Blog版一言日記

私、雑音領(ざつね・りょう)の一言日記です。

今更ながら、写真公開

2013年09月21日 23時31分21秒 | 日記(アニメ感想含み)
9月19日に中秋の名月を撮りに武蔵関公園まで出かけてきたのだが……

自分の撮影の腕前がなかったのか、ただの真っ白い円という形でしか撮れなかった。

こちらは、富士見池に写る月。

ついでに夜の富士見池を西岸から。


・"塚原ト伝"#6「一つの太刀」
結局、勘助が何しに出てきたのか分からないまま退場した回(違)。
(あのまま新右衛門や左門と同行したら、歴史が変わってしまうだろうが)
平賀丹波守やその娘鹿乃、そして、京の街との別れの回。
(大内家が悲願の勘合貿易独占を成し遂げて、京を去って山口に拠点を移し替える事にした。新右衛門自身も京にいては剣の道に迷ったまま、己の妄念に殺されると踏んで、鹿島に戻って、己の中の神を見いだしたかったというのがあった)
尤も新右衛門が戻った鹿島も、当主義幹の横暴と新参の玉造常陸守の追従の前に古参重臣の不満はたまる一方で……。
(新右衛門上京の本来の目的である鹿島大神宮再建の話が完全に宙に浮いたまま、鹿島城大増築の話ばかり先走っている)
俗世のあれこれや自身への妄念を振り払うべく千日の行を経て、鹿島の剣の真意に気づいた新右衛門だが、鹿島の状況は新右衛門の剣を許してくれないようで……。
(新右衛門帰省の宴で、「彼と大内家との繋がりが出来たのは大きい」と言う趣旨の発言が重臣側からあった)

・"塚原ト伝"#7「ト伝、見参」
勘助がちゃっかり、新右衛門改めト伝の諸国修業の旅に同行する最終回(違わないけど、そうじゃないでしょ)。
やはり、鹿島の状況は新右衛門の剣(と言うか新右衛門が鹿島に留まること)を許してくれなかったようで。
伊勢宗瑞(北条早雲)の病没や京で出会った人々の後日談が鹿島にやってきた勘助の口から語られる。
(宗瑞から新右衛門への禅問答めいた問いかけに対して「一つの太刀」という形で出した答えを宗瑞に伝えることはなかった……。)
その過程で甲斐の武田信虎の名前だけ出てきたが
鹿島はとうとう重臣(新右衛門の実父・養父・師匠)と新参の玉造常陸守とのお家騒動に発展。
(それ以前に養父塚原土佐守から「玉造常陸守を新右衛門の道場から破門にせよ」と言う進言を受けていた)
昔のよしみで重臣側に付けという師匠松本備前守と鹿島の太刀を伝えられる人物を捜す旅に出ると言う新右衛門との最後の戦い。
どうしても勝てなかった松本備前守に(斬らずして負けを認めさせ)打ち勝った新右衛門はト伝と名を改め、自分の鹿島の太刀を受け継ぐ人間を捜す旅に出た。
普通に大団円。

追記 S氏によると鹿嶋市周りで「塚原ト伝を大河ドラマに!」と言う声があるらしいのだが、彼には幼児・児童向け道徳話や頓知話の主人公兼解説役のおじいさんと言うイメージはあっても、大河ドラマの主人公というイメージは出てこないなぁ……。
(いや、そう言うイメージを覆した作品でしょ、これ。あと、晩年の彼には頓知めいた話や教訓話が多い)

・"探検ドリランド"#33「ポロン覚醒」
ポロンが本当の意味で英雄になった回。
最後に覚醒したのはポロンの銃の方じゃないか、
と言う突っ込みは置いておくとして。
「英雄なんて、自分でなろうと思った時点で英雄失格なんだよね」
って誰の台詞だった?

・"超速変形ジャイロゼッター"#22「サトリ!ちかいの一撃」
人間、以外と自分のことは見えていない回。
先生も苦労が絶えないことで……。
(思わず出てしまった愚痴が、意外な転がり方をするのも良くあることである)
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