ランドマーク探しⅢ

2012年から出張先での風景や社寺仏閣、由緒を訪ねて記録してきました。2016年からは自分の足で散策し、記録しています。

上尾宿・氷川鍬神社

2014年09月03日 23時25分09秒 | 訪問地周辺散策

上尾にある施設を訪問しました。近くに氷川鍬神社があるというので寄ってみました。鍬の字が入っているので、農業を想像して行ってみました。上尾のランドマークともいうべき施設です。上尾は中山道の宿で発達した街らしいです。こちらは今の中山道です。神社の中にはいろいろなものがありました。聖徳太子の碑です。浅間大神。上尾郷二賢堂碑。由緒書きと本堂です。

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栃木寺町

2014年09月03日 00時38分48秒 | 訪問地周辺散策

2日の午後は足利から1時間に1本のJRに乗って栃木に着きました。栃木は蔵の街と寺町でした。典型的な蔵には出合えませんでしたが、寺や神社は何軒か寄ってみました。訪問施設の近くの、栃木のお伊勢さんの神明宮です。

神明宮・栃木のお伊勢様

応永10年(1403年)、栃木城内神明宿(現神田町)に創建されたと言われています。天正17年(1589年)正月16日、皆川広照により現在地へ移され、栃木町の総鎮守となりました。社殿は伊勢皇大神宮に倣い、神明造りです。明治5年(1872年)県社となりました。現在の拝殿はもと、中教院の講堂として明治8年(1875年)に造られたものを使用しています。栃木の地名は、この神明宮の屋根ぐしの千木(ちぎ)から出たとも言われており、同社に残る応永10年(1403年)、天正17年(1589年)、文禄2年(1593年)の神明宮棟札は市指定文化財(歴史資料)となりました。

少し離れたところに近龍寺がありました。

山本有三が眠る歴史あるお寺

応永28年(1421年)、良懐上人が、城内宿河原に創建したと言われる浄土宗の寺で、天正16年(1588年)現在地に移されました。中国の故事「鯉が三級の位になると龍になる」ということから
「三級山天光院近龍寺」と名付けられました。明治初期、栃木県最初の小学校(日惜舎)と師範学校が開設されました。境内には子育安産、学業成就の呑龍堂(毎月8日縁日)や文豪山本有三の墓があり、1月11日には有三の一・一・一忌として墓前祭が行われています。次は少し歩いて満福寺ですこれは裏門で静かなたたずまいですが、表は少し派手でした。太子堂はまずまずですが本堂はあまり派手なので写真を撮る気にもなりませんでした。次は

定願寺は市の有形文化財に指定された天台宗の寺です。天正年間頃(1573~1592年)、川連村(現大平町川連)より、現在地に移された天台宗の寺で、本堂や鐘桜、山門、不動堂、弁天堂、安産地蔵堂などがあります。不動堂には、扁額と見事な彫刻がほどこされた扉があるが、扁額は亀田鵬斎の「不動尊」の書を木彫りしたもの、扉は北面の武士遠藤盛造が僧文覚となり、紀州熊野の那智滝で荒行する場面を彫った透彫りで、野州富田村(現大平町)の磯部儀兵衛の作と言われています。境内には、栃木市出身の第2代横綱綾川五郎次の墓があります。御成門の彫刻、不動堂の扉彫刻と扁額、平等庵の鐘は、昭和36年(1961年)に市指定有形文化財(彫刻、書跡、工芸品)となりました。と栃木市の観光案内には書いてありました。

隣に鐘楼がありました。これは平等庵の鐘です。帰る際に栃木の駅前にこんな碑がありました。これをお土産にした。たった一度というお菓子を買ってきました。

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