10/16の追記10/20分を移動し10・28日修正追加してup
「天皇の官僚は無謬」だから、天皇様が選んだ「国民より一段上の存在だから、裁判で処罰できない」という「行政法」というドイツ帝国の明治憲法下で採用した学説が、戦後もずっと日米非関税障壁で小沢が行政手続法で廃止するまで存在した。
常識ではありえないことだが、たかが一人が書いたドイツ帝国の行政理論の紹介本が、大日本帝国において天皇を、ドイツ帝国ウイルヘルム1世と同じ皇帝としてあがめる行政の在り方を、1920年のドイツ帝国滅亡後も日本帝国憲法で引き継いだだけでなく、戦後日本国憲法のもとの行政理論として、ずっと通用してきた。
そのツールが、「行政法という法律ではない学説紹介本」が、日本国憲法下でも「行政法」という「司法試験問題の科目」として存在して、司法試験に合格した裁判官、検察官、弁護士が天皇と国家公務員の関係を、主権在民ではなく天皇主権の意識を持つ役割をさせてきたのであろうと思う。
同様に、日本国憲法の行政官である公務員が警察官を含め「公務員試験」で同じようにドイツ帝国の行政学説を試験問題として学ぶので、アメリカの「主権者市民の僕」という意識が,
戦後警官を含めた公務員に育たなかったのではないか?
実は関東大震災の後も、ちゃんと内務省土木局や警視庁が機能して違法建築の取り壊しや建築基準違反の建物の建設を認めないなど、戦時中と戦後は行われなくなった、世界中で常識の建築行政がおこな合われていたのである。
「天皇の官僚を裁判所が処罰できない」という論理は、昭和天皇の即位後治安維持法で死刑の脅しとともに昭和に入って「美濃部天皇機関説排斥」頃に始まったのだと思う。「天皇機関説」は明治憲法の下でも主流の学説だったところ、室戸台風ごろに突然日中戦争で中国侵略をしながら、「天皇の任命した公務員である土建官僚や教授を批判することは、天皇大権を批判することである」という右翼の攻撃が大学を席巻した。
これが黒澤明の名作「わが青春に悔いなし」に描かれた急激な国粋主義に変わっていく1933年(昭和8,9年)以後の日本の姿であった。日本国憲法によって、戦時中の絶対主義天皇制を否定したはずが、占領軍GHQがいなくなると、1952年「警職2法」「地方自治法」「教育基本法」が改悪されて、「日本国憲法の危機」がおきた。
こういう右コースを、戦争から帰って労働争議や農地改革や地域自治を開拓した当時の若者たちが中堅になって、日本国憲法で中学まで義務教育を受けるようになった黒塗り教科書国民学校世代つまり60年安保世代の若者を含めて、民主主義を支持して、天皇主権に戻そうという右翼の動きを国民みんなで阻止したのである。
つまり1950年代は激しい民主化闘争の時代で、今の韓国や香港など目じゃない、左右の対立が高校生や中学生も巻き込んで、日本中で労働争議や農民争議だけでなく教育基本法改悪反対などでも行われたのであった。サンフランシスコ講和条約で全面講和ではなく、資本主義国とだけ講和したので余計に一旦、朝鮮戦争後東西対立で日本は右傾化が進んだのであった。以前から紹介しているが、戦前の教科書で覚えさせた「天皇制の歴史」などは、明治時代にイギリス国教会をまねて作られた「国家神道・持統女帝史観」ではないか?
私は99年から縄文海進を水害研究で知っている。日本の歴史で一番重要なことが、縄文時代が1万年近く続いた後、2500年前ぐらいから、急激に極地が寒冷化して世界中で大民族移動が起きた結果,日本でも縄文人から弥生人への民族の変化が起きたことである。弥生人の先祖は、「中国大陸で、北西から南に降りてきた騎馬民族だった秦の始皇帝によって迫害された、中国の湖の湿地帯で5千年前から稲作民族をしていた、鳥居としめ縄を慣習にする人肉を食べる少数民族だった」という説を私は支持する。
彼らは、東南アジアと中国沿岸部から朝鮮南部対馬九州に移動して、西から稲作を伝搬して縄文人を追い出したたらしい。紀元前後から3、4世紀ぐらいにかけてであろう。 その後九州だけでなく、「日本海を渡ることのできる船ができると、朝鮮列島から今の北朝鮮の木造船のように、日本海を渡って若狭や新潟「越の国」に騎馬民族が来て、船の改良で馬も船に乗ることができるようになった民族が、古墳時代以降日本を征服した」のではないか?だから、古墳の埴輪は、韓流歴史ドラマの服装をしている。
その時以前の大王の血統を継ぐという意味で、継体天皇が若狭から5代前の天皇の血縁として登場した。その時「よその国なら別の王家に分類される」ところ、別系統の大王の死体と一緒に寝ることで「体を継ぐ=継体」天皇頃、殯(もがり)儀式が大喪の礼で行われて、黒岩説なら3王朝であるがもっと多いかもしれない王朝が、「神武以来2600年男系一体の天皇制が世界一長く続いている」という神話になったのであろう。
「5代前の天皇の末裔」という継体天皇は、その親や祖父曽祖父の名前が全く白紙であるから、殯儀式を大王の証にしたのではないか?即位礼が確立した後、大嘗祭という即位儀式はそれから200年以上後に作られて、応仁の乱以後二百数十年途絶していたのを江戸時代中期に江戸幕府に強引に交渉して光格院の前に復活させた。
現天皇の一族の大本だった江戸中期の光格院は、それを一番長時間の延喜式という平安時代のやり方に戻したらしい。自分の身分が王の直系ではないと、歴史を書き換えて新たに儀式を作って権威付けをするのが世界各国世の常である。イギリスのアーサー王の剣とかもそのたぐいだろう。
前天皇の直系でない、生母の身分が低い新しく江戸時代に作られた宮家の出で、僧侶になる予定だった光格は、引き継ぐべき天皇が死んでから幕府に内緒にして生きていることにして後を継いだ。それで正当性が疑われる存在だったからこそ、世界中の正当性が疑わる権力者の常と同じく、儀式をたくさん行うことで自分に権威づけをした。
こうして江戸中期に新たにできた儀式を受け継ぐ明治憲法が、新しく権威付けの為に大正昭和で新しく作った天皇行事を、たくさん天皇の臣民に明治憲法で押し付けた。明治天皇の即位は江戸時代だから公家諸法度に沿って、大した葬儀や即位儀礼はない。
だから明治憲法で天皇が主権者として行った退位儀礼はゼロである。即位は大正と昭和の2例でしかない。いずれも発展途上国だったから、世界中から国交のあるすべての元首を招待していない。即位儀礼に税金を使うこと、葬式に税金を使うことはことは、明治憲法では主権者が天皇だったから合憲だと理解できる。
しかし主権在民の日本国憲法で、どうして天皇の宗教儀式に国民の税金を使うことが、「信教の自由に反して合憲」になるのか?どうしてこういう世界中から165か国を招待する、途方もない税金をつかった憲法違反が88年ー90年「伝統行事」を口実に行われたか?そこに儀典課長出身95年就任の事務方ナンバーワン古川官房副長官の存在があったのである。赤旗の88年の代替わり連載に、古川と共産党と関係があった可能性が疑われる?
日本国憲法の性格を示すのが第1条である。その「国民主権と天皇はシンボルで何の権能も有しない」という条文の意味が代替わり行事で否定された。ありえないことが89年の代替わりでおこなわれた。共産党の赤旗の馬鹿のせいもあるが、私大出の厚生省儀典課長が強行して、内閣法制局という司法試験を通ったであろう公務員集団が認めた理由の根本がドイツ帝国憲法そのままの「行政法」にあったのではないか?
しかもこの日本国憲法を88年-90年に憲法1条違反をした儀典課長こそ、平成時代にとんとん拍子に出世できないはずの厚生事務次官から、阪神大震災の翌月95年2月に事務方トップである内閣官房副長官になった古川だった。多分平成院の思し召しで憲法違反の平成代替わりをやったご褒美だったであろう。
そいつが東大佐々木総長と、三重県で清掃工場を爆発させて労災死者を出して三重県知事でおれなくなった北川と組んで、「行革構造改革」を宣伝しまくって、2003年まで最長事務方内閣官房副長官になったのは、やはり裏で安住や枝野が菅と図って、私が選挙で勝たせたら右翼の日本新党松下政経塾馬鹿ガキばかり議員にしたからである。そいつら馬鹿ガキが突然2000年から菅直人と「猪瀬とインチキマスコミが道路公団民営化」を騒ぎ出した。
その時どうして猪瀬のような天皇制本を出すバカ男が出てきて、菅直人や細川と一緒に、「何でも民営化でインチキ耐震インチキ河川改修、インチキエネルギー、インチキ金融緩和、ありとあらゆる嘘の民営化理由」をつけた「構造改革とは何か新版日本国の研究」を出して「21世紀臨調」というインチキ組織ができたのか?
その実働部隊が松下政経塾日本新党で、裏には円安推進勢力の細川の親せき天皇制が控えていたのではないか?れは「労働組合が職場で一番信頼できる組合員や、OBを議員にしてほしい」という、トヨタ出身伊藤英成政調会長や、もともと「新しい政党を」と旧民主党の一回の都議選で消滅寸前だった旧民主党政調に電話した時から一貫して要求してきたことへの債務不履行不法行為の連続であることも以前書いてある。
最近は女性がなよなよしなくなったから、しっかりした化粧と服に金を使わない女性議員もぜひ各自治体田国会から出てほしいことも、例えば前原が代表の時に言ってある。前原の前の女性秘書さんなんかも候補にしていいと思っていた。
もちろん自分が馬鹿ガキ松下政経塾や江田五月のような違憲社会党2世や菅直人より、まっとうな自民党の大物をスカウトしたのだから、「最初から民主党という名」は前に書いたように「仙谷がゴねた」から合併スタートの方便名でしかなかったのである。
一旦民権派のインチキ郵政や公団民営化反対、銀行への税金投入反対グループが政権を取ったら、日本中のインチキ耐震インチキ水害対策をどうにか私のニューディールで解決した後は、「自由民権党」「民権自由党」「民権社会党」「社会民権党」とか好きに分かれることが前提だった。だからこそ、新民主党は綱領がなかったのである。
その中でも私が一番「自由民権党」と対抗する軸として、憲法を守って別れた後肩入れするつもりだったのが「民権社会党」だった。私が馬鹿が嫌いだから、もっとも最近は自分が馬鹿になったが、自社さのような日本売りソフトバンクの傘下に政党が入った自社さ民主党という詐欺政党のバカ政策を応援するはずがない。
どうして、毎回インチキで国民が一切応援しない自社さ政策に政権交代迄選挙ごとに小沢を検察がマスコミと脅してすり替える詐欺をやり続けたか?1997年以降、民主党議員の質が悪すぎることは、新民主党と私との契約違反が毎回更新して契約違反や債務日履行や不法行為の詐欺が継続している証拠である。労働組合や旧民社や旧社会党でも労組議員を増やすべきである。
また付け加えたことが飛んだが、「行政法」が明治憲法のままで、司法試験や国家公務員や労働基準監督官等専門公務員試験から地方公務員試験まで、戦後官僚を言葉を変えて公務員となっても、「ドイツ帝国行政法」科目を勉強したから、専制独裁昭和前期ファシズム意識が公務員から抜けなかった理由であろう。
その一番の例が代替わりだが、裏にはIMFガット体制制定時に、1ドル360円で国民の知らないうちに海外に預けた、天皇財産が円高で目減りする事を許さない、国際金融局の為替運営があって、黒田の馬鹿が、平成30年で、日本経済をアジア諸国より没落させる一因になってはいないか?その一例が山下財宝である。
山下財宝については、私が子供のころ、「冒険王」か「ぼくら」か「少年マガジン・サンデー」か何かで読んだ思えがある。先日ナショナルジオグラフィックが、フィリピンの「山下大将が隠した財宝を今発掘しようというノンフィクション」をやったばかりである。それによると、「パターン死の行進」の捕虜虐待で死刑になった山下は、軍の命令で敗戦直前フィリピンに戻って、山下財宝を隠した。
どうやって隠したかというと、CSでたまたま無料配信していたナショナルジオグラクヒックの番組によれば、「山下大将が敗戦間際、軍の命令で東京からフィリピンに戻って、米人を含めたジュネーブ条約違反で捕虜に、各島のジャングルにものすごくたくさん穴を掘らせて、ヨーロッパのユダヤ人などがヒットラーにとられないように、アジアに移した財宝を、日本軍がオランダ領インドネシアなどから没収して埋めた。」
それも「日本軍は穴を掘った捕虜ごと生き埋めにしたのを見た」と現地の人が番組内で証言していた。それが具体的で真実性があると私が思うのは、穴をあけるところまでしか番組はなかったが、「日本軍の穴はコンクリートで固めるからわかる」といっていたことからである。日本の土建はコンクリートが好きである。
番組内で、「その財宝が天文学的金額だ」と、アメリカの山下財宝調査チームは言っていた。天皇の隠し財産が戦時中や戦後,GHQが知らないところであるかもしれないと疑わせる番組を今年やったのである。1998年にサンデープロジェクトが同じことをした。
「野党三党金融再生」法のころ、「憲法制定頃、世耕議員が率いる調査会が日銀の財産が消えた理由を調べる国会の『世耕調査会』があった」という報道である。そういうところに1ドル365円に戻そう戻そうという小泉内閣参与日銀黒田の馬鹿や小泉内閣参事官泥棒高橋洋一が、大政翼賛マスコミであるテレビや新聞に20年支持される理由が隠されているかもしれない。
円安は国賊であるが代替わり費用は、昭和天皇以来天皇家が外資預金している可能性がある。代替わり費用としてためてきた自分の資産で払えば国民誰も、文句はない!税金で我々の信教の自由を侵して天皇制が国家神道行事を「祝日」にして税金を使って国民に押し付けることを、日本国憲法では違憲であるといっているのである。
あらためていうが、我が国は国民主権の国である。憲法の文章を書いた宮沢説は80年代頃までは当然の学説として司法試験や公務員試験の基準だったはずである。いまこそ憲法を書いた本人の学説に各種公務員試験と司法試験から行政書士試験まで憲法の試験問題解釈を戻して、新たな行政法試験領域と労働法領域を試験科目として作るべきと思う。
かっては憲法解釈は宮沢説が常識だったし、今も国民で新憲法を明治憲法と比較して習った社会科世代の人々は、私を含めて宮沢説を支持している人が多いはずである。平成流だといって、いつの間にか宮沢説に反する「国事行為」でない、皇族のお付き合いを「ご公務」という名で国民の知らない間に平成30年、家計費以外に税金を使うことが行われてきたなら、元に戻すべきであろう。
平成は日本が、経済だけでなく国際的な地位すべてを没落させた時代である。74年石油ショックから日本が最先端で築いてきた環境技術立国はどこへ行った?国民主権を捨てて、明治天皇制復活とバーターすべきことでは絶対にない!。
我が国の民社党と同盟を、今の自社さバカになり下がった野党統一会派と連合と比較して再評価すべきと思う。もちろんかっての社会党と総評もである。共産党は民主集中のレーニン秘密結社組織論をやめろ!
「天皇の官僚は無謬」だから、天皇様が選んだ「国民より一段上の存在だから、裁判で処罰できない」という「行政法」というドイツ帝国の明治憲法下で採用した学説が、戦後もずっと日米非関税障壁で小沢が行政手続法で廃止するまで存在した。
常識ではありえないことだが、たかが一人が書いたドイツ帝国の行政理論の紹介本が、大日本帝国において天皇を、ドイツ帝国ウイルヘルム1世と同じ皇帝としてあがめる行政の在り方を、1920年のドイツ帝国滅亡後も日本帝国憲法で引き継いだだけでなく、戦後日本国憲法のもとの行政理論として、ずっと通用してきた。
そのツールが、「行政法という法律ではない学説紹介本」が、日本国憲法下でも「行政法」という「司法試験問題の科目」として存在して、司法試験に合格した裁判官、検察官、弁護士が天皇と国家公務員の関係を、主権在民ではなく天皇主権の意識を持つ役割をさせてきたのであろうと思う。
同様に、日本国憲法の行政官である公務員が警察官を含め「公務員試験」で同じようにドイツ帝国の行政学説を試験問題として学ぶので、アメリカの「主権者市民の僕」という意識が,
戦後警官を含めた公務員に育たなかったのではないか?
実は関東大震災の後も、ちゃんと内務省土木局や警視庁が機能して違法建築の取り壊しや建築基準違反の建物の建設を認めないなど、戦時中と戦後は行われなくなった、世界中で常識の建築行政がおこな合われていたのである。
「天皇の官僚を裁判所が処罰できない」という論理は、昭和天皇の即位後治安維持法で死刑の脅しとともに昭和に入って「美濃部天皇機関説排斥」頃に始まったのだと思う。「天皇機関説」は明治憲法の下でも主流の学説だったところ、室戸台風ごろに突然日中戦争で中国侵略をしながら、「天皇の任命した公務員である土建官僚や教授を批判することは、天皇大権を批判することである」という右翼の攻撃が大学を席巻した。
これが黒澤明の名作「わが青春に悔いなし」に描かれた急激な国粋主義に変わっていく1933年(昭和8,9年)以後の日本の姿であった。日本国憲法によって、戦時中の絶対主義天皇制を否定したはずが、占領軍GHQがいなくなると、1952年「警職2法」「地方自治法」「教育基本法」が改悪されて、「日本国憲法の危機」がおきた。
こういう右コースを、戦争から帰って労働争議や農地改革や地域自治を開拓した当時の若者たちが中堅になって、日本国憲法で中学まで義務教育を受けるようになった黒塗り教科書国民学校世代つまり60年安保世代の若者を含めて、民主主義を支持して、天皇主権に戻そうという右翼の動きを国民みんなで阻止したのである。
つまり1950年代は激しい民主化闘争の時代で、今の韓国や香港など目じゃない、左右の対立が高校生や中学生も巻き込んで、日本中で労働争議や農民争議だけでなく教育基本法改悪反対などでも行われたのであった。サンフランシスコ講和条約で全面講和ではなく、資本主義国とだけ講和したので余計に一旦、朝鮮戦争後東西対立で日本は右傾化が進んだのであった。以前から紹介しているが、戦前の教科書で覚えさせた「天皇制の歴史」などは、明治時代にイギリス国教会をまねて作られた「国家神道・持統女帝史観」ではないか?
私は99年から縄文海進を水害研究で知っている。日本の歴史で一番重要なことが、縄文時代が1万年近く続いた後、2500年前ぐらいから、急激に極地が寒冷化して世界中で大民族移動が起きた結果,日本でも縄文人から弥生人への民族の変化が起きたことである。弥生人の先祖は、「中国大陸で、北西から南に降りてきた騎馬民族だった秦の始皇帝によって迫害された、中国の湖の湿地帯で5千年前から稲作民族をしていた、鳥居としめ縄を慣習にする人肉を食べる少数民族だった」という説を私は支持する。
彼らは、東南アジアと中国沿岸部から朝鮮南部対馬九州に移動して、西から稲作を伝搬して縄文人を追い出したたらしい。紀元前後から3、4世紀ぐらいにかけてであろう。 その後九州だけでなく、「日本海を渡ることのできる船ができると、朝鮮列島から今の北朝鮮の木造船のように、日本海を渡って若狭や新潟「越の国」に騎馬民族が来て、船の改良で馬も船に乗ることができるようになった民族が、古墳時代以降日本を征服した」のではないか?だから、古墳の埴輪は、韓流歴史ドラマの服装をしている。
その時以前の大王の血統を継ぐという意味で、継体天皇が若狭から5代前の天皇の血縁として登場した。その時「よその国なら別の王家に分類される」ところ、別系統の大王の死体と一緒に寝ることで「体を継ぐ=継体」天皇頃、殯(もがり)儀式が大喪の礼で行われて、黒岩説なら3王朝であるがもっと多いかもしれない王朝が、「神武以来2600年男系一体の天皇制が世界一長く続いている」という神話になったのであろう。
「5代前の天皇の末裔」という継体天皇は、その親や祖父曽祖父の名前が全く白紙であるから、殯儀式を大王の証にしたのではないか?即位礼が確立した後、大嘗祭という即位儀式はそれから200年以上後に作られて、応仁の乱以後二百数十年途絶していたのを江戸時代中期に江戸幕府に強引に交渉して光格院の前に復活させた。
現天皇の一族の大本だった江戸中期の光格院は、それを一番長時間の延喜式という平安時代のやり方に戻したらしい。自分の身分が王の直系ではないと、歴史を書き換えて新たに儀式を作って権威付けをするのが世界各国世の常である。イギリスのアーサー王の剣とかもそのたぐいだろう。
前天皇の直系でない、生母の身分が低い新しく江戸時代に作られた宮家の出で、僧侶になる予定だった光格は、引き継ぐべき天皇が死んでから幕府に内緒にして生きていることにして後を継いだ。それで正当性が疑われる存在だったからこそ、世界中の正当性が疑わる権力者の常と同じく、儀式をたくさん行うことで自分に権威づけをした。
こうして江戸中期に新たにできた儀式を受け継ぐ明治憲法が、新しく権威付けの為に大正昭和で新しく作った天皇行事を、たくさん天皇の臣民に明治憲法で押し付けた。明治天皇の即位は江戸時代だから公家諸法度に沿って、大した葬儀や即位儀礼はない。
だから明治憲法で天皇が主権者として行った退位儀礼はゼロである。即位は大正と昭和の2例でしかない。いずれも発展途上国だったから、世界中から国交のあるすべての元首を招待していない。即位儀礼に税金を使うこと、葬式に税金を使うことはことは、明治憲法では主権者が天皇だったから合憲だと理解できる。
しかし主権在民の日本国憲法で、どうして天皇の宗教儀式に国民の税金を使うことが、「信教の自由に反して合憲」になるのか?どうしてこういう世界中から165か国を招待する、途方もない税金をつかった憲法違反が88年ー90年「伝統行事」を口実に行われたか?そこに儀典課長出身95年就任の事務方ナンバーワン古川官房副長官の存在があったのである。赤旗の88年の代替わり連載に、古川と共産党と関係があった可能性が疑われる?
日本国憲法の性格を示すのが第1条である。その「国民主権と天皇はシンボルで何の権能も有しない」という条文の意味が代替わり行事で否定された。ありえないことが89年の代替わりでおこなわれた。共産党の赤旗の馬鹿のせいもあるが、私大出の厚生省儀典課長が強行して、内閣法制局という司法試験を通ったであろう公務員集団が認めた理由の根本がドイツ帝国憲法そのままの「行政法」にあったのではないか?
しかもこの日本国憲法を88年-90年に憲法1条違反をした儀典課長こそ、平成時代にとんとん拍子に出世できないはずの厚生事務次官から、阪神大震災の翌月95年2月に事務方トップである内閣官房副長官になった古川だった。多分平成院の思し召しで憲法違反の平成代替わりをやったご褒美だったであろう。
そいつが東大佐々木総長と、三重県で清掃工場を爆発させて労災死者を出して三重県知事でおれなくなった北川と組んで、「行革構造改革」を宣伝しまくって、2003年まで最長事務方内閣官房副長官になったのは、やはり裏で安住や枝野が菅と図って、私が選挙で勝たせたら右翼の日本新党松下政経塾馬鹿ガキばかり議員にしたからである。そいつら馬鹿ガキが突然2000年から菅直人と「猪瀬とインチキマスコミが道路公団民営化」を騒ぎ出した。
その時どうして猪瀬のような天皇制本を出すバカ男が出てきて、菅直人や細川と一緒に、「何でも民営化でインチキ耐震インチキ河川改修、インチキエネルギー、インチキ金融緩和、ありとあらゆる嘘の民営化理由」をつけた「構造改革とは何か新版日本国の研究」を出して「21世紀臨調」というインチキ組織ができたのか?
その実働部隊が松下政経塾日本新党で、裏には円安推進勢力の細川の親せき天皇制が控えていたのではないか?れは「労働組合が職場で一番信頼できる組合員や、OBを議員にしてほしい」という、トヨタ出身伊藤英成政調会長や、もともと「新しい政党を」と旧民主党の一回の都議選で消滅寸前だった旧民主党政調に電話した時から一貫して要求してきたことへの債務不履行不法行為の連続であることも以前書いてある。
最近は女性がなよなよしなくなったから、しっかりした化粧と服に金を使わない女性議員もぜひ各自治体田国会から出てほしいことも、例えば前原が代表の時に言ってある。前原の前の女性秘書さんなんかも候補にしていいと思っていた。
もちろん自分が馬鹿ガキ松下政経塾や江田五月のような違憲社会党2世や菅直人より、まっとうな自民党の大物をスカウトしたのだから、「最初から民主党という名」は前に書いたように「仙谷がゴねた」から合併スタートの方便名でしかなかったのである。
一旦民権派のインチキ郵政や公団民営化反対、銀行への税金投入反対グループが政権を取ったら、日本中のインチキ耐震インチキ水害対策をどうにか私のニューディールで解決した後は、「自由民権党」「民権自由党」「民権社会党」「社会民権党」とか好きに分かれることが前提だった。だからこそ、新民主党は綱領がなかったのである。
その中でも私が一番「自由民権党」と対抗する軸として、憲法を守って別れた後肩入れするつもりだったのが「民権社会党」だった。私が馬鹿が嫌いだから、もっとも最近は自分が馬鹿になったが、自社さのような日本売りソフトバンクの傘下に政党が入った自社さ民主党という詐欺政党のバカ政策を応援するはずがない。
どうして、毎回インチキで国民が一切応援しない自社さ政策に政権交代迄選挙ごとに小沢を検察がマスコミと脅してすり替える詐欺をやり続けたか?1997年以降、民主党議員の質が悪すぎることは、新民主党と私との契約違反が毎回更新して契約違反や債務日履行や不法行為の詐欺が継続している証拠である。労働組合や旧民社や旧社会党でも労組議員を増やすべきである。
また付け加えたことが飛んだが、「行政法」が明治憲法のままで、司法試験や国家公務員や労働基準監督官等専門公務員試験から地方公務員試験まで、戦後官僚を言葉を変えて公務員となっても、「ドイツ帝国行政法」科目を勉強したから、専制独裁昭和前期ファシズム意識が公務員から抜けなかった理由であろう。
その一番の例が代替わりだが、裏にはIMFガット体制制定時に、1ドル360円で国民の知らないうちに海外に預けた、天皇財産が円高で目減りする事を許さない、国際金融局の為替運営があって、黒田の馬鹿が、平成30年で、日本経済をアジア諸国より没落させる一因になってはいないか?その一例が山下財宝である。
山下財宝については、私が子供のころ、「冒険王」か「ぼくら」か「少年マガジン・サンデー」か何かで読んだ思えがある。先日ナショナルジオグラフィックが、フィリピンの「山下大将が隠した財宝を今発掘しようというノンフィクション」をやったばかりである。それによると、「パターン死の行進」の捕虜虐待で死刑になった山下は、軍の命令で敗戦直前フィリピンに戻って、山下財宝を隠した。
どうやって隠したかというと、CSでたまたま無料配信していたナショナルジオグラクヒックの番組によれば、「山下大将が敗戦間際、軍の命令で東京からフィリピンに戻って、米人を含めたジュネーブ条約違反で捕虜に、各島のジャングルにものすごくたくさん穴を掘らせて、ヨーロッパのユダヤ人などがヒットラーにとられないように、アジアに移した財宝を、日本軍がオランダ領インドネシアなどから没収して埋めた。」
それも「日本軍は穴を掘った捕虜ごと生き埋めにしたのを見た」と現地の人が番組内で証言していた。それが具体的で真実性があると私が思うのは、穴をあけるところまでしか番組はなかったが、「日本軍の穴はコンクリートで固めるからわかる」といっていたことからである。日本の土建はコンクリートが好きである。
番組内で、「その財宝が天文学的金額だ」と、アメリカの山下財宝調査チームは言っていた。天皇の隠し財産が戦時中や戦後,GHQが知らないところであるかもしれないと疑わせる番組を今年やったのである。1998年にサンデープロジェクトが同じことをした。
「野党三党金融再生」法のころ、「憲法制定頃、世耕議員が率いる調査会が日銀の財産が消えた理由を調べる国会の『世耕調査会』があった」という報道である。そういうところに1ドル365円に戻そう戻そうという小泉内閣参与日銀黒田の馬鹿や小泉内閣参事官泥棒高橋洋一が、大政翼賛マスコミであるテレビや新聞に20年支持される理由が隠されているかもしれない。
円安は国賊であるが代替わり費用は、昭和天皇以来天皇家が外資預金している可能性がある。代替わり費用としてためてきた自分の資産で払えば国民誰も、文句はない!税金で我々の信教の自由を侵して天皇制が国家神道行事を「祝日」にして税金を使って国民に押し付けることを、日本国憲法では違憲であるといっているのである。
あらためていうが、我が国は国民主権の国である。憲法の文章を書いた宮沢説は80年代頃までは当然の学説として司法試験や公務員試験の基準だったはずである。いまこそ憲法を書いた本人の学説に各種公務員試験と司法試験から行政書士試験まで憲法の試験問題解釈を戻して、新たな行政法試験領域と労働法領域を試験科目として作るべきと思う。
かっては憲法解釈は宮沢説が常識だったし、今も国民で新憲法を明治憲法と比較して習った社会科世代の人々は、私を含めて宮沢説を支持している人が多いはずである。平成流だといって、いつの間にか宮沢説に反する「国事行為」でない、皇族のお付き合いを「ご公務」という名で国民の知らない間に平成30年、家計費以外に税金を使うことが行われてきたなら、元に戻すべきであろう。
平成は日本が、経済だけでなく国際的な地位すべてを没落させた時代である。74年石油ショックから日本が最先端で築いてきた環境技術立国はどこへ行った?国民主権を捨てて、明治天皇制復活とバーターすべきことでは絶対にない!。
我が国の民社党と同盟を、今の自社さバカになり下がった野党統一会派と連合と比較して再評価すべきと思う。もちろんかっての社会党と総評もである。共産党は民主集中のレーニン秘密結社組織論をやめろ!
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