亡くなった、「旦那の親友」は、私にとっては、公害研究クラブの先輩です。ですから、訃報をお聞きした際には二人してかなり落ち込みました。その先輩の香典返しにだんなは、万年毛筆を選び、使うたびに〇〇(親友の名前)さんを思い出すという事を思ったそうです、!形あるもの、日常使うもの、というわけですね。この万年毛筆は、昨日も書きましたが、この万年毛筆の筆の部分はイタチの毛です。。昨日借りて書いてみましたが、なめらかな書き心地でした。インクはカートリッジ式。小さめです。3本ついてきましたが、多分あっという間でしょう。
この万年毛筆を、私はえらく気に入ってしまいました。書き心地はもちろん、ペン自体のデザインも品があり、持った時の感触もしっとり?した感じがして素敵なのです。、、ためらったのち、だんなに、しばらく貸してほしい言いました。(届いて間もない品を貸してだなんて、旦那もたまげた事でしょう。「え?」旦那はやはり驚きました。「なんで?」「だってさ、これ、毛筆ペンじゃん、毎日書かないと筆の中にインクが詰まるよ、多分。パパ、毎日習字する?」「いや、頻繁には使わないな、インク詰まるな、確かに」でしょ?だったら、やはり、私に貸してよ。必ず毎日何かしら文字を書くから。ね、お願い、お願い🙏」半ば強引に部屋に持ち帰りました。
さて、借りたからには約束通り毎日文字を書かねばならない。
何書くかな。不思議と数日前まであんなに書いていた にんげんだもの、は書こうと思わなかった。
思いつくまま、書いたのは、、。
あと何年生きるのか生きられるのか、世の中が混沌としている今、死を意識せざるを得ない、と同時に生に対しての思いも非常に強くなる。当然といえば当然か。あと何年生きられるのかもすごく気になってきた。昨年まで全く意識することのなかった、自分にとっての「生と死」。
あと何年生きるのか生きられるのか、世の中が混沌としている今、死を意識せざるを得ない、と同時に生に対しての思いも非常に強くなる。当然といえば当然か。あと何年生きられるのかもすごく気になってきた。昨年まで全く意識することのなかった、自分にとっての「生と死」。
あの世にはお金や宝石などはなんも持っていけない。持っていけるのは思い、だけなんじゃないかと私は思う。だいぶ前に亡くなった両親への思い、残してゆくものへの思い、そして、楽しかった、大好きな友との数え切れないほどの思い出、代わりに自分が死んでもいいと思える唯 一の存在である我が子への思い。 それら、目には見えない思い、想い、おもい、を、できる限り文字にしてみようかと思った。生きていることが奇跡に思える今日この頃だ。
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