豚も杓子も。

私にすれば上出来じゃん!と開き直って、日々新たに生活しています。

胸騒ぎ

2007年08月07日 | Weblog
今日、ある講演会に参加しました。講演者は佐野ぬいさんとおっしゃる女性画家。私の母と同い年です。まだまだ第一線で活躍されているそのお姿に接したいとも思い出かけていきました。

パリに行きたいと海を見ながら憧れていた少女。いつしかアメリカの新しいアートの風に吹かれて、いわゆる抽象画の世界で名を成されました。彼女の生い立ちからこれまでの活動を、絵や写真、音楽やビデオを交えてお話してくださいました。

低く旋律を奏でるジャズに包まれながら、絵筆を動かしていると気持ちが素直に現れてくるのだそうです。お気に入りはマイルス・デイビス。彼が参加したフランス映画「死刑台のエレベーター」は、監督が同年代だということもあってとても刺激を受けた作品だとおっしゃっていました。こうした衝撃が、制作のエネルギーとなったそうです。
顔全体を青塗りした「BLUE MAN GROUP」という、パフォーマンスグループもとてもお好きなのだと紹介されました。この冬、日本で始めて公演が行われるのをとても楽しみにされているそうです。ビデオの映像にかなりついていけなかった自分は、すでにだいぶ感覚が鈍くなっているのでしょうか。
常に感覚を研ぎ澄まされ、ご自分の感性に響いてくるものをキャッチされる姿は、若々しさにあふれていました。それらから受けた様々な刺激が作品に結実するなんて、なんて素敵なのでしょう。

講演終了後の質疑応答。制作は、何のためにされるのですか?という問いに関連して、作品を作る前には「胸騒ぎ」がするのだと明かされました。
いいですねえ・・・。
ふつふつと何かが湧き出てくるのでしょうね。
それをキャンバスに描かずにはいられない。
何かを表現したいという気持ちは、誰にも少しずつは備わっているのでしょう。だからこそ、そういう才能に恵まれた方に憧れるのかもしれません。
その他、いろいろ示唆に富んだ言葉も数々・・。遠方からも参加された方など、熱心なファンの方の気迫にも触れることが出来て、とても刺激的な時間でした。

それはともかく、BLUE MAN GROUP。
気になりますね・・・やっぱり。


会場は、平和公園の一画にありました。数日間だけ出現したゲルの集落?
役目を終えて、撤収作業中でした。

希望

2007年08月06日 | Weblog
今朝は、全体がオレンジがかったような曇りの朝でした。晴天のことが多いこの日には珍しいことです。朝曇だからまもなく晴れるだろうと思っていると、遠く雷が鳴り始め、小雨がばらつき始めました。傘を持って出かけるなんて、滅多にないことです。



私が通りがかったところには、記念式典が見られるように、街頭テレビが設置されていました。毎年行われていたのでしょうか?今までは気が付きませんでした。

今、こちらでは、1970年の大阪万博の軌跡をたどる催しが始まっています。
その中に、修復されて37年ぶりに展示されるという巨大タペストリーがあります。二枚で一対の作品は、原子力をテーマにしたもので、その二つの側面が描かれているのだそうです。一枚目には「よろこびの塔」、二枚目には「かなしみの塔」という名前がついています。
日本館に展示されていたということですが、実際に見たことがあるかどうかは残念ながら覚えていません。アメリカ館の目玉、万博全体でも一番話題になっていた月の石を見ることで時間を費やして、日本館には入らなかったような気もします。すぐに入れるアフリカ諸国の小さなパビリオンをたくさん周っていた記憶はあるのですが・・。そこで初めて飲んだアイスココアが、非常に美味しかったです。
ともかく、そのタペストリーも見たいですし、是非この展覧会は見に行きたいと思っています。

万博の象徴は、「太陽の塔」でした。
その作者の岡本太郎さんの描かれた壁画「明日の神話」が各地から誘致されています。広島市もその中に入っていて、誘致のための署名などいろいろ手立てが考えられているようです。もし、広島に誘致できたのなら、この万博のタペストリーと合わせて展示できる大きな施設が出来ないものでしょうか。
おりしも、市内中心部、平和公園に隣接する市民球場が再来年には取り壊され、跡地の利用が検討されているところです。もはや、時期は逸してしまったかもしれませんが、実際の被爆の実態を知らせる現在の資料館とともに、人間が自らの身体を通して生み出した原子力をテーマにした作品が一同に会することが出来る施設があればと思いました。そこには、絵画や写真や彫刻などの作品、詩や小説などの文学作品、今まで世に問われた作品が全て収蔵されて、必要なら翻訳も容易に行えるようになっていれば・・・などと、思いつきは広がって行きます。
「人類の進歩と調和」、これが大阪万博のテーマでした。幾度となく言われてきたことですが、その実現に向けて希望を捨てないでおきたいです。

曇りは、ほどなく晴天へと変わりました。
やはり、アメリカ軍が投下に適したと判断したこの一日を含む数日は、広島は雨のない時期のようです。

http://www.yomiuri.co.jp/zoom/MM20070806000518720M0.htm



ラッキー!

2007年08月05日 | Weblog
午前中早くに出かけた時に出会った車のナンバー。
33-66って、私の誕生日です。詳細は、省きますが・・・。
「おお、ラッキー!」
というより、携帯携帯!!



次の交差点で別れてすぐに出会った車は、88-88。縁起がいいなあと喜んでいると、左に停車している車は、数字で一文字6の車。縁がありますね。午後は、まず69-69に出会い、そののち333ナンバーの33とすれちがいました。
単なる偶然?それとも、気にしすぎでしょうか。

ずっと見たかった映画「パイレーツ・オブ・カリビアンⅢ」。今週の木曜に終わりということで、ニ度目を見たいという竜子とともに出かけきました。
母「ねえねえ、ハン・ソロは、冷凍だったからいいけど、ジャックはたこの中で消化されてるんじゃないの?」
竜子「そういうことは、心配しなくてもいいと思うよ。」
わかる人にはわかる、わからない人にはわからない会話ですが、確かにそうでした。そこは、もう超越していました。ちょっとチャーリーとチョコレート工場の雰囲気だったかなあ・・。
ともかく、Ⅲはウィルがオーリーでなくてはならなかった理由が良くわかった作品でした。オーランド・ブルーム様、まっことお美しゅうございました~。

で、見終わったあと、グッズが欲しくなりました。チャームと呼ばれる、携帯につけるような小さな飾りです。チャームの種類は6種類。小さな袋に入っていて中身は見えないので、どれが当たるかは開けてのお楽しみです。
私が欲しいのは、ハート型をしたオルゴールのチャームです。お互いを呼び合うように対になっているオルゴール。その一つをティア・ダルマが持っていました。
始めはおそるおそる、次第に大胆に袋を触って中身に見当をつけ、散々迷って二つ購入しました。お行儀悪くてすみません・・。でも、開けてみると厚紙に包まれていたので、外からの感触では正確に中身はわからないのだということが判明しました。
でもね・・・これが大当たり!
なんと、そのティア・ダルマのオルゴールとジャックの羅針盤(竜子の第一希望)をゲットしていました。



帰りのデパートの地下。
出会ったスイカです。話には聞いていたけど・・・。見かけたのはたぶん初めてです。


青い果実

2007年08月03日 | Weblog
先日亡くなられた阿久悠さんの追悼番組を見ました。
阿久悠さんは、もちろん作詞家として屈指の方ですが、私達の世代にとっては、「スター誕生」の厳しい審査員としての印象が強い方でもあります。
当時絶大な力を誇っていた渡辺プロダクションに対抗して日本テレビが始めた番組だったということですが、次第に人気番組となり、歌手やタレントさんの登竜門としての地位を固め、花の中三トリオや岩崎宏美さん、伊藤咲子さん、そしてピンクレディーというスターを世に送り出していきました。追悼番組でも彼女達の歌が次々に紹介されていました。あるお一方を除いて・・。
応募者に対する審査員の先生方のかなり辛口な評価も番組の特色でしたが、阿久悠さんはその中でも審査員長として特に力を持っていた方のように感じていました。
まず最初に森昌子さんがデビュー。ついで桜田淳子さん、少し遅れて山口百恵さんがデビューされました。後に花の中三トリオと称される三人です。彼女達は番組の命運も背負っていたともいえる存在でした。
先にデビューした二人は、阿久悠さんが提供された歌詞でデビューされました。でも、山口百恵さんは別の方の作品でのデビューとなりました。デビュー当時は、期待の星というわけではなかったのでしょうか。そのあたりは専門家のゴジ健さんにご教示願いたいところですが、今日はそれどころではない?おめでたいことが起こっているので無理なお願いはできませんね。
大きな力を持つ阿久悠さんではなく、むしろ彼のライバルとなる方に託された百恵さんは、以後積極的に阿久悠さんと関わることなく、ご自分のスタッフを自身で選択し独自の路線を歩んで行かれたように思います。代表的な作品として浮かんでくるのは、デビュー当時のものとともに宇崎竜堂・阿木燿子ご夫妻の作品だったりします。
後年、百恵さんは「時代と寝た女・・」と評されるのですが、その言葉こそ、阿久悠さんから発せられたものだということでした。「時代」というものを常に意識してこられたという阿久悠さんからのこの言葉は、彼女に対する賞賛であることは疑いのないことだと思います。でも、その真の意図というものがもしあるのなら伺ってみたかったと思いました。

曇り空に映える青い果実 。
今年は、例年より実の付き方が多いような気がします。
まだまだ固いけれど、そろそろ一回り大きくなって色づき始める頃です。



台風接近

2007年08月02日 | Weblog
 生暖かい風が夕方から強くなりました。
今年二回目の台風接近です。

式典の準備が進む平和公園。左は、午前10時前。右はお昼過ぎです。
テント用に機材が搬入されていましたが、設営のスケジュールも調整されたのでしょうか。

 

 夕方、帰宅する頃は、雨はさほどでもありませんが、風が強くて傘を差していると前に進めないほどでした。かなり早めにいろいろな交通機関が止まり始めたので、街のあちこちでは動いているバスや電車に乗ろうとする人の群れが見受けられました。

 こういうときの、スーパーの顕著な傾向は、品揃えが薄くなることと、菓子パンの棚がきれいになくなることです。
とはいえ、今日は早めに動いているバスに乗らなくてはと気がせいて、スーパーに寄ることもなかったので、実情は把握しておりません・・・。

 深夜、こちらに接近するとのことでしたので、様子を伺っていますが、いまのところ、さほど風の音が強くなった気配はしません。最接近するのは、これからのようです。台風情報を確認して、今夜は早めに休みましょう。
各地の被害が大きくなりませんように・・。

 
 突然ですが、マンゴー。 
我ながらきれいに切れたので、調子に乗って今夜はこれまでになくたくさん頂いてしまいました。明日の朝、台風の影響とともに心配なのが、私の変化です。


帰省

2007年08月01日 | Weblog
 次女の竜子が夏休みで帰ってくるのを迎えに行きました。
久々に目にする娘は、ちょっとだけ都会の風を連れてきているようです。
今までの様子とは多少違うテキパキ感も漂っているような気もします。

 思えば、去年の今頃は西に東に、右往左往汗かきべそかき歩き回っておりました。ちょうどこの時期、二つの天満宮にもお参りし、受験合格のご祈願をしたりもしました。こうして、なんとか落ち着く場所がさだめられたのは、まことにもってありがたい限りです。お礼参りもきちんとしなくてはなりませんね。
ゆかりの梅干も二種類購入して、適宜必要な時に頂いておりました。お蔭で、風邪も引かず体調を崩すこともなく受験期の数ヶ月を過ごすこともできました。

 北野天満宮では大規模な土用干しも行われておりました。一年後に、自分で試みることになろうとは、その時は予感すらしませんでしたね。



竜子の緊張が解けた今・・。
昨日までずっとそこにいたようにテレビを見ている姿に、妙に安心する私でもあります。
久しぶりに方を並べて歩いた舗道。