「何か1つ」を見つける毎日(⌒‐⌒)

自然と神様と猫と木と音楽、、それからそれから、、( - ө - )

芳子さんへ

2021-04-14 08:37:40 | 人ひとり、、のお話
咲いたな、と思ったらあっという間だった。昨年以上に早く感じる今年の桜。咲き急ぐ理由など何も無いはずなのに。今年に入ってから、大好きな人達の訃報が続いている。合わない表現かもしれないが、悲しいと言うより、何故、と言う想いの方が大きく、本当に全身の力が抜けそうだ。
昨夜(と言うか今日の夜中と言った方が正しいか)大切な人の訃報が入った。2年前、その人が入院した事を息子さんからお聞きし、新幹線と電車を乗り継ぎ会いに行った。土曜の午後の仕事を終えてからの出発で、着いたのはもう5時近かったのではなかったかな。大分痩せてはいたが、声は元気で、あの頃はまだコロナが流行っていなかったので、その方の夕食を、病院のナースステーション傍にある談話室に運んで頂きそこであれこれ話しながら彼女は食事を取った。食事と言っても、小さなプレートにお粥とおかず少しずつと、果物をすり潰したおやつが少し、あとは、自家製の梅干しを2粒、、。話しながらというのもあるが、わずかな量のその食事を食べ終わるのに30分以上かかったんだ。重度のCOPDだったので、鼻から酸素吸入をし、時々咳をした。また明日来るから、と言い、その日は病院から車で10分位のところにあるホテルに泊まった。少し話しても息が切れる彼女のそばに、せめてお見舞いに来ている間、1分でも長く居てあげたいと思ったのだ。
翌朝、朝食を食べ直ぐに病院に向かうと、彼女はもう起きてベッドの上に座っていた。おはよ!と言って少し苦しそうに笑った。また談話室に移動した。私はその後東京へ行き娘と会う予定だったので、お昼前には彼女にサヨナラを告げた。「サツコさん、また来年も来てね、寂しいわ」「もちろんです!来年も来ますから、待っててくださいね」本当にまた逢いに行くつもりだった。本当に。でも、翌年コロナが日本を、世界を襲った。お見舞いはおろか、家族でさえも会えない状態になった。こんなことになるなんて、だれもだれも、、誰も予想してなかっただろう。、、時々スマホで会話した。「また来てね、寂しいわ。」「コロナが落ち着いたらすぐに行きます。それまで待っててくださいね」
でも、、今日連絡があった。「9日に亡くなった。いろいろありがとう」と。お礼言われるような事何もしてない。私が彼女に会いたくて会いに行ったのだから。、、
連絡をくれた息子さんからは、何度か連絡したんだけど、、と言われハッとして、普段あまり見ないメールボックスを見ると、体調が悪くて施設から病院に移ったことと、数日後、亡くなったことが書かれていた。なんで今回に限り気づかなかったのか、、。呆然として、涙も出ない。、、コロナで最後は会えなかったけど、、1年半前に会いに行ってよかった。元気に話す姿が、、私が見た彼女の最後の姿で、なぜか癒される。
さよならなんて、まだ言えないです。
また、いつか、どこかで。、、笑って会いましょう。
大好きでした。桜の写真、見てくださいね、芳子さん。