわれることになるから、
そんな危ない発言をできる人なんていないだろう。
ということで、もう誰も収束できないと思う。

自民党に政権が戻ったとしても、一番上に誰がいるかで、
事態はもっと悪くなる可能性もある。
お腹が痛くなって辞めた人は、中国では右翼として恐れられているというよりも、
単なるボンボンとしてバカにされている。
だから、ここ数年の日中関係は、本当に難しくなるだろうなあ、と思う。

工場は他の国に移転できたとしても、13億人の市場を捨てることは難しい。
日系企業が過去20年に渡り、これだけ大規模に中国で展開ができたのは、
たとえ日本が用意した箱であったとしても、
その中では、中国人が、自分たちが使うものを作って、それによってお金を稼ぎ、
そして、それを市場で買っていたからだ。
別に日本輸出用ばかりを作っていたわけではない。

交流がとまるということは、お互いにとって選択肢が減る、ということで、
選択肢が減るということは、お店で選べる商品が減るというだけでなく、
何かにワクワクしたり想像する感性が貧しくなる、ということだ。
すでに経済における国境線は「税関」という以外、ほとんど意味を持たなくなったのに、
いまだに国境線がこんなにも人を縛り付けるなんて。

つまりアメリカとの関係が改善したから国境線を守ってくれる、という問題ではない。
中国の軍隊の装備を作っているのは、
アメリカ系のグローバル展開している企業だったりするわけなのだから。
そもそも領土問題がわいてきたのも、地下資源の開発がからんでいて、
つまりは経済活動の一環。
経済と国と、どちらを大局的に見なければならないかというと、
もう答えは出ていると思う。

日本では、金儲けをすると何となく周囲から白い目で見られるような風潮があって、
ああ、やっぱり島国なんだなあ。