ランドマーク探しⅢ

2012年から出張先での風景や社寺仏閣、由緒を訪ねて記録してきました。2016年からは自分の足で散策し、記録しています。

旧芝離宮恩賜庭園

2014年09月26日 22時22分00秒 | 近郊地散策

近場での彼岸花探しで旧芝離宮恩賜公園に行ってみました。浜松町駅から1分のところにあります。都の公園案内によると、小石川後楽園と共に、今東京に残る江戸初期の大名庭園の一つです。回遊式泉水庭園の特徴をよくあらわした庭園で、池を中心とした庭園の区画や石の配置は、非常に優れています。明暦(1655~1658年)の頃に海面を埋め立てた土地を、延宝6年(1678年)に老中・大久保忠朝が4代将軍家綱から拝領しました。
忠朝は屋敷を建てるにあたり、藩地の小田原から庭師を呼び庭園を造ったと言われています。庭園は「楽壽園」と呼ばれていました。

庭園は、幾人かの所有者を経たのち、幕末頃は紀州徳川家の芝御屋敷となりました。明治4年には有栖川宮家の所有となり、同8年に宮内省が買上げ、翌9年に芝離宮となりました。離宮は、大正12年の関東大震災の際に建物や樹木に大変な被害を受けました。
翌年の大正13年1月には、皇太子(昭和天皇)のご成婚記念として東京市に下賜され、園地の復旧と整備を施し、同年4月に一般公開しました。また、昭和54年6月には、文化財保護法による国の「名勝」に指定されました。とありました。

彼岸花は少ししかありませんでした。大山から見た全体像です。池は大泉水です。ちょっとした印象は栗林公園のようにも見えます。池の中央は浮島です。

こちらは西湖の堤、堤につながっている島は中島です。

最近小石川後楽園でも見てきました。こちらは少しさみしく見えたのでブログにアップしませんでした。石柱です。旧芝離宮恩賜庭園には、数々の名石が用いられた庭造りが行われています。根府川山や中島の石組は一見の価値があります。特に大久保家の藩地であった小田原 から、多くの根府川石が運ばれ、いくつかの石組と泉水周りの飛石に使われています。泉水の護岸は富士の黒朴石が用いられています。<小田原から運んだと思われる石郡>
鯛形の根府川石の橋を渡ると右手に豪壮で圧倒されるような築山があります。その山麓に根府川石の飛石が端正な形に敷かれています。

こちらは雪見燈籠です。海水を取り込んでいた跡です。

白鷺と緋鯉、白鷺が珍しく水の中に沈んでいたら緋鯉がからかいにきました。

浮島の周りには鴨が結構休んでいました。

花らしいものは、夏いっぱい咲いているムクゲありました。良い匂いがしたので寄ってみたら、キンモクセイでした。今年初の花です。奥の方に彼岸花が見えたので行ってみました。さらにその奥にキアゲハが止まっている彼岸花がありました。

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